イチロー、「51」から変わる可能性があった背番号とは「94年が終わった後に…」
2025年4月5日(土)17時30分 マイナビニュース
シアトル・マリナーズ球団会長付特別補佐/インストラクターのイチロー氏が3月28日、YouTubeチャンネル『パワプロ・プロスピ公式チャンネル』で公開された動画「新・松井秀喜登場記念! 松井秀喜×イチロー特別対談【プロ野球スピリッツA】」に登場。「51」から変わる可能性があった背番号を明かした。
○“51”から変わる可能性があった背番号
動画序盤、松井秀喜氏の背番号について話す流れに。王貞治氏の最多本塁打記録(当時)にあやかってつけられたことで知られる番号だが、イチロー氏が「55って覚悟してつける(背番号)」「時にもう、その覚悟がなきゃ受け入れられない」「後で聞かされるわけじゃないでしょ?」と質問。
これに松井氏は「そうですね、その時に聞かされましたけど」と返した上で、「でも当時、まだ50番台に対する期待の番号みたいな(雰囲気はなかった)」「ジャイアンツの場合、レギュラーを取ると、みんな一桁に変わっていくというイメージがあったので、逆に王さんとの繋がりっていう意味では期待値なんでしょうけど、でもまだ50番台に対する、そこまでのプレッシャーみたいなものはなかったですけどね」と振り返った。
また、イチロー氏が「何年かやってさ、番号を変える変えないとかって話も一切なかった?」と聞くと、松井氏は「なかったですね。ゼロです」「球団からも自分からも一度もないですけどね」と返答。すると、イチロー氏は「僕は210本打った年、レギュラーの1年目の94年が終わった後に、『7番どうだ?』って。福本さんの番号がね、阪急だから」と、世界の盗塁王である球団OB・福本豊氏がつけていた7番を打診されたことを告白することに。
しかし、「51番をせっかく覚えてもらったんだから、そっちのほうがもったいないと思って。そっからは一切ない」と、背番号「51」にこだわったことを明かしていた。
【編集部MEMO】
日本では7年連続首位打者に輝いたほか、1994年には当時のNPB記録のシーズン210安打をマークするなど球界を代表する選手として活躍したイチロー氏。27歳でMLBマリナーズに入団すると、MLBでは19シーズンをプレーし、首位打者2回、盗塁王1回、MVP1回のタイトルを獲得。2004年には、MLB記録のシーズン262安打をマークした。