林家木久扇「55年も『笑点』を続けられたのは、妻のおかげ。卒業後は寄席に出ながら、アニメ『落語スター・ウォーズ』を作りたい」

2024年3月31日(日)12時30分 婦人公論.jp


「07年に木久蔵の名前を息子に譲って、僕が木久扇になる《W襲名》を考えたのも話題作りのためでした」(撮影:木村直軌)

半世紀以上にわたりお茶の間で親しまれている演芸番組『笑点』。その初期からレギュラーメンバーとして出演し、黄色い着物が目印の林家木久扇さんが、2024年3月で番組から卒業することを発表しました。その理由を訊ねてみると(構成=山田真理 撮影=木村直軌)

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<前編よりつづく>

誰かが入り口で宣伝マンをやらないと


僕は日本橋の商家の生まれで、両親が離婚して母がお金で苦労したのを見てきたので、「お金は大事」ということが身に染みています。なにしろ大好きな言葉が「入金」ですからね(笑)。芸人はお金の話をするもんじゃないとか、貧乏暮らしが芸を磨くなんてことはあまり信じていないんです。

07年に木久蔵の名前を息子に譲って、僕が木久扇になる「W襲名」を考えたのも話題作りのためでした。息子が真打に昇進する時、「何か希望はある?」と聞いたら「有名になりたい」って(笑)。それにはどうしたらいいか2、3日頭を悩ませて、僕は顔も売れているし、名前を譲っても仕事的に問題はないだろうと考えた。

親子で「W襲名」なんて、落語はもちろん歌舞伎の世界でも前例がありません。テレビ各局のニュースはもちろん、「新幹線の電光掲示板にも流れたぞ」って友だちが電話で教えてくれるほど大きな話題を呼びました。

僕の新しい芸名を『笑点』で公募したら、3万通以上も応募があって、そこから「木久扇」に決めた。そうした話題性もあり、また親子の物語として皆さんの人情に訴えたことで(笑)、W襲名のお披露目興行は全国80ヵ所、最終的に200万人以上のお客様を集める大入り満員・大成功となりました。

親、子、孫の三代で高座に


そこで初めて落語というものを生で観たというお客様も多かったと思います。落語は奥が深い世界だけど、誰かが入り口で宣伝マンをやらないと中へ入ってきてくれない。その役ができたことも僕は嬉しく思いました。

木久蔵の息子のコタも、小さい頃から落語に興味を持っていましてね。まあ自分ちの商売ですから、「やってみたい」と言うので小学生の時からぼつぼつ僕が教えてきました。9歳の時には親、子、孫の三代で高座にも上がったし、高校1年生の現在では5つくらいの演目をしゃべれるようになりました。

とはいえコタは落語を「やりたい」だけで、落語家に「なりたい」わけじゃない。僕らからも強制はしないつもりです。そもそもマイナーな商売なのに、その割に人数が多いんです。僕が落語協会に入った当時は70人だったのが、今や東京だけで600人近くもいる。

東京に4つしかない寄席に出るだけでも大変ですし、テレビの演芸番組もすでに名前が売れている人や、将来性のある人がピックアップされて出ている状況だからです。

コタは歴史が好きで、趣味は城跡をめぐること。こないだも友だち4人で城跡に行くというから、「どこの城?」と聞いたら掛川城ですって、渋いでしょう。好きな武将も大名も、という四国の地味な大名でね。そういう好きな道をまずは極めて、それを落語で培った話芸で面白く語れる人になるなんて道もいいんじゃないかと僕は思っています。

妻をホッとさせてあげたい


今まで支えてくれた《おかみさん》——妻には本当に感謝しかありません。バルセロナ・オリンピックで一儲けしようと現地にラーメン屋を開いて失敗したり、タイからゾウを輸入しようとしてワシントン条約に引っかかって持ち込めなかったり(笑)。

そんなこんなでお金の苦労もかけたし、何より『笑点』を55年続けられたのは、妻が僕の健康を守ってくれたおかげ。今回の卒業も、妻をホッとさせてあげたい気持ちがあるんです。

僕は意外と体が弱くて、40歳になる前年に腸閉塞、63歳では胃がんを経験しています。77歳の時、どうも声が変だな、喉風かなと思っていたら、妻が、「それって風の声じゃないわよ」と。すぐに病院で検査を受けたら喉頭がんとわかって。治療もうまく進んで、商売道具の声を失わずに済みました。

疲れは自覚ができるけれど、僕の様子を親身になって観察してくれるのは長年一緒にいる夫婦だからこそ。だから妻のアドバイスは、必ず聞くようにしています。

お医者さんやリハビリの先生の言うこともよく聞く、真面目ないい患者なんですよ(笑)。3年前に大腿骨を骨折して車いす生活になるかもと言われましたが、地道にリハビリに励み1ヵ月で退院。翌月には椅子に座って高座にも上がりました。

現在も自分の体に合わせた個人指導のトレーニングに週1回通い、自宅でも加圧ベルトをしながら筋トレを続けたおかげで、小走りができるまでに回復しました。

『笑点』卒業を発表した後は


もう一つ、僕が元気でいられるのは「笑い」のおかげ。笑いは認知症を遠ざけると言いますが、それは笑いが脳を活性化して元気づけるからだと思います。

僕は高座に上がる前、楽屋の鏡に向かってにっこり笑う。すると「今日の出演者の中で僕が一番面白い」「絶対にお客さんの心をつかむぞ」という気持ちで出ていけるんです。笑うと、嫌なことも忘れられますよね。

僕はバルセロナのラーメン屋で大失敗した時も、「スペイン人は猫舌で、あつあつのラーメンが来ても冷めるまで待つから麺がのびちゃう」「割り箸の使い方がわからず、棒のままくるくる麺を巻いてる人がいた」なんて話をぜんぶ落語にして笑いに変えちゃった。皆さんも、レストランの食事が美味しくなかったと怒るより、「こんなひどい味だった」と面白おかしくしゃべれば、周りも笑顔になって一石二鳥だと思いますよ。

『笑点』卒業後にできる時間を使って、これからやりたいことは山ほどあります。まず、美味しいものが好きな妻への恩返しで、日本海のカニとか関西の牛肉とか、美味しい名物の食べ歩き旅をしたい。旅といえば、バルセロナのラーメン店の跡地がどうなっているか確かめに行きたいという夢もある。(笑)

落語家の前は漫画家の弟子をしていたくらい絵が好きだし得意だから、それを生かして「落語スター・ウォーズ」というアニメを作りたい。ラーメン屋のロケットを宇宙に飛ばして、宇宙人がお箸の使い方がわからなくて大騒動とか。最初は5分くらいの短いアニメを作って、テレビで放送されたら嬉しいなって。それが僕のワクワクですね。

それから、『笑点』卒業を発表したら、落語家も引退と思っている方もいるようですが(笑)、そんなことはない。寄席にも出ますし、呼ばれればどこへでも行きますよ。今後とも林家木久扇をよろしくお願いいたします!

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