枯木や杉林の地図記号があった!?針葉・広葉樹林のほかにもあった、森の記号の歴史

2024年4月21日(日)9時0分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

地図を読む上で欠かせない、「地図記号」。2019年には「自然災害伝承碑」の記号が追加されるなど、社会の変化に応じて増減しているようです。半世紀をかけて古今東西の地図や時刻表、旅行ガイドブックなどを集めてきた「地図バカ」こと地図研究家の今尾恵介さんいわく、「地図というものは端的に表現するなら『この世を記号化したもの』だ」とのこと。今尾さんいわく、「日本の地形図に森林といった包括的な記号はない」そうで—— 。

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森の記号は針葉、広葉、その他いろいろ


ネットの地図では「緑色の表示が森林」というのが定着している。実際の緑の濃淡はいろいろだが、川や海を水色で表現するのと同様にイメージしやすい色使いだ。

アメリカやスイスなど、国によっては薄い緑の面表現で森林を表す地形図を刊行している例も珍しくないが、日本の地形図に森林といった包括的な記号はない。明治から現在に至るまで、いくつかの記号で分類してきた。

針葉樹林と広葉樹林の2種類が基本で、これが国土の7割近くを占める森の大半に用いられている。その他には、南西諸島などに見られる「ヤシ科樹林」、それから、通常は森と呼ばない「竹林」や「ハイマツ地」「笹地」などがその仲間だ(以上「平成25年図式」による呼称)。

明治からと申し上げたが、明治13年(1880)から測量が始まった日本で最初の地形図とされる「迅速測図」で用いられたのは針葉・広葉樹林という分類ではなかった。

彩色された原図(日本地図センターが一部を復刻販売)では森林のエリアを緑色に塗り、そこに「杉」や「松」などと樹種がそのまま記されており、2種ある場合は「楢及松」などと芸が細かいが、これはあくまで原図のみで、刊行されてはいない。

明治20年代に刊行された1色刷の印刷図「2万分1迅速測図」では文字表記ではなく記号に転換された。具体的には針葉樹が「松林」「杉林」「檜林」の3種類、広葉樹は「雑樹林」である。

ちなみに現在の竹林は「竹叢」、笹地は「篠叢」の記号が用いられ、今日では該当する記号がない灌木や草などが茂った場所には「樸叢(ぼくそう)」という聞き慣れない名前の記号も置かれた。

次に関西を中心に明治17年から整備された「仮製図式」ではこれに「楢林及椚(くぬぎ)林」が加わったが、樹林の種類を現在のように針葉・広葉樹林に分類するようになったのは「明治24年図式」からである。

当時の用語として「鍼葉(しんよう)樹林」と「濶葉(かつよう)樹林」が用いられ、記号は当時ドイツで使われていたものをそのまま輸入した。針葉樹林は∧の右下に影のような点々、広葉樹林は○の右下に点々の記号である。

「独立樹」と「抽出樹」


樹林の記号とは別に定められていたのが「独立樹」と「抽出樹」だ。これは現在より地形図に「目標物」の機能が重視された時代ならではの記号で、集落を遠望した際にもこの記号があれば場所の特定が格段にしやすくなる。

「昭和40年図式」で廃止されたのですでに馴染みが薄くなってしまったが、図から風景を再現するのには実に役立つものであった。たとえば神社境内の巨大なシイの木(独立広葉樹)や、校庭に植えられたメタセコイアの木(独立針葉樹)などが印刷された図からは、昔の風景がにわかに眼前に浮かび上がってくる。

独立樹と抽出樹の違いはわかりにくいが、「明治42年図式」の解説書『地形図之読方』によれば、独立樹を「大ナル単独樹、或ハ樹林ヲ成スニ至ラサル樹木ノ集合ニシテ、目標ト成ルヘキモノヲ示ス。然レトモ所在ニ依リ樹木小ナリト雖、善良ノ目標ト成ルモノハ之ニ依リ示ス」としており、添えられたイラストには路傍に2本の杉らしき巨樹が描かれている。

これに対して抽出樹は「居住地森林等ヲ隔テテ能ク之ヲ望見スルコトヲ得ル最善良ノ目標ト成ル単独樹、或ハ二三株ノ集合ヲ示ス」との説明だ。


『地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)

イラストは遠望した農村らしき樹木の多い集落で、そこに描かれた木々の平均的樹高より抜きんでて(抽出の本来の意)高い木として示されているので、目標物としての機能をより多く期待したようだ。それでも両者の間に線を引くのは難しかったようで、「大正6年図式」では併せて「独立樹」にまとめてしまった。

ちなみに「明治42年図式」は「明治33年図式」とともに記号の種類が史上最も多く、他にも「孤竹」や「枯木、焼木林」さえ定められていた。特に「孤竹」は不思議で、そもそも竹という植物は地下茎で繋がって藪を成すものではないか。

私は見たことがないが、ネットの百科事典「コトバンク」で孤竹を調べると「たった一本だけ生えている竹」という説明が載っているからどこかに存在するのだろう。いずれにせよ明治33、42年の両図式だけに用いられた短命の記号であった。

通過困難の部


樹林記号と一緒に用いられたのが「通過困難の部」である。これは針葉樹林や広葉樹林の記号と同じ密度で点を置いたもので、旧版地形図で最初にこれを見た時には印刷の際のゴミと勘違いした。ゴミにしては点々がきれいに入っているので念のため確認してみたら、れっきとした記号で赤面した覚えがある。

陸地測量部内の資料である『地形図図式詳解』によれば、「樹林、竹林、荒地、矮松(ハイマツ)地、篠地等ニシテ通過極メテ困難ナルモノハ、地類記号ニ之ト概ネ同数ナル径零粍一五〔直径0.15ミリメートル=引用者注〕ノ円点ヲ交ヘテ之ヲ示スヘシ。但通過難易ノ判断ハ、軍装セル単独歩兵ノ行動ヲ以テ標準トスルモノトス」としている。

基準は行軍のプロである歩兵であるから、もちろん私のような素人ハイカーのレベルではない。道路や水路に沿って木を植えた並木にも独特な記号の用法があった。

つい最近の「平成21年図式」まではこの用法が行われていたのだが最新の「平成25年図式」には見当たらず、東京の表参道のような重厚なケヤキ並木の道も、その他の凡庸な道もただの2条線になってしまったのは誠に残念である。

それ以前はたとえば杉並木なら針葉樹林の記号、イチョウ並木なら広葉樹林の記号を道の両側に等間隔で配してそれなりの雰囲気があった。道路ばかりでなく水路端にも並木は植えられており、たとえば越後平野では刈り取った稲を干すための稲架(はさ)として用いたため、当地の旧版地形図にはこれが目立つ。

「昭和35年加除図式」以前は樹種にかかわらず小さな○印を等間隔で並べた「並木」という独立した記号があった(明治42年後半まで陸地測量部では「行樹(こうじゅ)」と称した)。

ただし戦前の場合は景観を示す重要性はもちろん有しながらも、前出の『地形図図式詳解』では、「砕部〔細部〕ノ軍事上ニ於ケル価値」の章で並木を取り上げ、「開豁(かいかつ)地ヲ通スル道路ノ並木ハ航空機ニ対シ行軍縦隊ヲ掩蔽(えんぺい)スルノ利アリ」と、空から見えにくい隠れ場所としての重要性を指摘している。

視点が違えば同じ風景でも見えてくるものはずいぶんと違うものだ。

現在も使われる「ヤシ科樹林」の記号


現在も使われている「ヤシ科樹林」は、記号が多かった明治の図式には意外にも存在せず、初登場は「大正6年図式」である。

「椶櫚(しゅろ)科樹林」がそれで、「昭和40年図式」では5万分の1地形図で使われない時期もあったが、「昭和40年図式(同44年加除訂正)」では完全復活を果たした。戦後であるから用語も「しゅろ科樹林」と平仮名だ。

さらに「昭和61年図式」では記号の名称が「やし科樹林」と変わって現在に至る。厳密に言えば「椶櫚科」の図式は「椰子樹、檳榔(びんろう)樹、 林投(アダン)樹等の樹林」、「しゅろ科」の図式は「しゅろ、そてつ、やし等の密生地」、そして「やし科」の記号は「やし科、へご科、たこのき科等の植物密生地」に適用されることになっている。

最新の「平成25年図式」ではさらに詳しく、「ヤシ科植物(フェニックス、シュロ、ナツメヤシ等)、大型のシダ植物(ヘゴ等)、大型の熱帯植物(タコノキ、ガジュマル等)が密生している地域に適用する」となった。

愛媛県のJR宇和島駅から続くワシントンヤシの並木、静岡県伊東の国道135号沿いのフェニックス(カナリーヤシ)並木ではこの記号が並んで南方気分を感じさせていたが、今の図では残念ながら見られない。それでも滋賀県高島市マキノ町のメタセコイア並木がまだ描かれているのは、担当者のこだわりだろうか。

※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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