バブル崩壊やリーマン・ショック…金融業界の荒波で所有者転々の「心斎橋ビル」、半世紀の歴史に幕

2025年5月22日(木)8時20分 読売新聞

心斎橋ビル前で思い出を語る市岡さん(右)と山本さん(4月16日、大阪市中央区で)=前田尚紀撮影

 関西アーバン銀行(現関西みらい銀行)本店などとして金融機関の拠点となっていた大阪・心斎橋の「心斎橋ビル」の解体工事が、今春から始まった。バブル崩壊後の金融危機やリーマン・ショックといった荒波に見舞われ、次々と変わった所有者と刻んだ約半世紀の歴史に幕を下ろし、商業施設に生まれ変わる。(升田祥太朗)

 ビル(地上16階、地下3階、延べ約2万5000平方メートル)は1974年に建てられた。大阪メトロ御堂筋線心斎橋駅の西側の御堂筋沿いという好立地にある。

 バブル経済さなかの89年、旧日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)が大阪支店として利用し始めたが、バブル崩壊後の経営難で97年に売却。その後、不動産会社が所有していた。

 2003年に新たな所有者となったのは関西銀行だった。翌04年、長引く不況の中で経営基盤を強化するため、関西さわやか銀行と合併し関西アーバンになると決まっており、本店として活用するためだった。

 04年11月に開業した本店は、「広告塔」として行き交う買い物客らを取り込む、銀行店舗としては異例の戦略を取った。数十億円の改装費をかけ、カフェやテレビ局のサテライトスタジオ、富裕層向けラウンジなどを設け、音楽コンサートも開いた。

 関西アーバン元幹部で、ビルの取得や改装を担当した市岡和人さん(59)は「当時、こうした発想は珍しく、『都市型地銀』としてのイメージ向上に貢献した」と語る。

 ただ、関西アーバンはリーマン・ショックで生じた不良債権処理のため、09年にビルの売却を迫られた。関西みらい執行役員の山本圭一さん(54)は「いつか取り戻せるように自分の仕事をしっかりこなそうと思った」と振り返る。売却後も賃料を払って入居を続け、業績が回復した15年に買い戻した。

 関西アーバンは19年、近畿大阪銀行と合併して関西みらいとなり、同じ大阪市中央区にある親会社のりそなホールディングスの本社ビルに本店機能を移してきた。心斎橋ビルは老朽化が進んでおり、周辺で空きテナントが不足していることから、有効活用のため取り壊されることになった。

 ビルは、土地も含め関西みらいなどが出資する特定目的会社に売却され、跡地には、28年末の開業を目指し低層の商業施設が建てられる。関係者によると、将来的には、周辺の老朽化した建物と合わせ、さらに規模の大きい再開発につなげる構想もあるという。

ヨミドクター 中学受験サポート 読売新聞購読ボタン 読売新聞

「心斎橋」をもっと詳しく

「心斎橋」のニュース

「心斎橋」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ