「うちの家系に音楽の才能があるなんて思うか?」「もう絶対に音楽で見返してやる」古舘佑太郎(34)が父・伊知郎への反骨心むき出しだった学生時代《テレ朝の音楽番組で……》
2025年4月19日(土)7時0分 文春オンライン
〈 「俺、才能ないんじゃないか?」「結果、残さなきゃ!」“こじらせ男子”だった古舘佑太郎(34)を変えた“友人ミュージシャンの言葉” 〉から続く
「今ではもうめっちゃ仲良し」と語る古舘佑太郎がミュージシャンとして活動を始めた時、今のような良好な親子関係は想像できなかったという。拗らせていた学生時代、そして父親へのまなざしが変化する日々を尋ねた。(全3回の2回目/ #1 、 #3 を読む)

◆◆◆
有名な父親の存在が“目の上のたんこぶ”になってきた
——佑太郎さんと父・古舘伊知郎さんは、どんな関係性の親子だったのでしょうか?
古舘 幼い頃は、「時たま会うおじさん」みたいな存在でしたね。仕事で年中忙しい人だったので、四六時中触れ合うという距離感でもなかったし。幼い頃、一度だけ、一緒にキャッチボールをしたことがあったんですが……。お互いぎこちなくて、マジで気遣い合っていて。ボールが胸元から外れると、お互いに、「あ、ごめん!」みたいな。「俺が取りに行くよ」「いや俺が」みたいな、めちゃくちゃ気まずいキャッチボールだったんですよ。
——その後はどんなふうに?
古舘 これは偶然なんですけど、僕が13歳の誕生日を迎えた2004年の4月5日から父親の「報道ステーション」(テレビ朝日)が始まったんです。つまり、僕は中学の多感な時期に入っていくのと入れ替わりに、父親は報道に行った。毎日とても忙しそうですごくピリピリしていたし、僕は恋をしたり、音楽を聴いたり、本を読んだりする時期に入って、より父親から逸れていった。しかも、僕は音楽を始めると、「己は何ぞや?」と自分を拗らせて(苦笑)。その過程で自分を見つめたとき、有名な父親の存在が“目の上のたんこぶ”になってきた。今思うと、もう本当に拗らせていて青臭いんですけど、それまで全く嫌じゃなかった「古舘さんの息子」がどんどん嫌になってしまって。
——その頃のお父さんの反応は?
古舘 父親は父親で、僕が音楽をやりだしたことで、「まさかこっち側に来るんじゃないだろうな」と、ちょっと嫌な予感がしたのか、僕に否定を入れ始めるんですよ。「冷静に考えろ。うちの家系に音楽の才能があるなんて思うか?」とか、「お前、ちっちゃい頃にお姉ちゃんの真似してピアノ習ってもやってすぐにやめたじゃないか」とか。僕は僕で15、6の頃なので、それがもうめっちゃムカついて。
——ああ、それはたしかにムカつくかも(苦笑)。
古舘 そこから余計に「もう絶対に音楽で見返してやる」みたいな変なスイッチが入っちゃって。そのあたりから、微妙に気まずかった他人風の関係性が、もう若干、悪くなってしまって。
——でも、別にお父さんのコネでも何でもなく、自力でメジャーデビューを果たされて。
古舘 そう。それで天狗になって、余計父親に反発しちゃって。デビュー前、僕には“3B”というのがあったんです。バイトしていること、原付バイク乗ってること。バンドで頑張ってメジャーを目指していること。この3つは一切父親に言ってなかった。母親と姉ちゃんにも、「頼むからこの3Bはあの人に言わないでくれ」と頼んで。
——でも、デビューが決まりましたよ、という段階では、流石に隠せませんよね?
古舘 未成年だし、レコード会社との契約には親の判子が必要でしたし。デビューにあたって、父親からは、「俺はマジで一切応援しないから、縁を切るぐらいの覚悟でやれよ?」ときっぱりと言われました。
「僕、古舘の息子なんです」とカミングアウトしたら変な空気に…
——とは言え、メジャーシーンでバンドのフロントに立てば、身元も徐々に分かっていくわけで。
古舘 僕も僕でそんなに悩むのならば芸名を使えばよかったのに、本名でデビューしちゃったんで。高2のとき、ミュージシャンを志す高校生を紹介するテレビ番組があって、父親は一切関係なく、純粋に音楽だけで声をかけてもらったんですが、取材を受けているうちに、「あ、そういえば、この番組、テレ朝だ」と気付いて。テレ朝といえば父親。でも、相手は全く気付いていなかったから、僕も何も言わなかった。ところが、僕らThe SALOVERS全員と番組スタッフとの打ち合わせの席で、「出会った頃の印象は?」という話題になったとき、うちのベース担当が、「最初は芸能人の息子だと思って……」とか言ったもんだから、「え? どういうこと?」と不穏な空気になって。
——ああ(苦笑)。
古舘 仕方がないので、「すみません。言ってなかったんですけど、僕、古舘の息子なんです」と話したら、もうめちゃくちゃ変な空気になって打ち合わせも中断しちゃって。結局、番組側が僕の気持ちをちゃんと察してくれて、無事出演して、放送でも父親の話題は一切触れられなかったんですけど。デビュー後も、週刊誌に「古舘伊知郎の息子」と書かれたり、「コネなんだ?」と言ってくる同業者や先輩ミュージシャンもいて。そういう経験が重なると、「せっかく自分で頑張ってるのに」と、余計に父親の存在がコンプレックスになるし。人のせいにしたいわけじゃないですけど、そんな流れでどんどん心を閉ざしちゃったんです。
——じゃあ、親子の仲もあまり芳しくなく?
古舘 ところが、これがまた偶然なんですが、The SALOVERSが終わって少し後に、「報道ステーション」が終わって、父親がバラエティやカルチャーの世界に帰ってくるんですね。僕は、The SALOVERSが終わって、役者業が忙しくなって、NHKの朝ドラや時代劇に出させてもらったりして、少しずつ世界が広がって、トゲトゲしかった心も丸くなってきて。いつの間にか父親のことも全く気にならなくなってきた頃に、「こないだお父さんと仕事したよ」という方とお仕事をご一緒したり、何となく合流し始めるような感覚を持つようになって。すると、僕がadieu(※アデュー。上白石萌歌のアーティスト活動)に提供した曲を、父親がラジオでかけてくれたりと、徐々に交流するようになって。20代の後半で初めてサシで食事に行って、父親に相談事とかするようになって。
——おお、何かいい感じに。
古舘 僕も大人になって、仕事で視野が広がって、ようやく父親の凄さが分かるようになった。父親も、僕に対していろんな言葉をかけてくれるようになって。心から尊敬しているし、今ではもうめっちゃ仲良しです。
——良かったですねえ。
古舘 父親は、僕にはとてもじゃないけど出来ないようなことをたくさんやってきたんだし、そもそも父親の歩いてきた道を僕が歩く必要はない。僕は僕で、やらなきゃいけないことも、歩かなきゃならない道もあるはずだし。それがようやく分かったんですね。
——古舘伊知郎さんはテレビのバラエティ番組をはじめ、ラジオやご自身のYouTubeチャンネル、「古舘伊知郎 トーキングブルース」といった公演など、現在も第一線でご活躍中です。特に、ライフワークとも言える「トーキングブルース」シリーズは、時事への風刺やユーモアが溢れている上に、長いお経を丸暗記で諳んじたり、膨大な薬の名前を列挙したりと、毎回途方もないボキャブラリーを駆使したトーク一本勝負で。
古舘 直近の公演を観たんですが、喋りに対する魂の注ぎ込み方が尋常じゃなかった。でも、僕のなかでの父親は、多弁とか器用とは無縁なイメージで。僕からしたら、父親ほど口下手な人はいないと思っているくらいなので、本当に見えないところで並々ならぬ努力を重ねてきたんだろうなあと思います。そう言えば、最近、友達から、「こないだお父さんの本を読んだけど、文章、めっちゃお前と似てたよ」と言われて。僕、実はまだ父親の本を読んだことがないから分からないんですが、「テンポ感とか、一旦、自分を卑下するとことか、よく似てる」と言われ、不思議な気持ちになったなあ。そろそろ読んでみようかなと思いました。
「一言で語るのはものすごく難しいんですけど……立川談志さんみたいな人というか」
——きっといろんな発見があるでしょうね。さて、次は古舘さんにとって重要なもうひとりのイチロウさん、つまりサカナクションの山口一郎さんについて伺いたいのですが。古舘さんが今回上梓した初著書には、山口さんが深く関わっているわけですが……。
古舘 はい。あ、すみません。一郎さんの話の前に、ちょっとトイレ行ってきていいですか?
——あれ、何だか急に表情に緊張の色が(笑)。古舘さんにとって、山口さんとはどういう存在なのでしょうか?
古舘 一言で語るのはものすごく難しいんですけど……立川談志さんみたいな人というか。
撮影 杉山秀樹/文藝春秋
〈 「お前、カトマンズに行ってこい」潔癖症で旅嫌いの古舘佑太郎(34)がサカナクション・山口一郎に無理矢理アジアに送られて見た“予想外の結末” 〉へ続く
(内田 正樹)
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