BEGINはブルース路線ではなく島唄だと思えた米国での経験 上地「2000年代の沖縄ブーム…時代に応援された」 比嘉「《沖縄と本土の架け橋になる》夢は叶えられたかな」
2025年3月21日(金)11時59分 婦人公論.jp
右からBEGINの島袋優さん、比嘉栄昇さん、上地等さん(撮影:木村直軌)
1990年にデビュー曲「恋しくて」が大ヒット。その後も「涙そうそう」「島人(しまんちゅ)ぬ宝」「笑顔のまんま」「海の声」など、沖縄の魂を感じさせる楽曲を作り続けてきたBEGIN。石垣島の小学校の同級生3人で結成されたバンドは、3月21日にデビュー35周年を迎える(構成:丸山あかね 撮影:木村直軌)
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<前編よりつづく>
島唄は日本の誇り
島袋 当初はサポートメンバーがついて、大きなホールでコンサートを開催してたけど、だんだん集客できなくなっていって、「ですよね……」って感じだった。
上地 悲愴感はなかったよね。
比嘉 事務所の人に悪いなって気持ちはあったけど、小さなライブハウスで歌うようになってからのほうが楽しかった。3人で車に乗って全国を回りながら、コレコレ、この牧歌的な感じを求めてたんだよって。
島袋 「涙そうそう」の作曲を手掛けたりしつつ、ライブ活動は淡々と続けてたけど、潮目が変わったのは2000年。『ビギンの島唄 オモトタケオ』というアルバムを出したのがきっかけだった。反響がすごくて。
上地 沖縄と日本本土の距離感が縮まったのを感じて嬉しかったな。
比嘉 同時に、こんな日が来るとは思ってなかったという驚きもあった。だって、上京して土木関係の日雇いのバイトをしてた頃は、ウチナーンチュは外国人の列に並ばされてたんだから。誰も悪気なんてないんだけど。
上地 僕らが4歳の時に本土復帰するまで沖縄はカリフォルニア州だったけど、僕ら世代は日本人だと思って暮らしていたから、東京に来て違和感を抱くことは多かった。
比嘉 「沖縄の人って日本語喋れるんだ」って言われて愕然としたこともあったよ。
島袋 あの頃から栄昇は言ってたよね。「沖縄も日本なんだと証明するために、きれいな日本語で歌うバンドになろう」って。
比嘉 いつか琉球音楽とブルースを融合したオリジナルな歌を日本中の人たちに届けて、沖縄と日本本土の架け橋になりたいって使命感に燃えてた。誰にも頼まれてないのに。(笑)
上地 デビュー前、ライブで島唄をやったら、お客さんから「民謡はいらない」とか言われたりもしたけど、2000年代に入ると突如として沖縄ブームが巻き起こって。僕ら、時代に応援されたなと、つくづく思う。
「3人でいると、いろんな新しいことに出会えて、自ずと今やるべきことが見えてくる。これからも先のことは決めないで、自然の流れに委ねていきたいね」(島袋さん)
比嘉 でも僕のなかでは、本格的な島唄は封印してた。1学年上の新良幸人(あら・ゆきと)、同級生にも大島保克(おおしまやすかつ)がいて、伝統的な沖縄音楽を継承するのは2人だと思ってたから。
島袋 僕らはブルース路線でって決めてたけど、93年にレコーディングでアメリカのナッシュビルへ行った時、メンフィスまで足を延ばして打ちのめされた。ブルースはこの土地の人たちの音楽なんだって。
上地 だったら僕たちの音楽は、島唄だと。
比嘉 僕はB・B・キングが経営するライブハウスで、店の人に「日本から来たプロのミュージシャンだって? 1曲やってみないか」って上から目線で言われた時に開眼した。
日本人を舐めんなよとカチンときて、「30分演奏させてくれるなら」って応えたけど、そこから人生史上最高速度でセットリストを考えて、結果、浮かび上がったのは、喜納昌吉(きな・しょうきち)さんの「花」とか、保克と作った「イラヨイ月夜浜」とか、島唄ばかりだった。で、そういうことかと。
島袋 ここでブルースやっても歯が立たない、でも日本には島唄がある。結局、30分は無理と言われてやらなかったけどね。
比嘉 内心、あぁよかった〜って(笑)。でも、あの経験を経て、島唄ってブルースに負けてねぇんじゃね? むしろ勝ってね? って思うようになった。で、僕ら島唄をやらざるをえないので、どうかやらせてくださいっていう気持ちになったんだよね。
人の心の栓抜きみたいに
島袋 沖縄からの移民の方がたくさん住んでるブラジルでの公演で島唄をやって、逆にマルシャ(サンバの原型)のリズムからエネルギーをもらったり。3人でいると、いろんな新しいことに出会えて、自ずと今やるべきことが見えてくる。これからも先のことは決めないで、自然の流れに委ねていきたいね。
比嘉 それしかないでしょ。今年は、3月に大阪城ホールと日本武道館で開催するBEGIN 35周年記念公演「さにしゃんサンゴSHOW!!」を皮切りに、ライブを中心とした感謝の年にしたいと意気込んでる。
上地 石垣島の方言で「嬉しい」を意味する「さにしゃん」と銘打ったからには、会場中で歌って踊ってどんちゃん騒ぎだね。
比嘉 せっかく歌うなら人の役に立ちたいっていうのがあって。たとえば近頃の若い人は、「どっかに出かける意味ってあんの?」とか言う。それに対して僕らはうまく答えられない。何が正解なのかわからないけど、とりあえずマルシャのリズムで踊ったら靴底減るぜって、つまり生きる喜びを伝えたいんだよ。
島袋 BEGINは人の心の栓抜きみたいな存在でありたいと、いつも話してる。
比嘉 世界中のみんなが僕らの音楽を、喜びを分かち合うための道具にして、笑顔になってくれたら最高だよね。
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