宝塚『ベルサイユのばら』初演から50年!初代と2代目オスカル、榛名由梨と安奈淳が語る「母に榛名さんが死に化粧を」「3日違いで救急車で運ばれて…」

2024年4月15日(月)12時30分 婦人公論.jp


『ベルばら45』に出演した際の、榛名由梨さん(左)と安奈淳さん(右)

〈発売中の『婦人公論』5月号から記事を先出し!〉
宝塚歌劇の金字塔とも言える『ベルサイユのばら』は初演からちょうど50年。日本中の老若男女を熱狂させ、社会現象を巻き起こした同作は、現在に至るまで繰り返し上演されている。その黎明期に一大ブームを生み出した「ベルばら四天王」のうちの二人、榛名由梨さんと安奈淳さんが〈あの日々〉を振り返った(構成◎上田恵子)

* * * * * * *

<前編よりつづく>

中1と小5での運命的な出会い


榛名 私たちの出会いは、子どもの頃にさかのぼります。2人とも宝塚音楽学校の中にある、小学4年生から中学3年生までが通える日曜教室「宝塚コドモアテネ」で、声楽・バレエ・日本舞踊を習っていました。

私は宝塚好きの両親の勧めで中学1年で入って、ミキちゃん(安奈さんの愛称)は小学5年生だったかな。2歳違いだったから、出会った時は話していないんだけど。第一印象は色が白くて、おとなしそうで、本ばかり読んでいるイメージだった。

安奈 よく覚えてますね。(笑)

榛名 記憶力には自信があるのよ(笑)。そこの渡り廊下にピアノがあって、あなたが上手にピアノを弾いていたの。それを見た時に、「すごくかわいらしい少女がいる。あの子が宝塚に入ったら絶対にスターになる!」って思ったわ。また指が長くてねえ。手が大きいのかな?

安奈 そう、大きいんです。

榛名 宝塚に入ってからは、安奈さんのほうが先にトップになって、私は何年か遅れてトップをさせてもらいました。安奈さんの印象は、その後もずーっと最初の頃のまんま。宝塚のフェアリー(妖精)そのものでした。

安奈 言いすぎ、言いすぎ(笑)。榛名さんの第一印象は、発表会で披露された「元禄花見踊り」という日舞ですね。ものすごくキレイで、「わあ、上手に踊っている人がいるなあ!」と思いながら見ていました。

私がアテネに入ったのは、榛名さんと同じく、両親が宝塚のファンだったから。生まれると同時に「将来は宝塚に」と、進路を決められていたんです(笑)。特に父が宝塚が大好きで、母も受験したかったそうなんですが、親に反対されて娘に夢を託したんですね。

で、私も素直に従って。絵を描くのが好きだったので、内心では「美術を学んで絵描きさんになりたいな」と思っていたんですが。

榛名 でも宝塚でトップになったんですもの。すごいですよ。

安奈 私が舞台に出る時は両親揃って観に来てくれたのですが、家に帰ってもそれを言わないんです。でも客席で父は目立つんですよ、おでこが広くてピカーッと光ってるから。それで同級生が「あんた今日、お父さん観たはるで」って(笑)。両親とも何も感想を言わない人たちだったので、気がラクでした。

榛名 私は幼稚園の園長先生に、「正代(まさよ)ちゃん(榛名さんの本名)は大きくなったら何になりたいの?」と聞かれると、その頃から「宝塚のスター!」と答えていました(笑)。当時、関西で育った人が見る美しいものの象徴が、宝塚だったんですね。

うちも特に父親が宝塚好きで、関西学院大学在学中、授業をサボって舞台を観に行ってたというくらい。音楽学校の参観日にも必ず来てくれて、本当に宝塚を愛していました。家でも宝塚の主題歌を口ずさむような環境だったので、自分が入るのは当然だと思っていたわ。

安奈 そういう意味では、お互いに親孝行しましたね。(笑)

榛名 本当にそうよ。

ラブシーンを下級生が見に来た


安奈 『ベルばら』の舞台で榛名さんとの共演が決まった時は、小さい頃から知っていたせいか、上級生というより「ショーちゃん(榛名さんの愛称)」という感じでした。上級生と下級生の厳しい上下関係もなかったのはよかったですね。榛名さんは包容力があって体が大きくて、見た目のバランスもちょうどよかったと思います。

榛名 気心が知れてるし信頼し合ってるから、お互いに「やりたいようにやろうね」と言って。私は『ベルばら』で、庭園のベンチに座って、ミキちゃんを膝枕しながら「星がキレイだ」とセリフを言うシーンが一番好きなんだけど、舞台袖のカーテンの陰に隠れて下級生が見に来るのよ。

「アンドレとオスカル、どんなラブシーンしてんねやろ!?」って(笑)。それほど仲間たちも興味を持って見ていたのね。

植田先生が「まわりの人をもファンにさせる、興味を持たせる。そうやって内輪で盛り上がるのも大事や」とおっしゃっていたけれども、こういうことかと思いました。皆をワクワクさせる2人だったんだと思います。

安奈 私たちを支えてくださっていた上級生の存在も大きかったですよね。たとえば『ベルばら』でポリニャック伯爵夫人の役をやっていらした神代錦(かみよにしき)さん、私のお父さん・ジャルジェ将軍を演じてくださった沖ゆき子さん。

みなさんすごく上級生で演技が本当にうまくて、包容力がありましたね。そういう素晴らしい方たちがいたからこそ、私たち2人が際立った。

榛名 本当にその通りね。多才な先輩たちがいらしたから作品に厚みが出た。支え、助けていただいたとしみじみ感じます。


「うちの母が58歳で亡くなった時、私は東京で舞台に立っていてお葬式にも出られなかったんです」(安奈さん)

安奈さんの母親に榛名さんが死に化粧を


安奈 榛名さんと巡り合って60年以上になり、私は今年、喜寿を迎えます。あらためて言うのもおかしな感じですが、これからもずっと、最後までお友達でいてほしいと思っています。

榛名 こちらこそですよ。

安奈 うちの母が58歳で亡くなった時、私は東京で舞台に立っていてお葬式にも出られなかったんです。急に亡くなったので父はパニック状態になっていて、榛名さんが看取りから葬儀まで全部仕切ってくださったんですよね……本当に感謝してもしきれません。(ハンカチを目に当てながら)今こうして話していても胸が詰まります。

榛名 私が宝塚で『新源氏物語』の舞台に立つ直前でした。お母さんの容体が急変したと聞いて、急いで神戸の病院に飛んで行ったんです。お母さんが亡くなって、自宅マンションに連れて帰ることになったんだけど、横に寝かせたままだとエレベーターに乗せられない。それで立った姿勢で私と抱き合うように乗せてね。

家に着いてから、妹さんと一緒に死に化粧をして……。ああ、この話をすると今でも涙が出る。私もパニックになっていたけど、ミキちゃんの代わりにやらないといけないって、ただその一心でした。

退団後、女優・安奈淳として新たな一歩を踏み出したところだったから、頑張ってほしいという気持ちしかなかったのよ。

安奈 私はその頃から体調を崩していて、母が亡くなったことで精神的にも落ち込んで、あまりいい時期ではなかったんですよね。その後、入院もしたし。

榛名 私もミキちゃんの3日後に入院しました。忘れもしない2000年。2人とも救急車で運ばれてね。お互い死にかけていたから、相手が入院していることを知らなかったの(笑)。植田先生が、「病院のハシゴやわ!」と言いながらお見舞いに来てくださったのを覚えています。


「舞台人として活躍を続けている方がこれだけいて、この世界に自分たちもいたことを誇りに思います」(榛名さん)

病気を抱えつつもメンテナンスをしながら


安奈 そんな状態から、こうして2人とも元気になって……。私は膠原病のひとつである全身性エリテマトーデスという自己免疫疾患の病気で、今も完全に治ったわけではないものの、薬を飲んでいる限りは元気に仕事ができます。

入院生活が長かったので、朝は早く起きて3食決まった時間に食べる、というルーティンが身についていて、それが崩れると調子が悪くなる。食べるものも肉・魚・野菜とバランスよく何でも食べますし、ほぼ自炊です。運動は歩くくらいですね。あとは自宅にトレーナーを呼んでピラティスをしたり。

榛名 私もたくさん病気をしました。人工股関節の手術をして両脚にチタンが入ってますし、今のところは薬で保っていますが甲状腺機能低下症です。ほかにすい臓の病気も経験したし、血圧も高い。不整脈があって、2年前には心臓のカテーテル治療も受けています。声だけは大きくて張りがありますが、ほかに何も自慢できることがないの(笑)。

でも、料理が好きなので外食はせず、3度の食事をバランスよく摂ること、睡眠の質を高めること、毎日1時間ほどウォーキングして股関節に筋肉をつけることなど、日々メンテナンスをしながらなんとかやっています。

安奈 5月には、私たちも出演する舞台『ベルサイユのばら50 〜半世紀の軌跡〜』が控えています。こんなに続けてやれる演目は、今までなかったですよね。錚々たる顔ぶれのみなさんが出演されるので、今から本当に楽しみです。

榛名 私の名前が一番上のほうになってしまって、過ぎた年月を感じますけども(笑)。舞台人として活躍を続けている方がこれだけいて、この世界に自分たちもいたことを誇りに思います。宝塚歌劇団を背負うつもりで、新たな気持ちで舞台に立ちたいですね。

安奈 宝塚は私の一部。私の人生から宝塚を取ったら、少ししか残りません。受かって本当によかったです(笑)。厳しい世界でしたが、今は楽しかったことしか覚えていません。

榛名 私もちっちゃな頃から入りたかった宝塚に入って25年を過ごし、人生のすべてを学ばせていただきました。幸せでしたし、両親も幸せだったと思います。私たちの『ベルばら』を観て宝塚に入ったという人もたくさんいます。

よき時代を上級生から受け継ぎ、また次の世代に繫いでいく——。みんなを幸せにする素敵な世界だと思います。

安奈 お互い健康体ではないけどうまいこと不調を乗り越えて、最後に「いい人生だったなあ」と言って終われたらいいよね。

榛名 そうだね。私もそう思ってます。安奈さんの歌が大好きだから、無理せず頑張りすぎずに長生きしてほしい。お互い切磋琢磨しながら、励まし合いながらいけたらいいね。2人とも結構長生きしたりして?

安奈 それはどうかなあ。(笑)

榛名 いいじゃない、この際、100歳まで生きようよ!

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