「リクライニングを倒していいですか」を後列の人は拒否できるのか…航空会社が結論を先送りにしているワケ

2024年4月10日(水)10時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gchutka

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飛行機の座席をリクライニングすることによって生まれる(もしくは失われる)空間は、前列・後列のどちらの人のものなのか。コロンビア大学のマイケル・ヘラー教授とカリフォルニア大学のジェームズ・ザルツマン教授の著書『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』(早川書房)より、一部を紹介しよう——。
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■「リクライニングさせない器具の装着」はアリか


ジェームズ・ビーチは大柄な男で、身長は180センチ以上ある。ニューアーク発デンバー行きのユナイテッド航空機に乗り込んだビーチは、離陸後すぐに前席の背中についているテーブルを出し、ニー・ディフェンダーを取り付けた。


これは「座席のリクライニングを防いで膝を守る」というかんたんなプラスチック製の固定具で、21.95ドルで販売されている。これをテーブルの支持部に取り付けると、前の座席はリクライニングができなくなるという仕掛けだ。ニー・ディフェンダーの販売サイトには「座席のリクライニングができないようにするので、あなたはもう膝を縮こめなくてよい」とある。


ニー・ディフェンダーでスペースを確保したビーチはおもむろにノートPCを取り出した。


ニー・ディフェンダーは宣伝文句に違わず、前の座席のリクライニングを完全に不可能にした。前の座席の乗客は「背もたれを倒してくつろぎ、空の旅を楽しもうとした」が、背もたれはびくともしない。彼女は客室乗務員を呼び、乗務員はビーチに固定具を外すよう頼んだ。だがビーチは従おうとしない。


■「リクライニング」を巡るトラブルは頻発している


激怒した女性は背もたれを激しく叩き、その勢いでニー・ディフェンダーが外れ、ビーチのノートPCは落ちそうになった。ビーチはすばやく背もたれを押し返してニー・ディフェンダーを再び装着する。女性は自分の飲み物をつかむといきなりビーチにぶちまけた。


そこから先のことははっきりしない。ともかくも機長の判断で同機は行き先を変更してシカゴに緊急着陸し、2人を降ろしてからデンバーに向かった。デンバーには1時間38分遅れで到着している。


同じような騒動が頻発している。最近の出来事は動画で拡散された。ニューオーリンズ発ノースカロライナ行きのアメリカン航空機に搭乗したウェンディ・ウィリアムズは、さっそく座席をリクライニングした。ところが後ろの席の男性客は最後尾だったため、リクライニングができない。


イラついた彼は、ヒステリーのメトロノームよろしくウィリアムズの背もたれを何度も押し返した。高高度で起きたこの悶着をウィリアムズは逐一撮影してアップロードし、ネット上で大いに話題になったものである。


■「ボタンが付いているから許容されている」


こうした出来事が起こるたびにネット社会は盛り上がり、ひとりよがりの意見が飛び交う。誰もが自分こそは正しいルールを知っていると確信しているらしい。人気のトーク番組のホストを務めるエレン・デジェネレスは、リクライニング側に同情的だ。「誰かの座席を押していいのは、自分の膝が先に押されたときだけよ」。デルタ航空のCEOエドワード・バスティアンは反対の立場である。


「望ましいのはリクライニングしていいか、事前に相手に聞くことだ」という。たしかにウィリアムズは事前に確認しなかった。


では、いったい誰が正しいのか?


ウィリアムズの言い分は単純そのものだ。自分の座席のアームレストには押ボタンが付いており、リクライニングできるようになっている。よって、自分の座席には背もたれを傾けるだけのスペースが許容されている。だからリクライニングのための空間は自分のものだというのだ。


この主張の根拠は「付属」である。「あきらかに自分のものとわかっているものに付属するものはすべて自分のものだ」というこの言い分は古くから申し立てられてきたものの一つであり、数千年昔まで遡ることができる。


■「荷物棚から足元までの垂直空間は自分のもの」


一方のビーチの言い分も「自分のものに付属するもの」ではあるが、ウィリアムズとは違う形だった。彼が拠りどころにしたのは、中世イングランドに伝わる「土地の所有権は、上は天国、下は地獄までおよぶ」という格言である。


ビーチは、自分の座席の背もたれと前の座席の背もたれの間の垂直空間は、上部の荷物棚からカーペットの敷かれた足元にいたるまですべて自分の領域だと考えた。よって、この領域を侵すものは何であれ不法侵入であり、秩序を乱す闖入者である。


付属という根拠は、読者は聞いたことがないかもしれないが、じつはいたるところで耳にする。テキサスの土地所有者が地下に埋まっていた石油やガスを採掘できるのも、農場主が地下水を汲み上げてセントラルバレー一帯の地盤沈下を引き起こすのも、アラスカ州がベーリング海での漁獲量を制限するのも、この理屈に依拠している。「付属している」と主張することによって、二次元の座席や土地や領土が、三次元空間で希少資源を支配することになる。


だがビーチやウィリアムズの騒ぎで主張されたのはそれだけではない。どのフライトでも離陸時には座席の背もたれが「完全にまっすぐな位置に固定」してあるか、客室乗務員が見て回って確認する。その時点では、ビーチは自分の前の空間を独り占めすることができた。そして彼は先に固定具を取り付けた。


■ネット上の意見は半分に割れた


所有権に関してもう一つの原始的で本能的な主張は、早い者勝ちというものである。子供たちは公園でこう叫ぶ。「ボクが先だったもん!」。大人はそれをお腹の中で叫ぶ。


それからもう一つ思い出してほしい。ビーチはニー・ディフェンダーを取り付けてノートPCを開いた時点で、リクライニング空間を物理的に占有していた。この占有は九分の勝ちという主張も所有権に関してひんぱんに耳にする。


以上のようにリクライニングを巡る騒動は、付属(attachment)、早い者勝ち(first-in-time)、占有(possession)という所有権に関する三通りの主張を際立たせる結果となった。


インターネット上でニー・ディフェンダー問題の意見を募ったところ、はじめは大半の人が「わかりきっている」、「議論の余地などない」という態度だったが、私たちがさらに踏み込み、何通りかの主張を列挙して賛成・反対を送信するよう頼んだところ、意見はビーチ派とウィリアムズ派にみごとに割れ、どちらも反対側の意見を頭からはねつけた。


2020年にUSAトゥデイ紙が行った世論調査によると、半数が「リクライニングできるならする」と答え、半数が「何の断りもなくそんなことはしない」と答えた。だからこそウィリアムズは自分の座席が押し返される様子を動画に撮って投稿したのだし、ビーチは何の遠慮もなく前の座席がリクライニングできないようにしたのである。


「私のものに手を出すな!」というわけだ。


写真=iStock.com/tonefotografia
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■座席が狭いほど航空会社は人を乗せられる


なぜこのようなあさましい争いが今日多発するのか。かつてはリクライニングでこんな騒ぎが起きることはなかった。なぜならごく最近まで、座席の前後間隔はもっと広かったからである。


リクライニングをするにも、テーブルを下ろして仕事をするにも、十分な空間が確保されていた。だから、リクライニングをするときのすこしばかりのくさび形の空間が誰のものかなど、誰も気にしなかったのである。だが航空会社はどんどんシートピッチを狭めてきた。さほど遠くない昔には90センチ近くあったのに、いまは80センチを下回っている。航空機によっては71センチしかないケースもある。


航空会社にしてみれば死活問題だ。一列につき3センチ縮めれば、全体で6席よけいに売ることができる。利益を増やすために航空会社はより多くの乗客を詰め込もうとした。その一方で人間の体格は年々よくなっているうえ、テーブルは軽食ではなく高価なコンピュータを支えなければならなくなる。


それに、乗客にとっては命のかかる問題でもあった。パンデミックのときなど、間隔が3センチ縮まるたびに感染の確率は高くなるのだから。


■「1つの空間を2人に販売している」


ニー・ディフェンダーを発明したアイラ・ゴールドマン(彼のウェブサイトは騒動後にページビューが500倍に跳ね上がった)は、問題をこう簡潔に分析している。「航空会社は、Aに足を伸ばす空間を売る。Aの前の席のBには背もたれをリクライニングする空間を売る。つまり彼らは、一つの同じ空間を2人の人間に売っているのだ」。


そんなことをしていいのだろうか。


法律はこの点に関して沈黙している。連邦航空局(FAA)は2018年に航空機内の座席規制を求める要望を却下し、各社に委ねた。そこで航空会社は、どの便でも同じ空間を二度売るという荒技に出る。


彼らには戦略的曖昧さという秘密兵器があった。これは要するに、くさび形のリクライニング空間の所有権を意図的にぼやかしておくという高度な技である。


ほとんどの航空会社はルールを決めている。リクライニング・ボタンが付いている席の乗客は、リクライニングしてよい。しかしそのことをわざわざはっきり言ったりはしない。客室乗務員はリクライニングできますなどとアナウンスしないし、よほどのことがない限りリクライニングをやめてくださいとも言わない。


■航空会社はわざと曖昧にしている


この曖昧さは、航空会社にとって好ましい方向に働く。というのも、所有権がどうなっているのかはっきりしない場合(そういうケースは読者が思うより多い)、乗客は常識に従い礼儀正しくふるまうからだ。


航空会社は長い間このエチケットを頼りにリクライニング空間に関する曖昧さを浸透させてきた。デルタ航空のバスティアンが支持したのもまさにこれである。要するに航空会社は争いの決着を乗客に任せたわけだ。



マイケル・ヘラー、ジェームズ・ザルツマン『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』(早川書房)

そこで乗客は、日々繰り返されるちょっとした小競り合い、たとえば共有のアームレスト上で肘があたった場合や頭上の荷物棚に収まりきらない場合などに、うまく決着をつけなければならなくなった。こうした場合に金銭で決着をつけることはまずない(それでもある調査によると、後ろの客に飲み物かスナックをおごってもらった場合、前の客の4分の3はリクライニングを控えるという)。


航空会社がシートピッチを詰めるにつれて、リクライニング空間を巡る暗黙のルールはたびたび破られるようになる。空間がどちらのものかについて共通の理解が存在しなくなり、空間の希少性が高まったことも相俟って見解の相違が鮮明になると、相手の見方はとうてい容認できないと双方が考えるようになった。


■ニー・ディフェンダーが顕在化させた所有権の曖昧さ


このようにすでに存在した諍いの種を、ニー・ディフェンダーは顕在化させたと言える。ゴールドマンは所有権に関する曖昧さを商機と捉えて画期的な商品を開発したわけだが、しかし一方的に前の座席をロックする行為は礼儀に反する点が問題である。なんだか黙って人のものを取り上げるような感じがする。


ニー・ディフェンダーはくだらないアイデア商品に見えるかもしれないが、そこには現代社会においてイノベーションを牽引する偉大な要因の一つが働いている。価値のある資源が希少になると、人間は一段と激しくそれを争うようになり、自分に都合のいい所有権の解釈を相手に押し付けようとする。そこに起業家はチャンスを見つけるという成り行きだ。


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マイケル・ヘラー
コロンビア大学教授
コロンビア大学ロースクールのローレンス・A・ウィーン不動産法担当教授。所有権に関する世界的権威の一人。著書に『グリッドロック経済』など。
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ジェームズ・ザルツマン
カリフォルニア大学教授
カリフォルニア大学ロサンゼルス校ロースクールとカリフォルニア大学サンタバーバラ校環境学大学院で、環境法学特別教授を務める。
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(コロンビア大学教授 マイケル・ヘラー、カリフォルニア大学教授 ジェームズ・ザルツマン)

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