『べらぼう』徳川家基(奥智哉)の急死に視聴者最注目 第15話画面注視データを分析
2025年4月20日(日)6時0分 マイナビニュース
●「家」の通字を授けられ将軍になれなかった
テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、13日に放送されたNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(総合 毎週日曜20:00〜ほか)の第15話「死を呼ぶ手袋」の視聴分析をまとめた。
○右手の親指を口元に押し込んだ瞬間…
最も注目されたのは20時16〜17分で、注目度75.2%。鷹狩の最中、徳川家基(奥智哉)が急死するシーンだ。
「私は吉宗公のごとく、自ら政の舵を取る将軍となりたいのだ」松平武元(石坂浩二)にそう自らの理想を語った家基は、武元に吉宗のように鷹狩を楽しむよう言われ鷹狩に出かけた。手には縁組を考えている種姫(小田愛結)から贈られた手袋を身に着けている。晴れ渡った草原で、農民たちが獲物を家基の方へと追い込む。
家基が鷹を手に機会をうかがっているとやがて1羽の鳥が飛び立った。家基はすかさず鷹を放ったが惜しくも獲物は逃してしまった。家基は右手の親指を口元に押し込んだ。家基には物事がうまく運ばなかった時、爪を噛む癖があった。すると次の瞬間、家基はうめき声を上げながら心臓を押さえ倒れ込んでしまった。慌てて従者たちが駆け寄るが、家基はすでに絶命していた。
○「江戸城もきな臭くなったな」
注目された理由は、次期将軍と目された家基の突然の死に、視聴者の視線が「くぎづけ」になったと考えられる。
祖父である第八代将軍・徳川吉宗を目標とし、文武両道に励む家基は若く健康そのものだったが、何者かの仕業であっけなく命を落とした。SNSでは、「あの癖が原因で家基がこんなに早期退場するなんて…」「家基、時期将軍としての片鱗を見せ始めたばかりだったのに…」「家基、武元という重要人物が相次いで亡くなるなんて、江戸城もきな臭くなったな」と、将来有望な若者の突然の死に多くのコメントが集まった。
徳川宗家に生まれ「家」の通字を授けられながら、将軍に就くことができなかったのは、家基ただ1人。壮健であった家基の不自然すぎる死は、嫡男・豊千代(後の徳川家斉)に将軍を継がせようとした徳川治済(生田斗真)や、家基と不仲な田沼意次(渡辺謙)による暗殺説がささやかれた。
また、幕末に来日したドイツの博物学者シーボルトは、家基がオランダから取り寄せたペルシャ馬に騎乗中に誤って落馬事故を起こして死亡したと、自著の『日本交通貿易史』に記している。しかし、シーボルトの来日は家基の死から約40年後なので、この説には疑問が残る。
大河ドラマでもよく描かれる鷹狩だが、仁徳天皇の時代に行われ、雉(きじ)を捕ったと日本書紀に記されているのが日本で最古の記録。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった戦国武将たちも鷹狩を好み、大名の間にも広く浸透した。家康は将軍を引いて大御所となっても鷹狩に赴いた。三代将軍・徳川家光は、将軍在職中に数百回も行ったと伝わっている。犬公方と呼ばれ、「生類憐れみの令」で動物を愛護した五代将軍・徳川綱吉も、実は将軍に就く前は鷹狩を行っていたようだ。
綱吉によって段階的に禁止された鷹狩だが、八代将軍・吉宗の時代に復活。吉宗は多くの鷹狩に関する知識を記した鷹書(たかしょ)を収集・研究し、自らも鷹狩の著作を残している。
●次回予告で平賀源内に不幸が忍びよる
2番目に注目されたのは20時43〜44分で、注目度68.8%。次回予告で平賀源内(安田顕)に不幸が忍びよるシーンだ。
「俺の手柄をぶんどってるからじゃねえですかね!」血の付いた刀を源内が眺めている。「ぶんどられたのは俺の方だ!」源内と田沼意次が激しい口論を繰り広げ、源内が足元に小判をまき散らす。「危うしの七ツ星、そこに現れたるは古き友なる源内軒。これより幕を開けたるはそんな2人の痛快なる敵討ち」源内の口上が響き、屋敷の障子を勢いよく開けて進んでいく。次に源内は牢の中で涙を流している。源内の運命が大きく動こうとしていた。
○「どんどん闇落ちしていくのがツライ」
このシーンは、フラグが立ちまくりの源内に視聴者の関心が集まったと考えられる。
蔦重(横浜流星)に老中・田沼意次を引き合わせたり、『吉原細見』の序文を提供したりと、蔦重にとってかけがえのない恩人である源内だが、いよいよXデーが近づきつつあるようだ。
源内が満を持して世に送り出したエレキテルが、図面を盗んだ弥七(片桐仁)によって粗悪品を広められたばかりでなく、そもそも医療効果がないと評判になり、源内の評価は地に落ちた。荒れた源内は竹光とはいえ市中で刀を振り回し、それを見た蔦重は大変なショックを受ける。SNSでは、「源内さんが、どんどん闇落ちしていくのがツライ」「平賀源内の『何やってんだろうね、俺ゃ』の言葉が胸に刺さる…」「源内先生が本作一番の推しだったけど先週からずっとしんどい」と、源内を憂うコメントが多く集まった。
平賀源内は讃岐・寒川郡志度浦、現在の香川県さぬき市志度の白石家の三男として生まれた。11歳の頃に菅原道真が描かれた天神画を加工し、背面のひもを引っ張ると道真の顔が赤くなるという「お神酒天神」を作成して話題となった。その評判が元で13歳から藩医の元で本草学を学ぶ。1752(宝暦2)年には1年間長崎へ遊学し、本草学のほかにオランダ語、医学、油絵などを学んだと伝わる。1756年(宝暦6)年には江戸に向かい本草学者・田村元雄に弟子入りして本草学の知識を深め、漢学を習得するために林家にも入門している。1757(宝暦7)年には日本で初となる博覧会・博物館の先駆けとなる物産会を発案している。
本草学者としてその名が知られるようになると、1759(宝暦9)年に高松藩に召し抱えられる。しかし、源内自身はこれを仕官とは考えていなかったようである。この頃、高松藩は財政難で苦しんでおり、藩主・松平頼恭は藩の収入を上げるため、源内に薬草の栽培を命じた。源内は1761(宝暦11)年に江戸に戻るため辞職を願い出るが、藩の役目を放棄したとして「奉公構」に処せられる。この頃に田沼意次と出会った。奉公構は元の主君からの許しがない限り、他の武家や公家などに仕官することが禁じられる刑罰。罪を犯して改易されるか、主人の不興を買って出奔した家臣などに課せられた。能力の高さが裏目に出てしまったようだ。
●武元の使者の来訪に凍りつく意次
3番目に注目されたシーンは20時32分で、注目度68.3%。死を呼ぶ手袋をめぐる攻防が繰り広げられるシーンだ。
田沼意次から手袋を入手するよう命を受けた長谷川平蔵宣以(中村隼人)は、意次の屋敷を訪れた。平蔵の報告は、手袋を含めて鷹狩の日に徳川家基が身に着けていたものは知保の方(高梨臨)が手元に置いていたが数日前に松平武元の手に渡ったという、意次にとっては最悪の内容だった。「終わったか…」意次はがっくりと膝をつき、「あの手袋は俺が用意したものだ」と、その場にいた、田沼意知(宮沢氷魚)と三浦庄司(原田泰造)、そして平蔵に告白する。
庄司は、種姫、高岳を経て家基へ献上する間に毒を仕込む隙はいくらでもあると主張するが、意知は武元がそうは考えず、意次を追い落とす手札とするのではと懸念した。絶望感が漂う中、平蔵は西の丸を調べつくし、毒を盛った真犯人を探し出すと申し出るが、その直後、従者が武元の使者の来訪を告げる。意次の表情は凍りついた。
○「まさか手袋で田沼意次が絶体絶命になるなんて…」
ここは、追いつめられていく意次の様子に視聴者の注目が集まったと考えられる。
平賀源内と平秩東作(木村了)の調査により、徳川家基の死因は手袋に仕込まれた毒である可能性が濃厚となった。手袋を手配した意次は是が非でも手袋を押さえようと苦心するが、政敵である松平武元の手に渡る。意次の観念した表情が印象的だった。SNSでは、「まさか手袋で田沼意次が絶体絶命になるなんて…」「蔦重サイドと意次サイドの温度差がものすごいな」「ちょっとした好意だったのにそれが原因でここまで追いつめられるとはね」と、緊迫した政治パートが大きな話題となった。
覚悟を決めて武元のもとを訪れた意次だったが、武元の対応は意外なものだった。公私混同せず、真犯人を突き止めようと意次と協力体制を取ろうとした武元だが、なんと武元までもが不自然に急死してしまう。家基といい武元といいこのタイミングでの死は、誰が考えても意次による犯行だと思ってしまうだろう。裏で糸を引いているのは御三卿のあのお方なのだろうか。
松平武元は常陸・府中藩の第三代藩主・松平頼明の4男として1713(正徳3)年に生まれた。幼名は武元(たけもと:漢字はそのまま)。1728(享保13)年に上野国館林藩第二代藩主・松平武雅の養嗣子となり家督を相続する。その直後に陸奥・棚倉に転封された。1746(延享3)年に西の丸老中に就任すると、上野・館林に移る。1747(延享4)年に老中、1764(明和元)年に老中首座に就任。この頃に呼び方を「たけもと」から「たけちか」へ改める。徳川吉宗、家重、家治と三代にわたって将軍に仕え、特に家治からは「西丸下の爺」と呼ばれ厚い信頼を寄せられた。老中首座は1779(安永8)年の死去までの15年もの間務めた。西の丸老中は幕政には関与せず、主に西の丸に居住する大御所や将軍嗣子の家政を総括する役割だった。
今回のキーアイテムとなった鷹狩用の手袋だが、正式には「エガケ」と呼ばれる。鷹の持つ鋭い爪から手を守るため、強度と柔軟性を兼ね備えた鹿革が用いられる。使い込むほどに手になじみ、鷹の足の感触が伝わりやすくなり、鷹匠は鷹の状態を詳細に把握できるようになるのだ。
●『白い巨塔』の東教授も…弟子いじめが絶品の石坂浩二
第15話「死を呼ぶ手袋」では、1779(安永8)の様子が描かれた。
今回は次期将軍・徳川家基が不審な死を遂げ、幕府内が大いに荒れる様子が描かれた。また、エレキテルが原因で闇落ちが確定しつつある平賀源内もクローズアップされ、全体的に不穏な雰囲気がただよう回となった。
注目度トップ3以外の見どころとしては、何といっても「白まゆげ」こと松平武元が挙げられる。田沼意次にとっては目の上のたんこぶといった存在で、何かにつけ意次をイジメてきた武元だから、意次を犯人と決めつけてくると誰もが予想しただろう。しかし武元は冷静に状況を分析して犯人は意次ではないと断言した。「そなたが謀ったのであるならば、早々に引き上げるなど何か手を打つはずであろう」というセリフは非常に重みがあった。武元は敵対しながらも意次の能力を認めていることが分かる。史実では武元と意次は師弟のような関係であったとも言われている。『白い巨塔』の東教授もそうだったが、石坂浩二は目をかけてきた弟子をイジメる役が絶品だ。
武元と意次の年齢は、ドラマでは親子ほどの差があるようなビジュアルとなっているが、実際は6歳差。一説では同い年とも言われている。SNSでは、「田沼意次と松平武元のシーンは胸が熱くなった。考え方は違っても、国のことを思っているのが伝わってくる」「武元さま、敵対する相手でもそれはそれとして、分別ある判断のできる方だったんだな」「意次のやり方は気に食わないけど、それでも一定の理解を示し、認めていた関係は素晴らしい」と、残念ながら今回で退場となる武元の評価が、最後の最後でストップ高となった。
そしてその武元の死に関わっていそうな一橋治済(生田斗真)にも注目が集まっている。松平定信(寺田心)の兄・田安治察(入江甚儀)が謎の死を遂げた時と同様に人形を操る姿には多くの視聴者が震撼したようだ。SNSでは、「一橋治済のお人形さんが映った瞬間にうわぁーって声出ちゃった」「治済の底知れない恐ろしさに背筋が凍りついたよ」とその暗躍ぶりに注目が集まっている。果たして家基・武元暗殺の黒幕は治済なのだろうか。
また、冒頭の瀬以(小芝風花)を失ったショックからいまだ立ち直れずにいる蔦重の姿は切なかった。瀬以との幸せな生活を夢に見るほどに引きずり、半次郎(六平直政)や留四郎(水沢林太郎)から心配されていた。
そして今回、山中聡演じる杉田玄白が初登場を果たした。玄白はドイツの医師・クルムスの解剖書のオランダ語の訳本『ターヘル・アナトミア』を前野良沢・中川淳庵とともに和訳し『解体新書』として1774(安永3)年に須原屋市兵衛の下で刊行した。平賀源内とも付き合いがあり、1765(明和2)年にはオランダ商館長やオランダ通詞らの一行が江戸へ参府した際、玄白は源内とともに、一行の滞在する長崎屋を訪れている。りつ(安達祐実)のジョブチェンジも話題となっている。
りつは女郎屋をやめ、芸者の見番になると表明した。見番は芸者を統括・管理する事務所のことだ。また、丁子屋長十郎(島英臣)は病にかかった女郎を休ませるために寮を活用することを提案していた。りつや長十郎のはからいで、吉原の職場環境が改善されると素晴らしい。
きょう20日に放送される第16話「さらば源内、見立は蓬莱」では、源内と意次が激しく口論を繰り広げる。そして蔦重は源内に戯作の執筆を依頼するが、源内の様子はどこかおかしく、奇妙な言動を繰り返す。そんな折、意次のもとに源内が人を斬ったという知らせが入る。