「服を全部脱がされ、お尻の穴や男性器の裏も見られて…」アメリカで逮捕された“伝説のボディビルダー”山岸秀匡(51)が明かす、刑務所での過酷な経験

2025年4月20日(日)12時10分 文春オンライン

〈 「卵を1日30個食べていた」体重50kgのガリガリ少年→100kg超の“伝説のボディビルダー”に大変身…山岸秀匡(51)が語る、ボディビルを始めた経緯 〉から続く


 世界最高峰のボディビル大会「ミスター・オリンピア」に日本人で初めて出場した伝説のボディビルダー・山岸秀匡さん(51)。現在はジムの経営などを行いながら、ボディビル界の発展に貢献している。


 2007年12月、ステロイドを持ってアメリカに入国しようとした山岸さんは、ロサンゼルス空港で逮捕され、約70日間も現地の刑務所で過ごすことになる。いったいなぜ、彼は逮捕されてしまったのか。アメリカの刑務所で、どんな生活を送っていたのか。話を聞いた。(全2回の2回目/ 最初 から読む)



山岸秀匡さん ©松本輝一/文藝春秋


◆◆◆


2007年12月、ロサンゼルス空港で逮捕された経緯


——2007年、ロサンゼルス空港で逮捕されました。


山岸秀匡さん(以下、山岸) たんぱく質を同化して筋肉を作るアナボリックステロイドを持って入国しようとしたんです。その前年も、日本からアナボリックステロイドを持って行ってました。でも、誰も気にしていなかった。


——なぜ2007年のときは逮捕されてしまったのでしょうか。


山岸 アメリカで、ステロイドに対する規制が厳しくなっていたんです。昔は“野放し状態”で、道端でステロイドを使っている人もいたくらいだったのですが、ある時期からアメリカのスポーツ界でステロイドが蔓延し始めたので、捜査当局が規制を強化した。


 だから、アメリカで正規のアナボリックステロイドが買えなくなってしまって。それで、日本から持って行ったところを摘発されてしまいました。


 1年分使える量を持ち込んでいたので、「アメリカで販売するために持ち込んだんじゃないか」と疑われて。


——空港で逮捕されたあと、どうなったのですか。


山岸 空港から直接、ダウンタウンにあるカウンティジェイル(拘置所)に連れていかれました。当時は英語がまったく喋れなかったので、何が何だかわからなくて、とにかく恐ろしかったですね。


 カウンティジェイルに着いたら、手続きを進めるために入り口で待たされたのですが、12月の夜中だったので、めちゃくちゃ寒いんですよ。


「トイレはここを使え」「電話はこれ」カウンティジェイルで目の当たりにしたアメリカの人種問題


——カウンティジェイルはどんなところだったのでしょうか。


山岸 最初に入れられたのは、150人くらいが入れる部屋でした。体育館みたいなところに、2段ベッドがズラーッと並んでいて。


 そのあと、黒人の男性が来て、ルールを説明されました。英語はわからなかったけど「トイレはここを使え」「電話はこれ」と言っているのが雰囲気で伝わってきて。


 あとでわかったのですが、人種によって収容される部屋が違うんですよ。アジア人は少ないので、私はアフリカ系のグループと一緒になって。裁判所に連れていかれるときも、黒人と一緒でした。


——人種で分けられるんですね。


山岸 そのときまで、アメリカの人種問題の根深さを感じたことがなかったんです。でも、カウンティジェイルは完全に人種で支配されてるんですよ。ヒスパニック、黒人、白人、アジア人でそれぞれルールがあって。ジェイルの中に、社会の縮図があるんですよね。


——英語が話せないなかで、弁護士などはどうしたのでしょう。


山岸 アメリカに住んでいる友だちが、弁護士に電話をしてくれて。その弁護士と最初に面会したときに「20年くらい求刑される」と言われたんです。「これはまずい」と思って。


 しかも、その弁護士の対応があまり良くなかったので、500万円くらいかけて、有名な弁護士に代えて、その人に付いてもらいました。


「これはやばい」凶悪犯罪者が集まるスーパーマックスジェイルに移されて…


——逮捕されたあと、ずっとカウンティジェイルにいたのですか?


山岸 いや、カウンティジェイルにいたのは数日でした。そのあと、スーパーマックスジェイルというところに移動させられて。


 スーパーマックスジェイルは、ランクの高い囚人が集まっていて、最高レベルの警備体制が敷かれるほど危険なところなんです。そこで60日ほど過ごしました。


 スーパーマックスジェイルでは囚人のランクがあって、500番台、600番台、700番台……と数が上がるにつれて凶悪犯罪者が集まっているんですよ。そこで最初、700番台に割り振られて。


 700番台の囚人が集まっている部屋に入った瞬間に「これはやばい」と思いました。見るからに危険な感じの人たちが集まっていた。


——なぜ山岸さんは凶悪犯だと見なされたのですか?


山岸 持っていたステロイドの個数が多かったので、起訴された数も多かったんです。


「お尻の穴から男性器の裏まで、全部見られました」服を脱がされて、ボディチェックされた理由


——それで、700番台に割り振られてしまったと。


山岸 割り振られた部屋に入ったらいきなり、囚人同士が殴り合いの大ゲンカを始めたんです。刑務官がバーッと部屋に入ってきて「全員、伏せろ!」と言われて。そのまま全員、大きな部屋に連れていかれて、服を全部脱がされて、ボディチェックをされました。


 武器を持っていないかどうか確認するために、お尻の穴から男性器の裏まで、全部見られました。口の中とかも見られるんです。


 そのときに、刑務官が「すごい身体をしているな。お前はボディビルダーだろ。知っているぞ」と言われて。その人のおかげで、セキュリティレベルの低い500番台の部屋に移動できたんです。


——スーパーマックスジェイルには、どんな人たちが収監されているのですか。


山岸 ジェイルは刑が確定するまで収容される場所なので、軽い罪から殺人のような凶悪犯罪者までいろいろな人がいます。


 そのなかに、頭が良くて才能に溢れている人もたくさんいました。収監中に支給されたものでお酒やお菓子、ケーキを作る人もいたし、絵や歌がうまい人もゴロゴロいた。


 刑務所の壁に芸術作品みたいな壁画がたくさん描かれているんですけど、それは囚人が描いた絵なんです。こんなに才能があるのに、環境次第でこうやって道を外れてしまうのか、と驚きましたね。


刑務所では、スクワットや腕立て伏せなどの自重トレーニングをして過ごした


——周りの囚人も、山岸さんの身体に驚いていたのでは?


山岸 驚いていたかはわかりませんが、舐められないように「俺はヤバイ人だ」という雰囲気を出すようにしてましたね。最初の頃は誰とも話さないようにしていました。


 でも、1か月くらい経つと、だんだん自分がベテランになってくるんですよ。入れ替わりが激しいので。だから、刑務官の人とも顔見知りになるし、だんだん環境に慣れていくことへの怖さを感じながら過ごしてましたね。


——スーパーマックスジェイルでは何をして過ごしていたのですか。


山岸 500番台になったあと、「トラスティ」と呼ばれる模範囚に指名してもらったので、夜は刑務官たちの仕事の手伝いをしていました。掃除したり、キッチンで働いたり。普段はいわゆる「臭い飯」を食べていましたが、仕事をするときは刑務官と同じ食事をとることができましたね。


 昼間は何もすることがないので、ひたすらスクワットや腕立て伏せなどの自重トレーニングをやって。2月に開催される大会に出ようと思っていたので、なるべく体重を落とさないようにしていたんですけど、収監されている間に9キロほど落ちてしまいました。


「当時は、もう終わりだと思っていました」逮捕がもたらしたキャリアへの影響は?


——釈放されたのが2008年1月。合計で約70日ほど収監されていたのですよね。


山岸 そうです。いま考えるとそんなに長い期間じゃないですけど、入ってるときは1日1日が長かったですね。釈放されたときは「やっと出られるのか」という感じでした。


——釈放後、日本に帰国されたそうですが、周りの人は心配していたのでは?


山岸 自分は知らなかったのですが、ロサンゼルスで捕まったことが報道されていたみたいで。帰国して実家に戻ったとき、両親は心配していました。


 いろんな人に迷惑をかけてしまったけど、もしあのタイミングで捕まっていなかったら、もっと酷い目にあっていたかもしれない。逮捕されて収監されたことで、それまで慢心していた自分自身を悔い改めることができました。


——ご自身のキャリアへの影響は?


山岸 当時は、もう終わりだと思っていましたね。とにかくアメリカに帰れれば良いという感じで。


 実際にアメリカに入国できるようにしてくれた弁護士や、それをお膳立てしてくれた友人にはすごく感謝しています。最悪の状況に直面したけど、その中で最善の道を進むことができました。


 アメリカは、良くも悪くもセカンドチャンスに寛容な国なんです。おそらくそのまま日本にいたら、その後のキャリアを築くのは難しかったと思います。


「アーノルド・クラシック」で日本人初の優勝


——その後、マスターズを含めた「ミスター・オリンピア」には計11回出場。2016年には、アーノルド・シュワルツェネッガーが主催する大会「アーノルド・クラシック」で日本人初の優勝を果たします。


山岸 アーノルドで優勝できたのは、自分のキャリアでは間違いなくピークでしたね。前年に2位だったので、次は絶対勝てるというか、勝たなくちゃいけないと思って出場して。


 実際に勝ったときは、もちろんうれしかったけど、どちらかというとホッとしました。


——ステージ上ではシュワルツェネッガーとも話したんですか?


山岸 「おめでとう」と言ってくれました。あとは、当たり障りのない会話をして。


 実はベニスのゴールドジムで、ほぼ毎日のように会っていたんですよ。彼は毎日朝10時くらいに来てましたよ。今も来ているんじゃないかな。70歳を過ぎているのに、元気ですよね。


——どんな人なんですか、シュワルツェネッガー。


山岸 気さくですね。ジムにいる人も彼を有名人扱いしてないし。観光客は驚いてますけどね。


2022年に現役引退→2023年に現役復帰→「マスターズ・オリンピア」で日本人初の優勝


——引退はいつ頃から考え始めたのでしょうか。


山岸 「いつでも引退できるな」と思い始めたのは、2018年頃ですね。身体のピークが完全に過ぎているなと実感していたので。


 でもそれ以前から、引退を見据えてボディビル以外にも何かしたほうがいいな、というのは考えてました。それで2013年にボディ・カフェのビジネスを始めたんです。


——2022年に引退を公表しますが、2023年に現役復帰を果たします。なぜ1年で復帰することになったのでしょうか。


山岸 2023年に、40歳以上が出場する「マスターズ・オリンピア」が始まって。自分的に出るつもりはなかったんですけど、周りの人に「1回目だから出てみたら」と言われたので、現役復帰しました。


 自分の中では「10位内に入ればいいか」という気持ちで出場して、勝とうという意識もなかったんですけど、優勝できたんです。


 自分より筋肉量の多い選手はゴロゴロいましたが、そのときはたまたま身体の仕上がりが良かったというか。運が良かったですね。


これから筋肉が増えることはないので…


——マスターズとはいえ、日本人初のオリンピア優勝。驚きましたか?


山岸 うれしかったし、驚きましたね。引退したあとはボディビルの優先順位が1位じゃなくなって、ジムの経営などの仕事をしながらだったので、そういう状況でもコンテストに出て、しかも優勝できるのかと。


 あとは、引退したあとも常に体脂肪が少ない状態を維持していたので、コンテストに向けた体作りが苦じゃなかったんです。これなら、「生涯スポーツ」的な感じで今後もできるなと思いました。


 ただ、自分は選手として終わっていることは間違いない。これから筋肉が増えることはないので、今の状態を維持できれば御の字ですね。


——2024年11月には、ボディビルダー・横川尚隆さんのコーチを務めると発表されました。


山岸 彼がアメリカに来て戦いたいとのことなので、そのアドバイザー的な立場です。彼には彼の方法論があるので、私がマンツーマンでトレーニングすることはないですね。もちろん、助けを必要としていればアドバイスしますけど。


——横川さんは「ミスター・オリンピア」を目指すと宣言されていましたね。


山岸 本人次第ですけど、彼ならオリンピアで優勝できると思っています。それは本人にも伝えているので。


撮影=松本輝一/文藝春秋


(「文春オンライン」編集部)

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