TSMCは日本との相互発展を望んでいる…台湾人半導体ウオッチャーが「黒船を前向きに受け入れよ」と説くワケ

2024年5月14日(火)17時15分 プレジデント社

林宏文さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

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半導体受託製造世界最大手のTSMC(台湾積体電路製造)の熊本工場が開所し、年内にも量産開始が予定されている。半導体分野での日台連携はうまくいくのか。「超秘密主義」で知られるTSMCを30年間追い続け、『tsmc 世界を動かすヒミツ』(CCCメディアハウス)を出版した台湾のベテラン経済ジャーナリスト、林宏文氏に、元産経新聞台北支局長の吉村剛史さんが聞いた——。
撮影=プレジデントオンライン編集部
林宏文さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■日本と台湾は半導体分野で互恵関係にある


——半導体ファウンドリー世界最大手のTSMCが熊本に進出したことが話題になっています。半導体を軸とした日台の産業連携は成功するでしょうか。


TSMCの日本進出には明るい展望を持っています。台湾と日本は連携するうえで最良の組み合わせでしょう。かつての日本は台湾に先駆けて半導体産業を発展させた先進国でした。米中が半導体戦争を展開する中でも日台の産業配置は完全といえるほど相互に補完しあっており、互恵関係、信頼関係が築ける間柄で、これが日台産業連携での大切な基盤です。


台湾と日本は、人々の心が強く結ばれています。例えば災害時の助け合いがそうです。最近でも今年元日の能登半島地震発生を受けて台湾ではいち早く義援金募金活動が展開されました。今回日本に来てみると、日本のコンビニでも4月初めの台湾東部地震の義援金募金を展開しているのを見て感動しました。


私の父親は少年のころ日本教育を受けた世代だし、私は、日本語は話せませんが、日本の漫画を読んで育った世代。双方の間にはこうした歴史的絆もあり、それが成功の後ろ盾となるでしょう。


■日本・台湾とアメリカでは労働への考え方が異なる


——確かに熊本工場よりも先発だった米アリゾナ工場建設は遅滞していますね。


なぜTSMCアリゾナ工場建設は順調ではないのか。それは、米国とは労働に向き合う風土が違うからでしょう。労働者の規則順守姿勢は弱く、ご存知のように残業を嫌い、時間がくればパッと帰ってしまう。


TSMCは台湾でのやり方をそのままアリゾナに持っていこうとして、現地の労働組合との間で問題が生じてしまった。米国をよく理解していなかった。それが米国投資を順調に進められていない原因だと思います。どちらかといえば米国は製造よりも設計に適している。アジアこそ製造に長けており、日本、台湾、韓国、中国こそが、それを得意としていると思います。


■台湾の半導体は日本のおかげで成長してきた


「産業のコメ」である半導体技術の世界的トップランナー・TSMCは台湾では「護国神山」の異名を持つ。日本政府も総額最大1兆2000億円の補助を展開する国家的プロジェクトとして連携をバックアップする姿勢で、同社の海外展開戦略では日本が先導役を担うかっこうだ。

熊本では今年10〜12月期に国内で現在最先端となる回路線幅12〜28ナノメートル(ナノは10億分の1)の演算用ロジック半導体の量産開始を目指して準備が進む。同社は6〜7ナノメートルの先端半導体を生産する第2工場の同県内建設も決定しており、こちらも年内建設開始予定で27年末稼働開始を目指す。


——半導体が戦略物資としての重みを増すなか、生産拠点を台湾一極集中から海外分散主義に転換したTSMCにとって、熊本工場はその成否を問う試金石となりそうですね。


私は1993年以来約30年間、半導体をテーマに取材してきました。93年当時はこの産業における台湾の規模は小さく、日本こそ世界的に突出した存在でした。その後日本は技術面で衰退しましたが、日本の半導体関連での装置や材料市場はまだまだ強さを保っています。


台湾の半導体産業は日本のサプライチェーンに助けられて発展してきたのです。TSMCと日本の投資プロジェクトであるJASM(熊本工場の運営子会社)は、いわば日台双方の長年の友情の象徴でもあります。世界的な半導体戦争や地政学的要因の下で台湾の半導体業界はどのようにして発展し、今日の位置に至ったのか。大いに注目して“成功”を確実にほしい。


日本が半導体産業の復興に懸命であるこのとき、台湾が日本との産業連携を後押しできる可能性に満ちていることを、多くの日本の友人たちに知ってもらうことが肝要だと思います。


■TSMCは「王座」ではなく「顧客との相互発展」を目指す


——2月に行われた熊本工場の開所式で、TSMC創業者の張忠謀(モリス・チャン)氏が「人工知能(AI)の発展などに伴って半導体の需要は拡大すると予想され、新たな工場がさらに10ほど必要だとの見方もある」とも述べています。


張忠謀(モリス・チャン氏)(画像=總統府/Wikimedia Commons

昨今は米国が中国への先端半導体輸出の規制措置を強化している状況ですが、そういう点をとらえても台湾と日本が産業連携を深める好機だと思います。米国政府が提案する米日台韓による半導体供給網構想「チップ4同盟」というくくりがありますが、4者のなかで台湾のみ他者と違う点があります。それは、台湾がいかにこの分野で台頭しても、他者に取って代わって王座に座る思惑はないということ。


顧客との協力を通じ、相互の発展を望むのが台湾スタイルです。通常なら台頭したところは王座を狙って他者と衝突するでしょう。中国がそうです。しかし人口約2300万人、日本の九州程度の広さという規模の小さな台湾は、政治的にも国際的地位という点でも立場は弱い。同じ船に乗って相互の産業発展にひたすら注力するような、世界の顧客にとって共存共栄をもたらすよき友人でありたいと願っているのです。


■日本進出は「純粋に経済振興のため」


——顧客が成功すれば、その成果でTSMCも成長するというウィンウィンの関係を狙っていると。


実際に米中間で半導体摩擦が起きる以前の台湾の半導体産業は、中国ともうまく協力できていたのです。状況は大きく変わってしまいましたが。これからはTSMCの日本進出、産業連携によって日本での顧客である一流企業が超一流企業へと成長し、同時にTSMCも強くなるというのが理想的です。


米国の産業政策をみれば自国企業にばかり傾斜しているように見えます。インテルに対しての補助金政策など、いかにも今年の大統領選をにらんだ対策という感じ。TSMCの日本への進出、産業連携は、それよりもはるかに純粋に産業発展や経済振興のためだといえそうです。


TSMCは最先端技術に関しては台湾での開発・生産に力点を置くが、2022年12月の米国アリゾナ工場の建設記念式典で張忠謀氏が「グローバリゼーションはほぼ死んだ。自由貿易もほぼ死んだ」と述べたように、経済安全保障も重視しており、日本での展開は「台湾有事」の面からも注目されている。

今年4月3日の台湾東部地震でTSMCの台湾各地の工場は一部がパイプ破損などで稼働停止等の措置が取られたが、わずか2日後にはほぼ全面復旧した。半導体受託製造で6割のシェアを誇るTSMCの操業に支障が出れば、世界経済が混乱する可能性もあっただけに、地震による影響を最小限に抑え、業績悪化を食い止めた同社に対しての国際社会の評価は大いに高まった。


台湾では「五欠」(五つの不足)の深刻化が指摘されている。半導体工場の増え過ぎなどで水、電力、土地、現場の作業者、高度人材の五つが足りない現象を指す。TSMCは23年10月、台湾北部・桃園市で当局が拡張を進めるハイテクパークへの進出見送りを表明したが、直後に「五欠が遠因だ」との報道が流れた。


■「黒船来航」を前向きにとらえてほしい


——対日投資拡大の背景としては、どれも重要な要素ですね。自社の足らざるを補うしたたかな戦略も秘めつつ、歴史的絆や共通の価値観を後ろ盾に共存共栄を目指しているように見えます。


熊本工場での大学学部新卒採用の初任給は28万円です。これに対し「黒船がやって来た」という日本メディアの報道もありましたが、「従来の方式が否定される」という後ろ向き思考と、「これを機に近代化を成し遂げるのだ」という前向き思考の、2通りの解釈が成り立ちますね。もちろん正解は後者でしょう。


どうやって日本は変わっていくのが望ましいのか。これを好機として根本的に変わっていかないとダメだと、前向き思考でとらえてほしい。


■トヨタがTSMCに出資する意味合いは大きい


——熾烈な競争に勝ち抜いていく覚悟は重要ですね。何が鍵を握りますか?


半導体技術は継続的にアップグレードしていく必要があります。いまTSMCは2ナノから1ナノへ向けて技術開発に取り組んでいるところ。こうしたハイエンド技術を手掛けていくには年間20億ドルほど必要だとされているのです。


一般的に研究開発費は売り上げの5〜8%とされるので、絶え間ない技術革新には少なくとも年間売り上げ400億ドル以上が必須となります。実はこの規模に到達している企業は世界でTSMC、インテル、そしてサムスンの3社のみです。常に1位を目指して他者にまねできない戦略が必要で、そのためには充分な顧客基盤があり、継続的に売り上げがあげられることも企業として大事です。


撮影=プレジデントオンライン編集部
林さんに取材する吉村さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

——しっかり儲けて力を蓄え、先々を見据えた研究開発をおろそかにしてはいけないと。


TSMCの幹部が熊本進出の理由を「そこにサポートすべき顧客がいるからだ」と語ったことで、「米アップルに画像センサーを供給しているソニーに協力するためだろう」という人もいます。それもあるでしょう。


熊本工場開所式には出資するトヨタ自動車の豊田章男会長も駆け付けました。自動車産業に使用される半導体の割合は今でこそまだ小さいかもしれませんが、いずれ電気自動車(EV)が自動車全体の3割を占めるはず。トヨタがTSMCと協力する余地も大きいでしょう。


こうしたことも念頭に、TSMC熊本工場は日本の製造分野を再び活性化させていくのです。張忠謀氏は2018年、経営トップからの引退時に「TSMCの繁栄は、今後20年は続く」と展望しています。


■TSMCの9割は台湾人


——そんな自信満々のTSMCにもし課題があるとすればどのような点ですか?


もちろん台湾の企業なので国際化をはかっていくうえでの地政学的プレッシャーは常にありますし、また人材面の多元化でも課題はあります。例えばインテルという会社は、韓国人をはじめいろんな人種で成り立っていますが、TSMCは9割が台湾人なのです。そういった点も踏まえて日本進出はTSMCにとっても企業の発展と繁栄のうえでプラスになると踏んだのです。対日投資を決定し、拡大していく理由は、複合的で多岐にわたっています。


■自由と民主主義は大きな武器になる


——1990年代以降、半導体業界では設計と製造の分離が進む中、日本は設計から製造までを一貫する「垂直統合型」にこだわり続け、衰退しました。一方で台湾は李登輝元総統(1923〜2020)が巨額の出資でいち早く製造に舵を切り、現在の下地が成立しました。これらをどう評価しますか?


私の著書では、半導体戦争の視点よりも、むしろ企業と産業の発展に焦点を当てました。あえて地政学的話題に踏み込むならば、李登輝元総統と同時に、安倍晋三元首相(1954〜2022)にも触れておきましょう。安倍氏は2016年に訪米し、当時のトランプ次期大統領と会って日米同盟の強化や、自由で開かれたインド太平洋戦略について話し合いました。



林宏文(著)、野嶋剛(監修)、牧髙光里(翻訳)『TSMC 世界を動かすヒミツ』(CCCメディアハウス)

その後発足したトランプ政権は、中国との摩擦のなかで、「チップ4同盟」という構想・戦略を打ち出してきて、日米台韓のアライアンスがこの時から始まったとえます。今ではこれに欧州を加えた「チップ5」という構想も浮上していますね。


他方、台湾の半導体産業を推進し、総統退任後も「日台IoT(Internet of Things)同盟」などを提唱した李登輝氏については、半導体というジャンル以前に、台湾の自由と民主主義を進歩させた点で大いに評価できますし、尊敬もしています。


蒋介石、蒋経国父子の時代の後、台湾はすごく平和な社会に変化しました。「護国神山」の異名の通り、TSMCは台湾の守り神のような存在ですが、もうひとつの盾をあげるとすれば、それは「自由と民主主義」です。これもまた共通する価値観として、日台産業連携の大きな柱となるでしょう。


■変化を恐れない覚悟があれば成長できる


——最後に、台湾の半導体産業の隆盛の核心についてお聞かせください


台湾の半導体産業の必勝法は「3プラス1」。その詳細は本に書きましたのでぜひ参考にしていただきたいと思いますが、そのなかで日本の産業界にも大いに参考になり得る点は3つあげられます。


まずはビジネスモデルでの革新、次に企業の柔軟性と対応力、そして創業の精神です。一緒に競争しつつ、アライアンスを緊密にし、互いに強くなっていく。その中で、日本はどうやって変わっていくべきなのかはとても重要です。変化をおそれない覚悟ができたなら、まずは目の前にやってきたTSMCという名の台湾をよく研究してほしいですね。


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林 宏文(リン・ホンウェン)
経済誌「今周刊」元副編集長
1967年5月5日、台湾中西部・彰化県生まれ。新竹市の交通大学(現陽明交通大学)で電子工学を専攻したが、在学中から文章を書くことが好きで、半導体業界ではなく報道の道に進んだ。主にハイテク・バイオ業界の取材に携わりながら経済誌「今周刊」副編集長、有力経済紙「経済日報」ハイテク担当記者として、台湾の産業発展や投資動向、コーポレートガバナンス、国際競争力といったテーマを注視してきた。著書に『晶片島上的光芒(邦訳:『TSMC 世界を動かすヒミツ』/CCC メディアハウス)』、『競争力的探求(競争力の探究)』、『管理的楽章(マネジメントの楽章)』(宣明智氏との共著)、『恵普人才学(ヒューレット・パッカードの人材学)』、『商業大鰐SAMSUNG(ビジネスの大物サムスン)』など。
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吉村 剛史(よしむら・たけし)
ジャーナリスト
日本大学法学部卒後、1990年、産経新聞社に入社。阪神支局を初任地に、大阪、東京両本社社会部で事件、行政、皇室などを担当。夕刊フジ関西総局担当時の2006年〜2007年、台湾大学に社費留学。2011年、東京本社外信部を経て同年6月から、2014年5月まで台北支局長。帰任後、日本大学大学院総合社会情報研究科博士課程前期を修了。修士(国際情報)。岡山支局長、広島総局長、編集委員などを経て2019年末に退職。以後フリーに。主に在日外国人社会や中国、台湾問題などをテーマに取材。東海大学海洋学部非常勤講師。台湾発「関鍵評論網」(The News Lens)日本版編集長。著書に『アジア血風録』(MdN新書、2021)。共著に『命の重さ取材して−神戸・児童連続殺傷事件』(産経新聞ニュースサービス、1997)『教育再興』(産経新聞出版、1999)、『ブランドはなぜ墜ちたか−雪印、そごう、三菱自動車事件の深層』(角川文庫、2002)、学術論文に『新聞報道から読み解く馬英九政権の対日、両岸政策−日台民間漁協取り決めを中心に』(2016)などがある。
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(経済誌「今周刊」元副編集長 林 宏文、ジャーナリスト 吉村 剛史)

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