10%の時間を革新的なアイデアの発見に費やせ 米素材メーカーW.L.ゴアのベストセラーを生む「ダブル・タイム」とは
2025年4月23日(水)4時0分 JBpress
イノベーションとは、必ずしも壮大な目標や崇高な理念の下で生まれるものではなく、選ばれし一部の人間によって成し遂げられるものでもない。課題解決方法の改善と挑戦という身近な取り組みこそが、イノベーションの実現につながる。本稿では、世界的な経営大学院INSEADの元エグゼクティブ教育学部長であり、一橋大学で経営学を学んだ知日家としても知られるベン・M・ベンサウ氏の著書『血肉化するイノベーション——革新を実現する組織を創る』(ベン・M・ベンサウ著、軽部大、山田仁一郎訳/中央経済社)から内容の一部を抜粋・再編集。W.L.ゴア、サムスン、IBMなど世界的な大企業がどのように障害を乗り越え革新をもたらしたかについて、その実行プロセスからひもとく。
テフロンやゴアテックスで知られる素材メーカーW.L.ゴア。イノベーションの創出に必要不可欠だという「業務遂行エンジン」と「革新実現エンジン」を同時稼働させる両利きの組織とは?
業務遂行と革新実現
素材メーカーであるW.L.ゴア社は、破天荒なエンジニアのウィルバート・ゴアとその妻ジュヌヴィエーヴによって1958年に設立された。2人はビルとヴィエーヴ(Bill and Vieve)の名で知られている。
ビル・ゴアは、当時ほとんど知られていなかったポリテトラフルオロエチレン(PTFE)という物質の革新的な可能性に魅了されていた。数年後、PTFEはテフロンというブランド名を持ち、調理器具のコーティング材料として有名になる。しかしその一方で、ビル・ゴアと息子のボブは、研究室でPTFEを「延伸」し、70%が空気の微多孔構造を形成できることを発見していた。
ゴア夫妻は、その後PTFEをGORE-TEX(ゴアテックス)として商品化した。ゴアテックスは、防水性と通気性を併せ持ち、全天候型の衣服を作るのに理想的な高分子分離膜素材である。この素材は今日に至るまで、アウトドアウェアの金字塔とされている。ゴアテックスの用途はほかにも数多く見つかっており、メッシュや縫合糸などの医療器具から、中世の壊れやすい装飾写本を保存するためのラミネートまで多様に存在する。
当時から数えること数十年にわたり、ゴアは素材の創造的な新用途を発見することで成長してきた。ゴアテックスだけでなく、近代的な化学的手法で作られた他の素材に至るまで、その種類は広がり続けている。イノベーションの成功という輝かしい実績は、創業者であるゴア夫妻が掲げた理念や実践に根ざしたものであり、それは今日に至るまで同社に息づいている。
ビル・ゴアのリーダーシップのもとで開拓された実践の1つが、会社の全アソシエイト(同社では従業員のことをアソシエイトと呼ぶ)に対し、魅力的なプロジェクトに「手を出す」ことに自分の時間の10パーセントを費やすよう奨励することだった。やがて、ゴアのこの「ダブル・タイム」(倍テンポ)システムは、「エンタープライズ」(同社では自社をエンタープライズと好んでそう呼ぶ)が享受するいくつかの事業上の大成功を生み出した。
ゴアの輝かしい歴史における最も有名な革新的ブレークスルーのいくつかは、個々のアソシエイトが立ち上げたダブル・タイム・プロジェクトに端を発している。
例えば、1990年代初頭、ゴアのメディカル部門のアソシエイトであり、熱心なバイカーでもあったエンジニアのデイブ・マイヤーズは、マウンテンバイクのケーブルにPTFEコーティングすると、油や砂埃に特別な耐性を持つことに気づいた。好奇心を刺激された彼は、同じコンセプトでギターの弦の音を保護し、強化できないかと考えた。
そこから、マイヤーズと志を同じくする同僚たちによる、3年間にわたるテストと実験の日々が始まった。最終的に研究チームは、当時の標準よりも3倍長く音色を保つギター弦を開発した。今日、ゴアのELIXIRブランドのギター弦は、業界のベストセラーとなっている。
■ 2つのエンジンと2つの異なる操作モード
マイヤーズのダブル・タイムの制度を利用した研究が、W.L.ゴアにまったく新しい事業機会をもたらしたというストーリーは、組織においてイノベーション能力を高めるために必要となる最初の条件を明らかにしている。それは、すべての組織において、業務遂行エンジンと革新実現エンジンという2つの異なるエンジンを同時に稼働させる必要があるという条件だ。
業務遂行エンジンとは、現在の仕事をできるだけ巧みに、効率的に、そして完璧にこなすためのものである。業務遂行エンジンは、製品の製造方法やサービスの提供方法、売上をどのように上げ、その他の日常活動がどのように完了されるかに関係する。
一方、革新実現エンジンは、一見すると何もしていないように感じられるかもしれない。革新実現エンジンとは、新製品や新サービスを想像したり、新しい仕事のやり方やプロセスを設計したり、新たなテクノロジーを試してみたり、新市場について学んだり、さもなくばこれまで取り組んだことのない顧客(および非顧客)のニーズや欲求を調査するといった、新たなアイデアを発見するためのものである。
多くの組織は、業務遂行エンジンと革新実現エンジンの両方の必要性を理解している。しかし、多くの場合、両者を分けてその実現に必要となるスタッフの配置、組織化、そして日々の運営をすべきだと勘違いをしている。伝統的な科学者やエンジニアで構成された研究開発部門のチームが、組織が必要とするすべてのイノベーションを生み出すことができる、と考える人もいる。
実際、会社の従業員は、例外なく全員が両方のエンジンで動いており、時間とエネルギーの一部を業務遂行エンジンに、そして残りの時間とエネルギーを革新実現エンジンに捧げているはずだ。しかし、これまでとは全く異なる考え方に則って、利用可能な時間とエネルギーを両エンジン間で再配分する必要性に気がつかなければならない。
これは、未来を見据えた革新を実現する活動であると同時に、日々の業務活動を同時に実現する、「両利きの組織」と一般的に呼ばれる代替的なアプローチであることに留意してほしい。両利き組織という伝統的な概念は、異なるチームが2つの対照的なタスクに分業して集中することを前提としている。しかし、私はこの「両利き(という特性)」を、個々の従業員に始まって、組織の各部門、各階層にまで組み込むことを推奨しているのである。
業務遂行エンジンの背景にある基本的な考え方とは、懐疑的かつ論理的で、多大な努力を要し、厳密であることを尊ぶ志向性である。業務遂行エンジンを組織化し管理するにあたって、最優先の目標は効率性の追求である。
それゆえ、業務遂行エンジンによって遂行されるタスクと、それらのタスクがどのように処理されるかについて正確に定義することで、はじめてビジネスの成功を定義するために使用される多くの財務指標(投資利益率(ROI)、株主資本利益率(ROE)、利払及び税金控除前利益率(EBIT)、ベリー比など)は、上手く活用されることとなるだろう。
業務遂行エンジンと称される活動はすべて、顧客や組織にとっての価値への貢献として正当化されなければならない。つまり、これに当てはまらなければ、情け容赦なく改善、合理化、廃止されなければならないのだ。
革新実現エンジンと称する活動を管理することは、これとはまったく対照的である。革新実現エンジン活動の基本的な考え方とは、オープンマインドで想像力に富み、受け入れやすく、柔軟性がある志向性である。
革新実現エンジン活動によって思いついた新たなアイデアや可能性は、少なくとも一時的には、実用性の有無や実現方法、収益を上げるためにどのように使われるか、どのような利幅をもたらすか…といったことを事前に気にすることなく受け入れられる。
組織のメンバーから十分に強い反応が得られれば、業務遂行エンジンによって実行される前に、論理的原則とコスト・ベネフィット分析に従ってそのアイデアを評価し、テストする時間は十分にある。
表2.1は、業務遂行エンジンと革新実現エンジンの体系的な違いを示している。本書の各章を読み進めていくうちに、この表で強調されているいくつかの対比がより明確になっていくのが分かるだろう。
組織の長期的な成功には、業務遂行エンジンと革新実現エンジンの両方が不可欠である。しかし、多くの組織では、革新実現エンジンはその重要性に見合うほど注目されてはいない。それは理解しがたいことである。結局のところ、業務遂行エンジンこそが組織を日々動かしているのだ。もしそれが完全に停止したり、効率的には動かなくなったりすれば、顧客はいなくなり、収入も利益も枯渇し、ビジネスはあっという間に死んでしまうからである。
それとは対照的に、革新実現エンジンが生み出す価値はそれほど明白ではなく、結実するまでに時間もかかる。短期的には、組織はイノベーションを起こさなくても、いつもと同じことをやるだけで何とかなる。イノベーションの失敗が組織に打撃を与えるまでには、時間がかかる。
それは、市場の変化、顧客ニーズの進化や新たな競争上の脅威が、古いやり方を徐々に時代遅れにしていくときに初めて失敗となって顕在化するのである。ダメージが無視できないほど大きくなったとき、企業のリーダーはようやく、革新実現エンジンにもっと注意を払うべきだったことに気づくのだが、実際にはそれでは遅すぎるのである。
優秀なビジネスリーダーは、そのような事態を招かない。彼らは、組織の革新実現エンジンの働きを創造し、正当化し、保護し、そしてこれが最も重要なことだが、体系化する必要があることを理解している。
変化する時代の中で企業が生き残り、繁栄していくためには、革新実現エンジンを維持し、稼働させ続けなければならない。そして組織全体、各部門、そして3つの業務レベル(現場のイノベーター、中間管理職、上級経営幹部)に属するすべての人々の創造的な努力を引き出さなければならない。
<著者フォロー機能のご案内>
●無料会員に登録すれば、本記事の下部にある著者プロフィール欄から著者をフォローできます。
●フォローした著者の記事は、マイページから簡単に確認できるようになります。
筆者:ベン・M・ベンサウ,軽部 大,山田 仁一郎