『魔女の宅急便』の「あたしこのパイ嫌いなのよね」の意味を徹底考察。少女は果たして“悪い子”なのか

2024年3月22日(金)19時40分 All About

アニメ映画『魔女の宅急便』で地上波放送のたびに話題になるセリフ「あたしこのパイ嫌いなのよね」について解説・考察します。「実は悪い子ではないのでは?」と思えることも重要なのです。(サムネイル画像出典:(c)1989 Eiko Kadono/Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, N)

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2024年3月22日、金曜ロードショー(日本テレビ系)にて、角野栄子による児童書を原作としたアニメ映画『魔女の宅急便』が放送されます。

社会で女の子が遭遇するであろう、普遍的な物語に

宮崎駿監督が『魔女の宅急便』の出発点として考えたのは、「思春期の女の子の話を作ろう」ということ。制作意図は「日本の、僕らの周りにいるような地方から上京してきて生活しているごく普通の女性たち。彼女たちに象徴されている、現代の社会で女の子が遭遇するであろう物語を描く」ことだったそうです。

考えてみれば、劇中のファンタジー要素はほぼ「魔女がほうきに乗って空を飛ぶ」「お母さんが魔法の薬を作っている」くらいですし、「新しい場所での出会いや戸惑い」「悩みつつも仕事へと向き合う過程」が示される、かなり普遍的かつ現実的な物語といえます。
キャッチコピーの「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」は、主人公のキキのみならず、新生活を始めた人の多くがいつかはたどり着く、前向きな心情でもあるのでしょう。

そして、劇中でキキが特に落ち込んでしまったこと、人によってはほとんどトラウマのように語られているのは、「あたしこのパイ嫌いなのよね」というセリフです。
表面的にはなんともイヤな気分になってしまうセリフですが、「それだけではない」ことが重要だとも思うのです。その理由を、宮崎駿監督の言葉も踏まえつつ、分析してみましょう。
※以下からは映画『魔女の宅急便』のクライマックスを含む内容に触れています。ご注意ください。

女の子はずぶ濡れのキキを気遣っていた?

キキが届けようとしたのは、老婦人からの「孫のパーティーのための」「温かい」「自慢の料理であるニシンとカボチャの包み焼き」。それは電気で動くオーブンが温まらないため、キキがまきを集めて昔ながらのオーブンに入れ込む手伝いをして、苦労してやっと焼き上げたもの。しかも、キキはトンボから誘われたパーティーに間に合うよう、雨に濡れて冷めないよう、急な雨の中で必死で届けようとしていました。

そうであるのに、その孫である女の子に言われたのは(家の中に向かって)「おばあちゃんからまたニシンのパイが届いたの!」(独り言のように)「あたしこのパイ嫌いなのよね」だったのです。ジジは「今の本当にあの人の孫? ベーッ!ベッ!」と言っていますし、冷たい対応だと思う人は多いでしょう。

しかし、その直前に女の子がキキにかけていた言葉は「まあ、ずぶ濡れじゃない」「だから、いらないって言ったのよ」でした。彼女はキキが「ずぶ濡れになってまで届けに来た」ことを気にしている、それは「目の前のキキにここまでさせてしまった」ことに対する罪悪感から出た言葉かもしれないのです。

女の子は「その前の苦労」を知らない

しかも、この女の子はキキが昔ながらのオーブンとまきを使ってパイを焼き上げたことも、パーティーの予定があったことも知りません。観客およびキキとジジからすれば「こんなに苦労して届けたのに、なんてことを言うんだ!」と怒りたくなるほどの過程があったとしても、(嫌いなパイを)届けられた本人からすればただうんざりして、つい文句かつ独り言をこぼしてしまうことは、現実にもあることかもしれません。

この女の子の言葉からは、シンプルに届け物をする仕事に対するリスペクトや気遣いを、反面教師的に学べるでしょう。もちろんこの時のキキのように、配達する人が届け物に特別な思いがある場合なんてそうそうないでしょうが、雨の中で濡れたりしながらも、誰かからの気持ちがこもったもの、はたまた自身が楽しみにしているものを届けてくれる人は、たくさんいます。
少なくとも、「ずぶ濡れ」という目の前の事実を言うだけでなく、「雨の中、ありがとうございます」と簡単に感謝を告げてみてもいいはずです。

仕事ではよくあることだし、大したことじゃない

キキはショックを受けて、トンボが雨の中でパーティーの迎えに来ていたのに、「もういいんです、このなりじゃ行けないもの」と言って、体を拭かないままそのまま寝込んで風邪を引いて、「私、このまま死ぬのかしら」とつぶやき、おソノさんに「ハハハ! ただの風邪よ、薬を持って来てあげる。それに、何か食べなきゃダメね」と笑われます。

この過程からは、ストレートにキキは「気にしすぎ」であり、(大人からすれば)「大したことじゃない」と示されています。それは以下の宮崎駿監督の言葉にも表れているので、長めに引用しておきましょう。
「老婦人のパイを届けた時に、女の子から冷たくあしらわれてしまうわけですけど、宅急便の仕事をするというのは、ああいう目にあうことなんですから。特にひどい目にあったわけじゃあなくてね、ああいうことを経験するのが仕事なんです。(中略)僕らだって宅急便のおじさんが来た時に『大変ですねぇ、まあ上がってお茶でもどうぞ』なんて、いちいち言わないじゃないですか(笑)。ハンコをわたして、どうもご苦労さん、それで終わりでしょ」
「僕はあのパーティーの女の子が出てきた時のしゃべり方が気に入ってますけどね。あれは嘘をついていない、正直な言い方ですよ。本当にいやなんですよ、要らないっていうのに、またおばあちゃんが料理を送ってきて、みたいな。ああいうことは世間にはよくあることでしょ。それはあの場合、キキにとってはショッキングで、すごくダメージになることかもしれないけど、そうやって呑み下していかなければいけないことも、この世の中にはいっぱいあるわけですから」
※引用:『ジブリの教科書5 魔女の宅急便』(文藝春秋/2013年)78〜79ページより
これらの言葉からもキキはやはり過剰にショックを受けすぎ、「こういうことは仕事で少なからず経験するものだよね」と改めて思うのですが、その後にキキはトンボとプロペラのついた自転車に2人乗りした後に笑い合ったりもします。

それでも、キキはトンボが仲間たちと話している(その中には「あたしこのパイ嫌いなのよね」と言った女の子もいて「あの子知ってる! 宅急便やってる子よ!」と周りに教えている)のを見て、一方的に離れて行ったりもしていて、やはり落ち込んだり立ち直ったりしてばかりです。
やっぱりキキはいろいろなことを気にしすぎですし、簡単には成長もしません。それでも、それは彼女がこれから少しずつ「折り合い」をつけていくための、仕事のみならず人生で「必要な過程」にも思えるのです。

仕事への感謝と善意を示す老婦人の優しさ

さらに、老婦人は再びキキに届けものを頼むという体裁で、「それ(ケーキ)をキキという人に届けてほしいの、この前とってもお世話になったから、そのお礼なのよ」「ついでに、その子のお誕生日を聞いて来てくれるとうれしいんだけど。またケーキを焼けるでしょう?」とも言ってくれました。

ここで示されるのは、キキのお届けものの仕事に対する善意です。老婦人は事前にキキの好みを聞いたりはしておらず、ともすれば表面的にはパイを嫌がる孫への対応にも似た、一方的な行動かもしれません。それでも「仕事をしてくれた」ことそのものへの感謝を、「仕事を通じて」示してくれた老婦人のこの言葉は、キキにとってどれだけうれしかったでしょうか。

仕事でスランプに陥っても、きっと大丈夫

また、絵描きの少女ウルスラが、急に空を飛べなくなるという「スランプ」に陥ったともいえるキキに対して、「描いて、描いて、描きまくる!」「(それでもうまくいかなかったら)描くのをやめる。散歩したり、景色を見たり、昼寝したり、何もしない。そのうちに急に描きたくなるんだよ」という言葉は、才能を生かした仕事に就くも、悩んだり壁にぶつかったりした人にとっての金言となり得るでしょう。

総じて、『魔女の宅急便』は「仕事で落ち込んだり、自身の才能について悩んだりしても、きっと大丈夫」だと言ってくれる、優しい作品だとも思うのです。

当初の予定とは違ったクライマックスがもたらしたもの

実は、絵コンテと作画の作業を進めている段階では、映画のラストについて、メインスタッフからは「キキが老婦人からケーキをプレゼントされるシーンで終わったほうがいい」という意見が大勢を占めていたのだそうです。

それでも、鈴木敏夫プロデューサーは「宮さん(宮崎駿監督)がやるなら、必ず面白いシーンになるはず」「しんみり終わる映画もあっていいけど、娯楽映画というのは、やっぱり最後に“映画を見た”という満足感が必要なんじゃないか」「そのためには、ラストに派手なシーンがあったほうがいい」と考えて反対をしていたスタッフたちを説得し、飛行船にまつわるアクションがクライマックスに置かれたのだとか。
個人的には、このクライマックスで物語に与えたポジティブな効果は、それだけではないと思います。何しろ、それ以前のキキはお届けものの仕事を始めても、まだ街の人の多くから受けいれられてはいない立場だったのですから。

キキが全身全霊でトンボを助けようとする様がテレビで放送され、多くの人が彼女の空を飛ぶ才能を見届けたことは、キキにとって今後の希望に(もちろん仕事の宣伝にも)つながる出来事だったはずです。
そして、そのキキの奮闘は「あたしこのパイ嫌いなのよね」と言った女の子にも届いています。彼女は、仲間と共にトンボを救おうとしていたキキを、その後のエンディングでは飛行機で飛ぶトンボも応援していたのですから。やはり彼女は(デリカシーには欠けているものの)本質的には誰かを気遣ったり、時にはみんなと一緒に頑張る人の応援したりすることができる、素直な普通の女の子でもあると思うのです。

先輩魔女も実はいい人?

最後に、序盤に登場する印象的なキャラクターの「先輩魔女」についても記しておきましょう。地上波放送のたびによく話題になるのは、「先輩魔女はイヤな人のように見えるけど、実は的確なアドバイスをくれる、すごくいい人なのでは?」という考察。『からかい上手の高木さん』で知られる山本崇一朗による二次創作漫画にも、多くのいいねがついていました。
例えば、先輩魔女の言う「その音楽、止めてくださらない? 私、静かに飛ぶのが好きなの」は「他者にとってはわずらわしく思うことはある」と示しているともいえますし、「そりゃあね、いろいろあったわ。でも私、占いができるので、まあまあやってるわね。近ごろは恋占いもやるのよ」は、特技(才能)をうまく活用する術を教えているともいえます。
何より、「私はもうじき修行があけるの! 胸を張って帰れるのでうれしいわ。あの街が私の街なの。大きくはないけど、まあまあってところね! あなたも頑張ってね!」からは、自分の経験を踏まえて、ストレートにキキのこれからの生活を応援する気持ちがはっきりと表れているのではないでしょうか。

「あたしこのパイ嫌いなのよね 」と言った女の子もそうですが、キャラクターそれぞれが一面的ではない、ほんの少しの言動から多様な見かたができるというのは、優れた作品である1つの証拠ともいえます。ぜひ、繰り返し見て、新たな発見をしてみてほしいです。
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。(文:ヒナタカ)

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