「絶対に結婚してほしくない」過酷な運命を共に乗り越えてきた育ての母がサヘル・ローズにそう言う本当の理由

2025年4月30日(水)18時16分 プレジデント社

サヘル・ローズさん - 撮影=増田岳二

「私は、心がない人なのではないか?」サヘル・ローズさんは、時々そう思うことがあるという。自分がロボットにならないように、一生懸命、自分の心に油を注いでいると語る。養母との30年以上にわたる人生。やり場のない怒りの感情を押し殺して生きてきた「運命共同体」の母と娘の関係を、赤裸々に語る——。

■「私、心がない人なのかな?って思います」


前編からつづく)


イラン・イラク戦争激戦下にイランで生を受け、戦争に翻弄され、本人も知らない何らかの事情により孤児院(児童養護施設)で育ったサヘル・ローズさんは、養母であるフローラさんが現れるまでの7年間、“大勢の子どもの中の一人”として生きてきた。そこにはつぶらな瞳を、優しく笑って受け止めてくれる「特別な人」はいたのだろうか。乳幼児にとって極めて重要な、「愛着」を結ぶ対象が存在していたのだろうか。


撮影=増田岳二
サヘル・ローズさん - 撮影=増田岳二

「乳幼児の大事な時期に、心が動くという経験を、私は持つことができなかったんです。子どもって、ブロックを触ったり、土いじりをしたり、ケガをしたり、笑ったり、泣いたりして、いろいろなリアルな経験を持つことで、心が動くようになるものです。衣食住を与えさえすれば、子どもが幸せに育つわけではなく、たとえ衣食住がなくても、一人の人が目の前にいて、その子の目を見てちゃんと話してくれたり、叱ってもらえたりすれば、その子は心が動くようになるのです。心が動くということが、子どものときに一番、必要なことだと思うんです。その環境にないと、大人になったとき、なぜか、自分の心って意識しないと動かないものになるんです。


私、心がない人なのかな?って、時に思います。ううん、すごく、心はあるんです。だから、心が凍りつかないように、私がロボットにならないように、一生懸命、自分の心に油を注いでいるんです。その油が、表現です。自分の心に油を注いで、心が回るように、ちゃんと意識して動くようにしています」


「ロボット」という言葉には、心当たりがあった。養育里親への取材で、ある里親女性が「乳児院から来た里子は、ロボットのような赤ちゃんなの」と教えてくれたことがあった。ゆえに、その里子の養育がどれほど困難に満ちているのかも。ロボット……それはつまり感情がないということだ。乳児院で養育された赤ちゃんは往々にして、サヘルさん曰く「心が動く」という経験をしたことがないまま、幼児へと成長する。


孤児院で「心が動く」ことなく育った後遺症を、サヘルさんは冷静に俯瞰する。サヘルさんは自分の中に、“傷ついたサヘルちゃん”=インナーチャイルドが存在していることを、はっきりと自覚する。


「自分の感情がすごく怖いと思うのは、急に涙が出たと思えば、その涙が突然、ピタッと止まるんです。もう、何事もなかったかのように。素直な感情がうわーっと出てくるインナーチャイルドと、人前で感情を殺そうとするインナーチャイルドという2つが、私の中にはしっかりいるんです。本当の素直な私は、うわーって泣きたいのに、それが一瞬にして自制が働いて、急に気持ちがストップする。それって、すごくしんどいです。自分に『泣かせてくれよ』って、言うこともあります。『頼むから、泣かせてくれ』って何度、思ったことか」


■「ぬいぐるみの首を、一生懸命絞めていました」


このインナーチャイルドの存在が、サヘルさんに結婚も、子どもを持つという選択も、不可能なものにしている。


「家族を持つことは、今の私にはできません。怖いし、子どもを愛する自信がない。だって、私のインナーチャイルドが、幼少期に育ったイランの施設に今もずっと残っているから。その子が多分、“刃”が一番強いんです。時たま、出てきます。その子は反発、憎しみ、怒りも、狂気も持っている。その狂気を抑えられるのが、母の前にいるときと、何かを表現しているとき。このときだけは、狂気を出さなくて済むんです。その狂気は人に向かうことはないのですが、すごく自分を傷つけたくなります」


かつて、「狂気」が他へ向かったことが確かにあった。


「これは本当に昔なのですが、お母さんが仕事に行っている間、唯一持っていた愛着のあるぬいぐるみの首を、私、一生懸命、絞めていました。なんか、殺したい感情に駆られたことは何度もあったことを覚えています。でも、私は客観的に自分を見るという特殊能力を身につけることができていたので、『ダメだ、私はすごく危険だ』ってちゃんとわかったから、ぬいぐるみでしたがすぐに手を離しました。もし私が子どもを授かったら、自分を殺すつもりで、ひょっとしたら我が子に手をかけてしまうのではないかって思えてしまい、それが凄く怖いんです」


撮影=増田岳二

家族は持てないと断言しながらも、心から湧き出る思いに素直になれば、愛する幸せを感じたい。


「愛したいし、愛されたいです。もちろん、その感情は持っています。でも、相手を幸せにできるかと考えたときに、子どもを授かることは私には想像できないし、とても怖い。自分の中にある感情を、押し殺している自分がいるんです。母親への『なんで!』、あるいは社会への『なんで!』という、自分が受けてきたことへのやりきれない怒りの感情を、私はただ、氷漬けにしているだけなのです。これがもし溶けたら、私の中にあるハリネズミのトゲが、誰に向くのか。きっと、家の中にいる、小さな子どもに向かうと思う」


■「恋愛なんて、そんな余裕、全くありませんでした」


サヘルさんは10代からずっと、自分を救ってくれた養母フローラさんを受け止める“役割”を生きてきた。フローラさんの怒りや、やり場のない感情の“ゴミ箱”を引き受け、それでもお互いが大事な存在として、苦楽を共にする運命共同体の日々には、恋愛など入り込む余地はとてもなかった。


「恋愛なんて、そんな余裕、全くありませんでした。私の愛情の全てをお母さんに注がなきゃって思っていたし、お母さんへの愛情が誰か(恋人)によって半減したら、それで、お母さんが傷つくこと自体が怖いんです。お母さんは私に、『絶対に、結婚してほしくない』って、言葉にして言っています。お母さん自身が結婚して苦しんだ経験をしているから、ここまで大変な思いをして育てた娘に、同じ思いをさせたくないって言うわけです。


自分の大事な娘を、男性によって傷つけられたくないっていう思いです。これも、母の愛なんです。だけど、私としたら、逆に失敗したっていいんです。それはもう、自己責任でいいからって思うんです。だけど、『あなたが悲しむ姿は、絶対に見たくない』と、お母さんは言う。それって違う意味で、『私は、悲しいんだけどな』ということに、お母さんは気づいてくれない」


■子どもに戻った母


一家の大黒柱がサヘルさんになった今、関係が逆転した。


「私が働くことで生活が成り立っているので、母が一人で家にいることが多くなりました。母からたまに言われるのは、『あなたは、家族というものをわかっていない。いつも、仕事、仕事で人のために何かはするけれど、じゃあ、私は?』と、時に問い詰められます。でも、私からすれば、子どもの頃、私だって、寂しかったよって言いたいです。今は、母親の方がすごく私に依存しています。年齢が上がってくると同時に、いろんなことができなくなって、全て私に頼っています。


自分の考えを持っていた人なのに、『これ、どうしたらいい?』って聞いてきますが、『でも、それ、お母さんが考えなきゃ』としか言いようがないことは多いんです。私がいないと何もできなくなってきているのが、逆に心配になるぐらい。変わっちゃったお母さんを見て、すごく寂しいけれど、でも、変わりたかったわけではなくて、孤独が、お母さんを変えちゃったんだなって思うんです」


■お母さんの好きな“サヘルちゃん”を演じる


仕事から家に帰れば、サヘルさんは“フローラさんが望む娘”を演じるのが常だ。どんなに苦しくても、サヘルさんを手放さず、必死に生きてきたフローラさんの背中を知っているからだ。


「私は今でも、お母さんの好きな“サヘルちゃん”という人でいようとしています。着ぐるみをつけて、演じます。お母さんの前では、“お母さんが安心する私”、“強い私”であり続けます。本当は家に帰って、お母さんに言いたいことを話したいし、相談もしたい。でも家に帰ったら、こちらからまず、お母さんに『今日、どうだった? 何、あった?』ってインタビュアーのように、お母さんに質問し続けます。お母さんから『あなたはどうだった?』って聞かれると、『仕事、楽しかったよ』って、それだけです。


無意識のうちに自分の葛藤とか悩みを、全然言えなくなってしまっていて。なんで、こうなったのか。ただ、お母さんがキャパオーバーになるようなことは、全く言えないです。お母さんが一人で苦しんでいる姿を小さいときから見ていたし、我慢しているお母さんを知っていたので、子どもも同じになっていくのかなーって思いますね」


撮影=増田岳二

では、サヘルさんはいつ、どこで、自分の心の荷物を下ろすことができるのだろう。無防備に自分を曝け出せる場所がなければ、人は潰れてしまう。


「私の中にいるサヘルという人間が住んでいる場所は、母の家とは別に、私の心の中に存在しています。母の前に立つときは、母用の家があって、その家に並べてあるものは全てお母さんが安心するものだけ。自分の家の扉は、別にあります。自分の家に帰るのは、外にいるときだけ。何かを演じているとき、表現しているときは、自分の心の家に戻っています。今、このインタビューを受けているときもそうです。だから、素直に言葉が出てきます。


お母さんといるときは、自分を解放することはないですね。お母さんのために、一生懸命に年齢も下げて、子どもっぽくして、お母さんが安心する“サヘルちゃん”を演じています。お母さんが喜ぶことは、私、全力でやりたいんです。そのことを私は望んでいるのだけれど、それが1週間も続けば、多分、私の心が死んでいくことはわかります」


■表現を通じて自分の感情を出す


なぜにここまで、捩れた生を生きねばならないのか。自分が“役割”でしか生きられないとしたら、サヘルさんが看破しているように、きっと窒息してしまう。


「なぜ、私がこうなったか。本当の私は、“娘”であるわけではなく、一人の人間として生きてみたい。役割ではなく、まず、人間でありたい。私は表現という世界に飛び込んで、自分の感情を外に出す、動かすということを、表現を通してやらせてもらっている。そこで私は、心を動かすことができています。それは、とてもありがたいことです」


人間、サヘル・ローズとして生きたい。それは、譲りようがない根源的な欲求だ。しかし、サヘルさんには“娘”という役割を、第一義に貫き通さねばならない自己に課した使命がある。


「お母さんから受けてきたことで、許せないっていう思いもありますが、それは『憎い』とか、『なんで?』というものとは違うんです。私は精一杯、許そうとしてきたし、受けてきた言葉も全部、飲み込んできました。彼女にとっての“家”は、私です。私が、彼女にとっての全て。私がいるから、彼女は生きている。それはもう、絶対に疑いようがないことです。私が、安定剤なんです。私の人生は、お母さんを救うためにある。多分、そのために、私がこの世にいるんだろうなって思います」


2024年、サヘルさん初監督作品である、映画『花束』が完成。主人公は、児童養護施設で育った8人の若者。その、ありのままの姿をドキュメンタリーとフィクションで実験的な構成にした。


「私にとって、映画が最も伝えたいツールだったんです。日本にも社会的養護の場で育つ子どもがいて、乳児院だったり、児童養護施設だったり、里親に引き取られている子達が、何で、親と暮らせなくなったのか。その理由が、実はあまり知られていない。世の中には本を読まない方がいるかもしれない。その方達が、たまたま観た映画で、彼らの事実を知るという、そういうきっかけ作りをしたかった」


■誰一人、親を恨んでいるとは言わなかった


主人公たちがまっすぐな眼差しで語る生い立ちの物語は、彼らのさらりとした表情とは裏腹に、壮絶であり、無惨だ。


「彼らの話を聞くところから始まったのですが、彼らの言葉がめちゃくちゃ一緒で、こんなにみんな、育つ環境も性別も違うのに、言っていることが、何で同じなの?って驚きでした。みんな、顔も知らなかったはずなのに、なぜ、親からやられたことが同じなの? 何で、わかっちゃうんだろうって、不思議に思うぐらい。でも、それって、結局、同じことが繰り返されているからなのです」


映画『花束』 監督=サヘル・ローズ、エグゼクティブプロデューサー=岩井俊二、音楽=SUGIZO、脚本=シライケイタ

それは、サヘルさん自身の生い立ちとも丸ごと被るものだった。母親が横で包丁を持って立っていたと証言した女性は、かつてのサヘルさんの姿そのままだ。


「そうであっても、彼らは誰一人として、親を憎んでいるとは言わなかった。『虐待』っていう言葉を使うと、親が悪いだけで終わってしまう。だけど、そうじゃなくて、その親がどういう経緯で虐待行為をしてしまったのか。その視点を、落としてはいけないと思う」


映画には、主人公たちが役者として演じ、時には音楽を奏でる場面も登場する。


「完全にドキュメンタリーにしなかったのは、彼らに表現というものを通していろんな感情に出会わせたかったから。それが最大のメンタルケアだと、私は思っています。医療機関によるメンタルケアを受けてこなかった自分が書くこと、写真を撮ること、演じることなど、いろいろなツールを使って表現していくことで、私は自分をメンタルケアしているんです。


表現を通したセルフメンタルケアに辿り着いたのですが、それを下の世代にバトンとして、方法として伝えたいって強く思いました。セリフの言い回しなどは、彼らのアドリブです。音楽も、実際に自分たちで弾いています。私がこの映画で伝えたかったのは、どんな生い立ちであれ、自分にしかできないことがあるし、それぞれが得意分野、才能っていうものを、人間はみんな持っているということなのです」


■自分だけじゃないと、知ってほしい


彼らは淡々と、時に自分を客観視して、笑みを浮かべながら、その生い立ちをカメラに向かって堂々と語る。


「私もですが、キャスト8人が何を伝えたかったかって言うと、決して、『かわいそう』を伝えたかったわけではないのです。自分たちはこうやって、生きてきたんだということ。これを観てくれる次の世代の子たちに何かパワーを与えたいっていう思いなんです。私にはこの映画は光溢れるものにしたいという思いがありました。ですので、今回はとりわけ、光に焦点を当てました」


サヘルさんには、当事者である子どもたちに対して、強く訴えたい思いがあった。児童養護施設出身者が自死を選んだり、犯罪に巻き込まれたりするなどの、ネガティブな面にずっと胸を痛めてきたからだ。


「みんな、いろいろな傷を抱えて生きている。自分だけだと思ってしまうから孤独になって、死んでいきたいっていう感情に駆られたり、時には誰かを殺してしまうなど、犯罪になってしまったり……。それをどう抑制していくのか。こういう人がいるよって、知ってほしい。自分だけじゃないんだってことを。自分と向き合うのは簡単じゃないけれど、こういう感情を持っている人がいるということを知るだけで、苦しいのは自分だけじゃないって思えたら……。だから、よりきちんと、当事者の声を私は世の中に出したいと思っているんです」


映画やフローラさんにされたことについて語る中で、サヘルさんは何度も、「虐待」という一言で片付けたくないと語った。親を悪者にして、断罪して終わることは間違っていると。


「絶対に、親を悪者にしちゃいけないなって思うんです。なぜなら、親も苦しみを抱えて生きてきた結果でもあるからです。母という人が、これほど孤独になってしまった社会というものがあって、まず、この大人の孤独に気づいてほしい。そして、苦しんでいる母の姿を見ながら、娘や息子がどんな思いで成長しているかを、知ってほしい。誰かが悪者になることが、正解なのではないと思います。母親も悪者なのではなく、被害者でもあるわけですから」


■「母娘という言葉がなくなればいい」


サヘルさんは何度も、フローラさんが異国の地でいかに孤独だったかに言及した。


虐待を語る場合、どうしても加害者は悪、被害者は善であるような単純な図式で整理されがちだ。「どうして(実の)子どもにこんなひどい暴力がふるえるのか」「人間の心を持っているのか」と。そうやって悪者を作って一件落着するのではなく、サヘルさんは、社会の縮図の中でもがき苦しむ大人と、その下で育つ無防備な子どもの、どうしようもないありようを、まっさらな視線で捉え直してほしいと希求する。


撮影=増田岳二
「絶対に親を悪者にしちゃいけないって思うんです。親も苦しみを抱えて生きてきた結果でもあるからです」 - 撮影=増田岳二

水面下に封印されてきた母親の嘆きや苦しみと、健気に母を支えようとする分不相応な子どもの無謀な試みと、人間はいかに無様で、切なく、崇高なものであることか。サヘルさんが願うのは、そのありようをそれぞれのキャンバスに、そのままに思い描いてほしいということなのだろうか。


「私は今日、母から何をされてきたのかを確かに話しました。それは、母を愛しているからです。母という存在がいたからこそ、今、私の命がここにあります。血は繋がっていないけれど、それ以上のものを母からもらっています。だから、私は今、大変だけれど、幸せです。結局、ここに尽きるんです」


幸せを実感する今も、家族というものがわからない。でも、それでいいのかもしれないと、ふと思う。


「母というもの、娘というもの、家族というものって、何なのだろうって思います。母という言葉も、娘という言葉もなくなればいいのかも。母や娘という“役割”ではなく、何かがあったときに、瞼の裏に、誰かの顔を思い浮かべることができる人が一人でもいれば、人生は全然、違ってくると思うんです」


『花束』という映画を作り、『言葉の花束』という著書を上梓しながら、サヘルさん自身、「花束」になることはないと言う。


「私のこの人生は、お母さんがつけてくれた“砂漠に咲くバラ”という名前のように、砂漠の枯れ果てた大地の中で、凛と一輪咲いて、最後は散っていくのかな。だから、私が家族を作って、“花束”になることはきっとないのだろうなと思います」


“サヘル・ローズ”として始まった、7歳からの人生。苛烈な環境下に鮮やかな色彩を放つ一輪の花は、どんな嵐の中でもしなやかに凛と、清らかに咲き誇る。目の前のサヘルさんが、まさにそうであるように。


----------
黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション作家
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待——その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)、『母と娘。それでも生きることにした』(集英社インターナショナル)などがある。
----------


(ノンフィクション作家 黒川 祥子)

プレジデント社

「命」をもっと詳しく

「命」のニュース

「命」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ