「息子たちに稽古をつけていると父・中村勘三郎の言葉が甦る。常に歌舞伎界全体の未来を考えていた父の背中を追って」【勘九郎×七之助】

2024年3月26日(火)12時29分 婦人公論.jp


兄の中村勘九郎さん(左)と、弟の七之助さん(右)(撮影:岡本隆史)

十八世中村勘三郎さんが亡くなってから今年で12年。息子の中村勘九郎さん、七之助さんは、十三回忌追善興行の真っ最中です。ともに舞台に立つ子どもたちの成長を眺めながら、2人の胸に去来する思いとは——(構成=篠藤ゆり 撮影=岡本隆史)

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<前編よりつづく>

皆さんに支えられ全国巡業20年


勘九郎 息子たちに稽古をつけていると、僕らが昔、父から指摘されたことが甦るんだ。気になるなぁと思って注意するのは、たいてい僕たちも言われていたことだし。

七之助 父は礼儀にも厳しかった。たとえば今、長三郎がやっている『連獅子』の時は、小道具の受け渡しとか、お客様には見えないところでの礼儀も厳しく言われた。そういうことは、後々本当に役に立つ。芸だけではなく、そういう精神も、代々受け継がれていくんだろうね。

勘九郎 父は伝統をすごく大切にしつつ、コクーン歌舞伎や平成中村座など、新しいチャレンジもたくさんしてきた。新作に取り組む際のセンスもよかったよね。

七之助 たとえば1996年には、コクーン歌舞伎第2弾として笹野高史さんに出ていただいた。当時、歌舞伎役者以外が歌舞伎に出演することに対して風当たりが強かったし、劇評でも酷評されたみたいだけど、今はそんなことを書く評論家はいない。野田秀樹さんとの出会いから生まれた新作『野田版 研辰(とぎたつ)の討たれ』も高く評価されたし、企画力や思いを実現させる力が本当にすごい。

勘九郎 「人」を大事にし、本当に真面目に人とつきあっていたからこそ、新しい扉が開けていったんだと思います。

七之助 僕らは、そういう父の背中を見て育ってきました。「人」が大事だという精神も、受け継いでいるつもりです。

勘九郎 父は常に歌舞伎界全体の未来を考えていました。今はさまざまな娯楽があるなかで、歌舞伎を選んでもらわなくてはいけない時代だから大変。若い人や今まで観たことのない人たちにいかに歌舞伎に関心を持ってもらうかも、大きな課題です。

七之助 だからこそ、なるべく多くの方に歌舞伎に触れていただくため、僕らは05年から全国巡業を行っています。

勘九郎 普段、歌舞伎を観ることができる劇場は限られています。だったら自分たちが足を運ぼう、と。

七之助 始めた頃は20代前半ということもあり、僕らだけの公演で果たしてお客様が入ってくださるのか、正直、不安でした。でも、全国の皆さんに支えられて……。

勘九郎 22年には、47都道府県すべてでの開催を達成できました! 20年目を迎える今年は父の十三回忌追善ということで、勘太郎や長三郎も参加する「陽春歌舞伎特別公演」と、僕たち兄弟が中心の「春暁歌舞伎特別公演」で全国21ヵ所を回らせていただきます。


「やはり初めて観た時、〈難しかった〉〈よくわからなかった〉となるのは絶対に嫌なので、面白くて興奮していただけるもの、記憶に残るものをお届けするよう心掛けています」(勘九郎さん)

七之助 巡業では毎回トークコーナーから始まるのが恒例。

勘九郎 演目の説明や今後に向けてのお話などをするほか、質疑応答の時間があって、これが僕たちも楽しみなんです。

七之助 お客様から「ここにぜひ行ってほしい」とか「これを食べてほしい」といった提案をいただいたりすることも。その情報をもとに、兄と食べに行ったりもしています。

勘九郎 巡業中は、ほぼ毎日移動。42歳になって、「移動が大変」と感じるようになりました(笑)。最近ぎっくり腰になったこともあり、腰痛が……。でも「役者は3日やったらやめられない」とよく言うけれど、不思議なことに板の上に立ってお客様の拍手や笑い声を受けると、疲れが吹っ飛ぶ。

七之助 今回の巡業先には、愛媛の内子座や熊本の八千代座、岐阜の相生座など、古い劇場も含まれています。父が香川・琴平町の金丸座の建物を見て、「芝居小屋は芝居で息を吹き込まなければ、いつかなくなってしまう」と強く思ったことから、紆余曲折を経て、金丸座でこんぴら歌舞伎ができるようになった。

父の襲名時にも各地の芝居小屋を回らせてもらいましたが、ホールで演じるのとはまた違った魅力がありますね。

記憶に残るものをお届けしたい


勘九郎 トークコーナーで毎回、「生で初めて歌舞伎を観る方、手をあげてください」と言うと、7割くらいの方が手をあげる。やはり初めて観た時、「難しかった」「よくわからなかった」となるのは絶対に嫌なので、面白くて興奮していただけるもの、記憶に残るものをお届けするよう心掛けています。

七之助 それをきっかけとして、一人でも多くの歌舞伎ファンが生まれてほしい。それが、歌舞伎の未来に繋がるので。

勘九郎 20年に新型コロナという私たち全員の敵が現れて、芝居は不要不急なものだと言われました。その危機はなんとか乗り越えたけれど、その間に歌舞伎から離れたお客様がなかなか戻ってこない、という現実があります。

七之助 確かにそれはあるよね。

勘九郎 それに今年は、お正月からいろいろなことがありました。去年、巡業で訪れた石川県と富山県も地震の被害に遭って……。お世話になった人たちや見に来てくださった方々が苦しい思いをされている。お正月に起きた北九州・小倉の火事では、僕らが小倉に行くたびに食べに行っていた中華料理店が全焼してしまいました。でも僕たちは、舞台の上から発信することしかできません。

七之助 おこがましいかもしれませんが、演じ続けることでみなさんを応援するのが僕たちの仕事であり、生きがい。そして、僕たちが諸先輩方や父から教わったことを、次の時代に繋いでいかなくてはいけない。

勘九郎 この先も僕たちは、父が生前に築いてくれた船に乗って、一生、信じた道を進んでいきます。

婦人公論.jp

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