「歌手をやめたい」23歳で結婚→休業へ…ステージ復帰を決めた松田聖子が当時の夫についた「ひどい嘘」とは?
2025年4月22日(火)12時10分 文春オンライン
松田聖子が今月1日、1980年に「裸足の季節」で歌手デビューしてから45周年を迎えた。同日には、槇原敬之がプロデュースした45周年記念楽曲「Shapes Of Happiness」のミュージックビデオが公開されている。聖子にとっては、2021年10月リリースのアルバム『SEIKO MATSUDA 2021』収録の「私の愛」など以来の新曲ということになるだろうか。人それぞれ幸せの形は違うと歌った同曲は、多様性の時代にふさわしいと感じさせると同時に、63歳になった現在も伸びやかでキラキラした聖子の歌声に驚かされる。
きょう4月22日は、いまから29年前の1996年に聖子自ら作詞・作曲してミリオンセラーとなったシングル「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」の発売日だ(曲は小倉良との共作)。
当時34歳、不満の残った全米進出に再び挑む
当時34歳だった彼女は、1990年に一度は挑戦しながら不満の残った全米進出に再び挑み、前年の1995年にはアメリカのA&Mレコードと契約していた。これにともない日本国内でも、デビュー以来15年間在籍したソニーレコード(旧CBS・ソニー)から、A&Mと同じグループのマーキュリー・ミュージックエンタテインメント(現ユニバーサルミュージックジャパン)へと移籍した。

マーキュリーへの移籍後第1弾シングルとなる「あなたに逢いたくて」は、日米それぞれでリリースするアルバムを同時進行でレコーディングするなかで制作された。同曲が生まれる過程を彼女は次のように語っている。
〈《アメリカの曲と日本の曲を抱えてたから、忙しい最中で作ったんですけど、これに限らず、曲作りは、それぞれの国の感情を大事にしたいと思ったんです。国内盤には日本に合った曲、アメリカ盤にはアメリカに合った曲をって、私の中で分けたかったから。『あなたに——』は先に曲を作って、できあがったのを聴いてると、これは切ない歌詞がいいな、サビはキャッチーなほうがいいな、それも繰り返していくほうがいい、難しくなくわかりやすいほうがいいって。けっこうアイデアがわいたんですよ。それで、♪あなたに逢いたくて逢いたくて♪ってなったんです》(『JUNON』1996年7月号)〉
ダンスミュージック全盛期に「バラードで行きたい」
出来上がった曲は恋人との別れを歌ったバラードであった。彼女の言うとおり、たしかにあのサビはキャッチーで、甘く切ない歌唱もあいまって一度聴けば忘れられない。しかし、当時は小室哲哉プロデュースに代表されるダンスミュージックの全盛期とあって、マーキュリー側は当初、移籍第1弾をスローバラードで勝負するのは危険すぎると考えたらしい。これに対し聖子は冷静に「バラードで行きたい」と主張したという(『週刊朝日』1996年6月7日号)。
ふたを開けてみれば同曲は、コピー機のCMで女優の夏目雅子(1985年死去)の在りし日の映像のバックに流された効果もあり、発売の前月には早くも20万枚分の予約があったという。結果的に聖子のプロデュース力が証明されたことになる。ちなみに聖子は夏目雅子と、その夫の伊集院静が自身のコンサートを演出していた縁から親交があり、ずっと憧れの人であった。
「あなたに逢いたくて」に続き、聖子はシングル「Let's Talk About It」「I'll Be There For You」、アルバム『Vanity Fair』『WAS IT THE FUTURE』、ビデオクリップ『Vanity Fair』と、わずか1ヵ月半のうちに日米双方で作品を怒濤のようにリリースしている。この間、1996年5月には主演した日米合作映画『サロゲート・マザー』が公開され、6月からは全国ツアーも始まり、多忙をきわめた。
松田聖子というと、とかく80年代、とくにデビューから1985年に最初の結婚をするまでの約5年間の楽曲がクローズアップされがちだが、そのなかにあって「あなたに逢いたくて」はいまだにカラオケでも歌われ、聖子の90年代の代表曲となっている。そう考えると、この曲があったからこそ、彼女は現在まで半世紀近くにわたり歌手を続けてこられたと言っても過言ではないだろう。
「いつか百恵さんのように、引退、結婚という道をたどります」
とはいえ聖子は、デビュー当初、人生を通して歌手を続けようとは必ずしも思っていなかったふしがある。その証拠に、出す曲がことごとくヒットチャートでトップを獲得していた1982年に刊行された彼女(当時20歳)の著書『青色のタペストリー』(CBS・ソニー出版)を読んでいると、こんな一文と出くわす。
〈《私もいつか百恵さんのように、引退、結婚という道をたどります。そうして私が、幸福な家庭の奥さんになった時、はじめて私と百恵さんとのあいだに、共通するものがいろいろと生まれてくるんじゃないでしょうか。そしたらお互いのベビーを抱いて、おしゃべりする機会があるような気がします》〉
文中に出てくる「百恵さん」とは、元歌手の山口百恵のことだ。聖子はちょうど引退する百恵と入れ替わるようにデビューしたことから、彼女と比較されることが多かった。先に引用した文章は、取材のたび百恵について感想を求められるので、引退してすでに自分とは違う場所にいる人についてコメントをするのは失礼だと苦言を呈する流れで出てくる。ちなみに『青色のタペストリー』は、構成をこのころ本音エッセイで人気を集めていた林真理子(翌1983年に小説家デビューする)が担当したからか、これ以外にも聖子からけっこう率直な発言が出てきて興味深い。
結婚後は主婦業に専念するつもりで休業へ
山口百恵と比較されることは、1985年に23歳で俳優の神田正輝と結婚し、翌年の出産と前後して活動に復帰するとさらに目立つようになる。百恵が結婚に際して引退して家庭に入ることを選んだのに対し、結婚・出産後も仕事を継続した聖子は、女性の社会進出の象徴とも目された。そこには、ちょうど男女雇用機会均等法が施行された時代背景もあったのだろう。
聖子自身は、母親が専業主婦だったことから、結婚したら家庭に入るのが普通かなと思っていたという。実際、結婚すると主婦業に専念するつもりで休業に入った。結婚して約半年後に当時の本名の神田法子で出版した自伝『聖子』(小学館、1986年)でも、《いまの私は、まだまだうたうことと家庭とが、ギャップもなくすんなり両立するとは思えない。うたうことよりも何よりも、私はいま、彼との暮らしを大事にしたい。そして母親になりたい。/歌も大好きだけれど、ここ当分は神田法子として、主婦という新しい“仕事”に生きたいと思っている》とつづっていた。
しかし、この前後の文章では、テレビで歌番組を見たあとで《「やっぱり歌番組というのは、私にとっては見るものではなくて、出るものみたいだなあ」と胸のなかでひとりごとをいっている自分を知った》と明かすなど、迷いもうかがえる。周囲の人にもひそかに相談していたようだ。CBS・ソニーで聖子を世に送り出すのに尽力した一人である稲垣博司(のちのソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役副社長)はこのころ、彼女から結婚生活の悩みをつづった手紙をもらっている。そこには「歌手をやめたい」とまで書かれており、稲垣は本人と話し合って、何とか翻意させたという(『文藝春秋』2025年1月号)。
ステージ復帰を決意、夫の神田には「ひどい嘘」も…
結果的に彼女は早々に復帰を決意する。きっかけはある日、夫の神田が仕事に出かけたあと、家で一人で何となく自分のコンサートのビデオを見ていると突然訪れたという。のちに彼女は次のように振り返っている。
〈《それで見てたら、はっとなんか目から鱗が落ちるような感じで、「あれっ、私、なんで今ここに、こんなふうにいるんだろう」って、突然思ったんですよ。そう思ったらすごい悲しくなってきちゃって、「これはいけない」って。(中略)歌わなくちゃって思っちゃったんですね。それでスタッフに電話をして。主人はいい顔はしなかったんですよ、「エッ」って。だからスタッフにも一緒に説得してもらって。レコーディングだけです、テレビもツアーも出ません、あなたがいない時間だけ仕事しますって。今思うとひどい嘘ですけどね(笑)》(『月刊カドカワ』1995年7月号)〉
結局、結婚して約2年間の休業中、シングルこそ出さなかったが1986年6月にはアルバム『SUPREME』をリリース、10月に長女の沙也加を出産後、その年の暮れには同作でレコード大賞の最優秀アルバム大賞を受賞している。デビュー以来出場を続けてきたNHKの紅白歌合戦には前年もこの年も出場した。出産からわずか2ヵ月でレコ大と紅白のステージに立つなど、いまではちょっとありえないだろう。
そのまま1987年にシングル「Strawberry Time」で本格復帰すると、5〜6月にはコンサートツアーも行っている。翌1988年には、東京・自由が丘に開店したブティック「フローレンス・セイコ」が盛況をきわめ、さらに9月にリリースした「旅立ちはフリージア」が、1980年の3rdシングル「風は秋色」以来24曲連続となるオリコンのヒットチャート1位を獲得した。全米デビューの話が持ち上がったのは、そんなふうに安定した人気を保つなかでのことであった。
〈 紅白落選、全米デビューに「幼い娘を置いて」と批判も…「つらい。帰りたい」当時26歳の松田聖子を襲った“試練の数々” 〉へ続く
(近藤 正高)
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