「お前、カトマンズに行ってこい」潔癖症で旅嫌いの古舘佑太郎(34)がサカナクション・山口一郎に無理矢理アジアに送られて見た“予想外の結末”
2025年4月19日(土)7時0分 文春オンライン
〈 「うちの家系に音楽の才能があるなんて思うか?」「もう絶対に音楽で見返してやる」古舘佑太郎(34)が父・伊知郎への反骨心むき出しだった学生時代《テレ朝の音楽番組で……》 〉から続く
『 カトマンズに飛ばされて 旅嫌いな僕のアジア10カ国激闘日記 』の重版が決まり、様々な分野で活躍中の古舘佑太郎。そもそもの旅のきっかけは“恩人”と語るサカナクション・山口一郎の一言だった。気が進まない中、アジア各地を放浪して見たものは……。(全3回の3回目/ #1 、 #2 を読む)

◆◆◆
バンド解散直後に告げられた“恩人”からの無茶苦茶な指令
——今回、古舘さんの初の著書に綴られているのは、潔癖症で旅の経験がほとんどなかった古舘さんが、昨年、2カ月間でアジア10カ国を旅し、悪戦苦闘しながら揺れ動いた様々な感情の記録です。そして、この旅の起点には、ミュージシャンの山口一郎さん(サカナクション)が深く関わっています。
古舘 そうですね。はい。
——山口さんは、古舘さんが組んだ人生で2回目のバンド、THE 2のプロデュースを手掛けていらっしゃいました。しかし、バンドは残念ながら解散。その解散を報告した際、突如、山口さんから「お前、カトマンズに行ってこい」と言われ、古舘さんは旅することに。改めて、古舘さんにとって山口さんとはどういう存在なのでしょうか?
古舘 一言で語るのはものすごく難しいんですけど……昔の落語家の師匠みたいな存在、というか。喜ぶべきとこで叱ってきて、叱るべきタイミングでやさしく褒めてくれるという、ちょっと読めないところがあって。
——と、いうと?
古舘 例えば、最初のバンド、The SALOVERSでメジャーデビューした頃、僕の周りにはいろんな大人たちが集まってきた。でも、そういう人たちは、バンドが終わると、みんなあっという間に離れていった。一郎さんはそうやって人が僕から離れていくようなタイミングに、突然、僕の前に現れて、「お前はすごい!」と背中を押してくれた人。凹んでいるときにそう言ってもらえるのはうれしいし、なけなしの自信にも繋がるから、走り出せる。でも、少し僕の調子が良くなってくると、すかさず、「調子に乗るな!」と叱ってくる……あれ、今話しながら気が付いたけど、これ、もしかして永久機関みたいにずっと止まらないシステムなのかな。
——(笑)。特に、“師弟関係”というわけでもないんですよね?
古舘 THE 2の後半、一郎さんは、プロデューサー兼レーベル出資元みたいなスタンスで関わってくれていて。つまり、“恩人”ですね。ある意味では、“師弟関係”と呼べるかもしれません。時間も身銭もスキルも注いでくれて、何とかTHE 2をものにさせようと苦心してくれた。それなのに、結局、解散することになっちゃって。もう流石に怒られるというか呆れられるだろうという覚悟で解散を報告に行ったら、「よし、お前、カトマンズに行け!」ですからね。
——懐かしのバラエティ番組、「進め!電波少年」みたい(笑)。
古舘 もう、面食らっちゃって。「え? はい? あの、バンドは……」、「いや、もうバンドの話はいいよ。まあ、俺も力が及ばずすまなかった。よし、お前、カトマンズに行け!」と。まあ、きっと思い付きで喋っているだけですぐに忘れるだろうと思って、その場は適当に相槌を打っていたんですが、その後も覚えていて、どうやら完全に本気だと分かって。
——しかも、「自分の金で行くな」と、古舘さんの口座に旅行資金が振り込まれていたそうで。
古舘 それ、ミュージシャンの先輩とか一部の知り合いから、「あいつは先輩のお金で旅に行きやがって」とか悪口言われてるらしいんですが。
——ああ、つまり、「自腹で行けよ」と。
古舘 この場を借りて言っておくと、僕、もちろん最初は相当断りましたからね(苦笑)。人の金で旅に行くって意味が分かんないし、僕だってそれぐらいの常識や倫理感はありますよ。でも、一郎さんは、「自分のお金で行くな」と。どうせ僕が自分のお金で旅に出ても楽をして好きなところに行って帰ってくるだけだと見透かしていたみたいで。
最後は「失うもの、何があんねん?」とやけくそで旅に出た
——まあ、山口さんには山口さんなりに思いがあって、それを古舘さんに託した格好だったのですが、そのあたりは巻末の後書きで山口さん自身が語っておられるので、本記事の読者には、ぜひそちらを読んでいただくとして。それにしても、すごい発想ですよね。
古舘 たしかにいろいろすごいんですよ。たとえ可愛がっている後輩とはいえ、僕みたいに旅なんてしたこともない神経質で潔癖症の雑魚な素人にアジア10カ国を回らせて、もし事故があったり、最悪、死んだりでもしたら、一郎さんが叩かれかねないわけじゃないですか。
——まあ、その可能性もゼロではない。
古舘 いずれにせよ、一郎さんには特に何のメリットもない。何でこんなことができるんだ?とは思いましたね。自分で言うのも何だけど、「かわいい子には旅をさせよ」とか、「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」の究極型なのかな?とか考えちゃって。
——現金まで渡して千尋の谷へ(笑)。
古舘 だから、僕もとにかく無事で帰ってこなきゃな、とは思いましたね。むちゃくちゃ嫌でしたけど。でも、旅の始めはずっと恨んでいましたよ。旅の2日目で早々に過呼吸状態に陥りましたし。
——ちなみに、あくまで抵抗して、「旅へ行かない」という選択肢はなかったのですか?
古舘 やっぱり僕も自分に嫌気がさしてもいたし、捨て身の開き直りもあったのかもしれない。全く楽しみじゃないけど、ここまで退路を断たれたら行ってみるか、みたいな。「失うもの、何があんねん?」という感じでしたし、最後はやけくそでしたね。
人を見ること、世界を見ること、自分の殻の外を見ることで自分を知った
——で、本当に旅に出るところから本書ははじまるわけですが、その草稿となったのは、ご自身が旅の途中に書かれていた日記と、それをもとにご自身のInstagramにアップされていたテキストでした。
古舘 最初は、本はおろか、日記も書くつもりなんてなかったんです。一郎さんからも、それは特に言われていなかったし、一郎さんもまさか本になるとは最初は想像もしていなかったはずです。ただ、もう日記を書くぐらいしないと辛すぎて。しかも一郎さん、「俺のお金とか旅に出たとか誰にも言わなくてもいいから」と言っていたのに、僕がバンコクに着いた頃、4000人もの人が視聴しているSNSの生配信で、「古舘、旅に出てます。お金は僕が出してます」とバラしちゃって。
——あはははは。
古舘 最悪の場合、1週間で帰ろうと思っていたのに、退路を絶たれたわけですから、「もう何してくれてんだよ!?」って。一郎さんへの恨みと毎日の辛さというマイナスな感情しか巡ってこなかったし、「帰れないから旅を続けるしかない」という感情でしかなかったし。この旅で自分が変わるんだ、といった思いも一切なくて、せめていろんなマイナスをゼロまで持っていけたら、ぐらいの気持ちでしたね。
——そんな道中、ある意味、テーマソング的な役割を担って度々引用された曲が、アメリカのR&Bの大家であるカーティス・メイフィールドの名曲「ピープル・ゲット・レディ」でした。
古舘 映画で言うと劇伴みたいな役割でした。不思議なことに、これまで自分が書いた曲は全く頭の中で鳴らなかった。あの曲と日記だけが、自分を構築してくれる要素でしたね。犬に追いかけられても、ぼったくりにあっても、体調を崩しても、これはあくまでも俺じゃない。この旅を続けている主人公がただ苦しい思いをしているだけで、自分はそれを記録している側なんだ、と、強引に自分を落とし込んで。
——そうすることで、表現者としてのプライドというか手綱を、わずかでも握っていたかったのかもしれない。
古舘 そうかもしれませんね。そうしていると、一郎さんが僕によく、「お前は自分のことが本当に分かってない」と言っていたのは、「こういうことだったのかな?」とも感じられました。人を見ること、世界を見ること、自分の殻の外を見ることで自分を知るというか。僕は基本的にビビりでせっかちな人間なので、これまで「今、この瞬間を味わう」という感覚がなかったから。それが、何もしないでただぼーっと夕日を見るとか、ガンジス川に浸かって大袈裟に酔いしれるとか、そういう時間は新鮮でしたね。
帰国後半年してから報告しに行ったらめちゃくちゃ怒られた
——旅の詳細はネタバレを避けて著書に譲りますが、山口さんの後書きを読むと、旅から帰った古舘さんが山口さんのもとをちゃんと訪ねたのは帰国後半年後だったそうですね。普通に考えたら真っ先に報告に行くのが筋だと思うんですが、どうして?
古舘 すぐに訪ねて、「こうこうこうでした」と報告をして、意見やアドバイスを聞くのが、ちょっと嫌だったんです。一郎さんって、やっぱり僕の中ですごく大きな存在なんですね。ミュージシャンとしても背中も見えないような大先輩だし、すごく尊敬している反面、その才能のもの凄さへの畏怖もあって。だから、2カ月の旅で自分なりに得られた幾つかの答えについて、すぐに一郎さんと答え合わせをしたくなかった。ようやく自分の中の声を、自分なりの答えを信じて生きていいんだ、と思えるようになったのに、ブレたらどうしよう?という怖さがあった。旅の終盤、カトマンズにいる頃には、一郎さんへの恨みは途方もない感謝に変わっていたし、遠くにいる一郎さんをとても身近に感じていた。もはや謎の師弟愛というか、世の礼節なんて僕と一郎さんの間には通用しないんだ!と、勝手に二人の関係を自分の中でアップデートさせて、そのまま逃亡していたんですね。
——で、半年後に山口さんを訪ねてみると?
古舘 めちゃくちゃ怒ってました。もう、地獄絵図。とてもここでは話せないレベルの説教を喰らって、バンコク以来の過呼吸になりかけました……。
今後について尋ねると…「僕も僕自身に期待しています」
——(笑)。さて、初著書を書かれた古舘佑太郎は、このあとどこへ向かうでしょうか?
古舘 バンド時代、僕は一人で結果に執着して、訳が分からなくなったりもしていたんですが、この本は、「売れたい」なんて考えも切迫感もなく、とても静かな気持ちで書くことができました。純粋に、「いいものができた」と思います。今は音楽に対する焦りや強迫観念がごっそりとなくなった分、感情がとてもフラット。初めて音楽を聴いた15歳の頃の気持ちに近いかもしれない。今後のことは、あえてあまり決め込まないようにしているんですが、音楽も、芝居も、文筆も、このフラットな気持ちのままで向き合うことができたら面白いものが生まれるんじゃないかと、僕も僕自身に期待しています。
(内田 正樹)
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