ユニクロ柳井正氏が捉えた、本田宗一郎とドラッカーの共通点とは?
2024年10月18日(金)4時0分 JBpress
1984年に「ユニクロ」を立ち上げ、ファーストリテイリングを世界的な企業に育てた柳井正氏。一方、初代シビックはじめ数々のホンダ車をデザインし、本田技研工業の常務を務めた岩倉信弥氏。二人はビジネスにおけるデザインの重要性を追求した点で共通している。本連載では『一生学べる仕事力大全』(致知出版社)に掲載された対談「ドラッカーと本田宗一郎〜二人の巨人に学ぶもの〜」から内容の一部を抜粋・再編集し、組織と経営の本質に迫る両氏の対話を紹介する。
第5回は、岩倉氏のホンダ流大学改革、自分の強みに集中すること、若い世代への期待などについての対話を取り上げる。
<連載ラインアップ>
■第1回 「世界」を常に意識した本田宗一郎が、部下に繰り返し投げかけた質問とは?
■第2回 ユニクロ柳井正氏は、なぜドラッカーを読んでもピンと来なかったのか?
■第3回 「企業は誰のものか」の答えとは? 会社の本質を見抜いたドラッカーの名言
■第4回 がむしゃらに働くと、なぜ仕事は面白くなるのか?
■第5回 ユニクロ柳井正氏が捉えた、本田宗一郎とドラッカーの共通点とは?(本稿)
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ホンダ流大学改革
柳井 岩倉さんもホンダを退職後に多摩美大の学校改革をされていますよね。これはどんなきっかけからだったんですか?
岩倉 もともとは、教育なんてものについてはまったくの門外漢だったんですがね(笑)。
そもそもホンダの役員になると、「燃え尽きろ」と言われます。その取締役を10年近く務めましたから、大学からお誘いをいただいた時も「もう火がつきません」とお断りをしたんです。すると「あなたの卒業した学科は、少子化と就職難の影響で、ひと昔前は40倍あった入学試験の倍率が、半分以下になっています。このままいったら危ないんです」と言われた。
それは僕のせいではないと思いましたが、「危ない」と聞くと、ムラムラッときましてね(笑)。ホンダに長年いたせいか、危機感に自然と体が反応してしまうんです。
企業が商品をつくる時は「お客様は誰か」と決めるところからスタートします。大学の人にヒヤリングをしてみると「学生こそが大事なお客様」という答えが大半でした。「では商品は?」と尋ねると「大学のカリキュラムや充実した施設です」と言うんです。
納得しかねた私は、先生たちを集めた場でこう述べました。「大学にとっての“お客様”とは、卒業生を受け入れてくださる企業や社会、また生徒を送り込んでくださる高校や予備校です。そして大学にとっての“商品”とは、学生たちです」。
そしたら皆にびっくりされちゃったんですね(笑)。学生が商品とは不遜(ふそん)な言い方だと。最初のうちは全然理解してもらえなかったんですが、お客様には不良品を出さないように、売ってよかった、買ってよかったと喜んでもらわなくてはならない。
そして「いい材料を仕入れて、付加価値をつけて高く売る」という方針を立てて、学科長に就任した僕自らが予備校回りをし、大学のPRをするところから始めました。講義のカリキュラムも改めるなどさまざまな手を尽くし、「受験者数、または倍率を5年で倍増する」という目標を計画どおりに完遂することができたんです。
柳井 ホンダで学ばれたことが、そのまま生かされたわけですね。
岩倉 はい。いま私立の大学は定員割れでどんどん潰れていったりしています。そういう大学から指導に来てくれと頼まれるんですが、当事者に「その気」がないとね。学生が減りレベルも落ちてきて、ただ「困った困った」と騒いでいるだけ。
まずはそういった「現象」を注視する、あるいはそのための原因を探る。そして普遍的な原理を自分で見つけ出すという習慣が、教育の現場ではないんじゃないのかと感じ、僕ならばこうするということを多摩美では実践した。要するに、教育の現場をデザインしてみようと。そしてその考え方のすべては、本田さんや藤沢さんや、ホンダの先輩方から薫陶(くんとう)を受けて刷り込まれてきたものでした。
柳井 僕が本田さんから学んだのは「全員経営」と「世界一」。世界一になろうと想わない限り、絶対になれないということ。そしてもう1つは「挑戦」です。
それまではオートバイをつくって世界一になり、今度は四輪へなんて、普通考えないですよね。それもGMやフェラーリ、日本でもトヨタという巨人がいる中でですよ。でもそれに挑戦していく。しかもアメリカで工場をつくる。経営者として常識的に考えたら、こいつは頭がおかしいのか、と思われるようなことを実行した。
一方ドラッカーは「自分の強みをより強くせよ」ということとともに「企業の目的は、それぞれの企業の外にある」と述べています。
その企業の商品を使っている人よりも、使っていない人のほうが多い、我々でいえば、自分たちの店に来てもらっている人よりも、来ていない人のほうが多いという、これはすごい現実だと思うんです。
だったら、あらゆる人を自分の店の顧客にする。そのためにはどうすればいいかを考えて実行する。その範囲が広ければ広いほど、世界一になれる可能性は高まっていく。
我々は世界中の服装に合うような、いわば「部品」としての服をつくりたいと考えています。その時に、やはり日本人ならではの品質への拘(こだわ)りや、すごく丁寧な売り方をするといったこと。
そういう、日本人にとっての強みを生かすことが一番重要だと思うんです。
全員経営とグローバル・ワン
岩倉 ドラッカーは組織のあるべき姿についてさまざまな言及をしていますが、組織というのは本来、何かをやるために必要なものです。だからそのためにはどんなふうに組織があればいいのかを、常に考えていなければならない。したがってホンダでも、組織のつくり方を随分と変えてきました。
どの企業でもそうでしょうが、品質向上やコスト削減は、トップから指示を出す「縦軸」でやると一番やりやすいんですよね。でもそれを金科玉条(きんかぎょくじょう)のようにしていると、マンネリ化してきて危なくなっている企業もたくさんあります。
その商品に魅力があるとか、会社で働いていること自体がおもしろいというのは、プロジェクト制とか、SEDシステムといった「横軸」のやり方なんですね。
僕はその縦軸と横軸とが、時代を見ながら90度ずつゴロゴロと回転していくことが大切だと考えています。そしてそれができるのはトップマネジメントしかないんですよ。その会社がおもしろいなとか、いつまでもあってもらいたいと社会から思ってもらえるような会社にしたいなら、絶えず組織を動かしていかないといけません。
柳井 それはとても大事なことですね。我々の会社がモットーとしているのは「全員経営」と「グローバル・ワン」です。世界中で一番いい方法で経営をしていく、と。
世界に出ていくと、中国はこうだとか、フランスはこれが特長だ、米国はそうじゃないとか、もう言われたい放題です。でもそういうことを全部度外視して、世界中で一番いい方法で我々はやっていこう。それもたった1つの方法でやっていこうと。
いままでの企業は、外国へ出たら、それぞれのローカルに合わせたやり方でいこうという姿勢でした。でも我々は、グローバル時代における初めてのグローバル企業になりたいと思っているんです。
我々が目指すのは、世界中で通用する商品であり、人材であり、組織であり、やり方。中国で売る商品もアメリカで売る商品も全部一緒。たぶん本田さんもドラッカーも、最終的には全員経営で、グローバル・ワンを目指してたんじゃないかと僕は思うんです。だからそういうことを我々のビジネスで、ぜひ実現したいなと思います。
松明は自分の手で持て
岩倉 大切なのは、そうなりたいと想う心であり、志ですよね。本田さんと藤沢さんはそれぞれ立派なご本を出しておられますが、藤沢さんは『松明(たいまつ)は自分の手で』と『経営に終わりはない』という題をつけておられます。自分で意志を持って松明をかざし、その場を照らす。そしてそれを継続してやっていくんだと主張されている。
本田さんは『得手(えて)に帆あげて』とか『私の手が語る』とか、いずれにせよ、“手”なんですよね。
手というのは技術の世界、松明をかざすのも自分の手でやるわけで、やっぱり自分の手から離れたようなものじゃいけない、ということでしょう。
本田さんもドラッカーも、松明を自分の手から離さずに自分の足元を照らし、周りを照らし、皆を引っ張っていく、そういう「立志照隅(りっししょうぐう)」といえる生き方をしてこられた人なんだろうなと思いますね。
柳井 いいお話です。僕はドラッカーにせよ本田さんにせよ、すごくいい「想い」を持っていたと思うんですよ。そしてその想いに共鳴する人がどんどん増えていった。
特に本田さんは本当に小さな工場の中で、もともとは車なんかつくっていなかったのに「自分はこういうふうにするんだ」という志を立ててそれを皆に宣言し、そのとおりに実行した。そこに「だったら自分も一緒にその夢を追おう」という人が、世界中から集まってきたんじゃないかと思うんです。
「立志照隅」というと、何か古い言葉のようですが、僕は現在のほうがよりこういう世界になってきているんじゃないかと思うんです。
というのは、インターネットでこういうことをしたいと主張したら、世界中の人々がそれを見て、だったらこういう協力をしましょうといった動きにもなるでしょう。
岩倉 言われてみればそうですね。
柳井 うちの会社も、もともとは田舎の商店街にあった零細企業です。でもそういう所でも、そうなりたいと真剣に想えば、世界にも出ていけるし、世界一だって目指せる世の中にいまはなっている。
だからいまの自分の境遇とその夢に隔たりはあったとしても、いつかは実現できると信じるのが大事だと思うし、そのためにはまず自分がそういう世界を実現したいと想うこと。そう想わない限り何にも始まらないんじゃないかと思います。
本田さんやドラッカーは、特に若い人に期待をしていた、若い人の力を信じてたと僕は思うんです。だからいまの若い人にはぜひそういう精神を受け継いでもらいたいですし、僕自身が本田さんやドラッカーの本を読んで、自分なりの解釈をしながら会社をつくってきたように、企業経営をしている人は、そういう教えをぜひ参考にしていただきたいなと思っています。
岩倉 信弥(いわくら・しんや)
昭和14年和歌山県生まれ。多摩美術大学卒業後、本田技研工業入社。大ヒット車シビックやアコードのデザインをはじめ、日本カーオブザイヤー大賞、日本発明協会通産大臣賞、グッドデザイン大賞、イタリアピアモンテデザイン大賞など受賞歴多数。その他の代表作にアコード、オデッセイなど。デザイン室の技術統括、本田技術研究所専務、本田技研工業常務などを歴任。平成11年同社退職後、多摩美術大学教授就任。16年立命館大学経営学博士。22年より多摩美術大学名誉教授。
柳井 正(やない・ただし)
昭和24年山口県生まれ。早稲田大学卒。46年早稲田大学卒業後、ジャスコ入社。47年ジャスコ退社後、父親の経営する小郡商事に入社。59年カジュアルウエアの小売店「ユニクロ」第1号店を出店。同年社長就任。平成3年ファーストリテイリングに社名変更。11年東証1部上場。14年代表取締役会長兼最高経営責任者に就任。いったん社長を退くも17年再び社長復帰。
<連載ラインアップ>
■第1回 「世界」を常に意識した本田宗一郎が、部下に繰り返し投げかけた質問とは?
■第2回 ユニクロ柳井正氏は、なぜドラッカーを読んでもピンと来なかったのか?
■第3回 「企業は誰のものか」の答えとは? 会社の本質を見抜いたドラッカーの名言
■第4回 がむしゃらに働くと、なぜ仕事は面白くなるのか?
■第5回 ユニクロ柳井正氏が捉えた、本田宗一郎とドラッカーの共通点とは?(本稿)
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筆者:藤尾 秀昭