須田氏が共同創業者と熱く語り合ったエニグモが、収益回復に差し掛かった

2025年5月21日(水)9時44分 財経新聞

 エニグモ(3665、東証プライム市場)の収益動向が、反転の兆しを見せている。世界180カ国余に1000万人超の(購入)会員を有し、世界20カ国余りの出品者(パーソナルショッパー)との間のECサイトを展開している。

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 コロナ禍で伸びを見せたのがECだったが、エニグモの場合は2021年1月期の「営業利益30億3300万円」を境に昨25年1月期の「売上高59億2800万円、営業利益7億3900万円」までジリ貧状態を続けてきた。が今1月期は一転「113.3%増収、72.5%営業増益」計画で立ち上がった。

 そのビジネスモデルに興味を抱いたのが、起業の経緯を調べてみようというキッカケだった。現社長の須田将啓を取材した。そしてまず共同創業者がいたことを知った。以下のような話の中で起業の経緯を、須田氏のエニグモ設立に果たした「闊達さ」を実感した。

 「博報堂の同期の田中(禎人)と起業しようと、夜を徹して話し合うようになったのは2002年ぐらいだった。アイデアの出し合いに丁々発止した。海外事情に明るい田中が言い出したのが、いまのエニグモの屋台骨になっているBUYMA(バイマ)だった。田中は『海外なら3万円で買えるサーフボードが、日本では10万円もする。この差を埋めればビジネスチャンスになる』と、熱っぽかった。あいつの熱情で2004年にエニグモは生まれた」。

 「田中は新たな業を興すと言って、去った。力が抜けた」。

 が私は取材を通して「須田の闊達さ×田中氏の目利き力がエニグモを生んだ」と痛感した。須田の闊達さを私は、彼の若き頃の氏素性に痛感した。

 須田は「好きなことは、命がけでもやり抜く」タイプ。中学生の頃、好きな魚を毎日毎日食べ続け腎臓を患った。ベッドの上の身となった須田は日柄、算数ドリルと相まみえた。「算数博士という渾名をつけられた。(茨城県立)水戸一高に入ってからは無期停学(実際は10日間で解き放ち)なんかもあったけど、『数学博士』になっていた」。

 数学博士はPCやITの導入が早かった慶応大学に進んだ。大学院理工学研究所に身を置いた。須田は自らの口からは一切発しなかったが、同席した広報担当者は後日こんなメールを送ってきた。「大学院時代に須田はエニグモのシステム構築・進化に不可欠な、最先端技術を着々と身に沁み込ませていった」と。

 本稿作成中のエニグモの株価は、285円水準。年初来高値353円から4月7日の246円まで値を崩した後の戻り基調。PBR0.99倍への公式対策を発表した直後でもある。合わせて収益の戻り基調を確認する展開か・・・

財経新聞

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