丸山ゴンザレス「旅の終わりの場所」としての喫煙所が空港から消えることに一抹の寂しさを。バンコクの喫煙所は若い頃の自分と周りにいた旅人たちの存在証明のようなものだった

2024年4月22日(月)12時30分 婦人公論.jp


(写真:丸山ゴンザレス)

ジャーナリストの丸山ゴンザレスさん。危険地帯や裏社会を主に取材し、現在はテレビに加えてYouTubeでも活躍中です。その丸山さんに欠かせないのがタバコ。スラム街で買ったご当地銘柄、麻薬の売人宅での一服、追い詰められた夜に見つめた小さな火とただよう紫煙…。旅先の路地や取材の合間にくゆらせたタバコの煙がある風景と、煙にまとわりついた記憶のかけらを手繰り寄せた丸山さんの異色の旅エッセイ『タバコの煙、旅の記憶』より「バンコクで出会った景色」を紹介します。

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“タバコの煙”とそこにひっかかってくる記憶


コロナ禍で海外への渡航がままならなかった時期、過去の旅を思い浮かべることが増えていた。とりとめもなく、いろんなことを思い出す。なかでも“タバコの煙”と、そこにひっかかってくる記憶は、ひときわ深く思い出に刻まれていた。

空港に到着して一発目のタバコ、喫煙所を探して右往左往したこと、喫煙所でライターの貸し借りから始まった会話、スラム街でご当地タバコを買ったこと、NYで携帯灰皿を「意識高いな」といじられたこと、追い詰められた夜にホテルのテラスでタバコの火をじっと見つめたこと、異国の地で体にまとわりつくように漂うタバコの香り……。

二度と会うことない人たちや今では存在しない場所も含めてタバコの煙のあった風景がいくつも浮かび上がってきた。俺の旅とタバコの煙は思いのほか強いつながりがあるのかもしれない。

世相の移り変わりとともに、俺のタバコ好きも落ち着いてきた。若い頃、どれだけタバコが吸いたかったのかを思い出してみる。

喫煙者にとって失われゆく風景が増えている


南アフリカに行く途中に立ち寄ったドバイの空港で、係員に「喫煙所どこ?」と泣きついて、結局、空港職員が秘密で吸ってる店の裏に連れて行ってもらったことがある。

アメリカの中でも特に巨大なダラス空港では、喫煙所が見つからなくて、いよいよトイレで吸おうと思って入ったら、すでに先客の何人かが吸っていて空港職員に怒られている現場に遭遇。大人しく退散することもあった。


『タバコの煙、旅の記憶』(著:丸山ゴンザレス/産業編集センター)

30代、40代と年を重ねると体は刺激をそれほど強く求めなくなった。おかげで10時間以上のフライトの後で、イミグレーションを通過して空港の外に出てからの一服の良さを楽しむことができる程には成長できた。

むしろ老化とでも言えるかもしれないが、ともかく今はルールの範囲内で喫煙をするように体が慣れてきているのだ。

喫煙者にとって失われゆく風景が増えている。そこに旅人の視点を加えると、さらにはっきりとした形で喪失を実感する。

一抹の寂しさが


バンコクのスワンナプーム空港内から全ての喫煙所がなくなった。空港の外に行けば、今でも吸える場所は設置されているのだが、空港の施設内の喫煙所は完全になくなったのだ。

このスワンナプーム空港の喫煙所に直接つながるような記憶があるわけではないが、旅の終わりの場所としての空港から喫煙所が消えてしまったことに一抹の寂しさがあったのだ。


(写真:丸山ゴンザレス)

タイのスワンナプーム空港ができる前、バンコクのメイン空港はドンムアン空港だった。喫煙所がいくつかあったのを覚えているが、もっと記憶に残っているのは、そこが最後の再会の場所になっていたことだ。

東南アジアをあちこち旅して、最後にバンコクに戻ってくる旅人が多かった。日本から往復チケット(オープンかフィックスかなど、当時はいろんな買い方をしていた)がお手頃だったこともあったのだろう。

旅行者の聖地となっていたカオサン通りに宿をとって同年代の旅人たちと交流する。やがてそれぞれのスケジュールで帰国していく。学生時代の帰国便はノースウェストかエアインディアが定番。安い便を選ぶとフライト時間は決まって深夜か早朝になった。

お金を節約するためにバスで空港まで移動するため、どうしても数時間を空港で過ごすことになる。バーガーキングかマクドナルドで軽い食事ぐらいはとることもあるが、そもそもお金がないので自然と喫煙所に行くことになる。

そこには、宿や旅先で別れたはずの連中がいたりする。それは帰りの飛行機の選択、大学の授業開始のタイミングなどから決して低くない確率だったりするのだ。

「次はどこに行く?」なんて話を


インド、カンボジア、マレーシア、ベトナムなどで出会った連中と「あ〜久しぶり!」という感じで出くわす。わずか1週間前に別れた奴がいたかと思うと、1年前に出会って名前も知らないけど顔だけは覚えていた奴もいる。

関係性の濃度はバラバラだが、喫煙所で出会うと旅先で気を張っていた感じが薄れて、自然とお互いに咥えタバコで旅の報告をしてアドレス帳に連絡先を交換し合う。ネットが未発達だった時代によくみた風景だった。そうして何度か日本に帰ってから集まる仲間もできたりした。

当時、住んでいた川崎のアパートに泊まりにきて鍋を囲んで旅の話をしたり、背伸びして代々木上原のアイリッシュバーに繰り出しては、「次はどこに行く?」なんて話を飽きずに繰り返していた。

やがて、学生だった連中が割といいところに就職したり、留学したりする。なかには連絡がつかなくなったり、共通の知り合いから失踪したと教えられることもあった。

連絡がついていた連中とも、タバコの火が永遠に燃え続けることがないように、いつかはその関係も途切れていた。

これも俺が選んだ人生である


本当は俺も就職して家族を持つとか、親の期待するまともな人生を歩むチャンスはいくらでもあったのだろう。

しかしその道を選ぶことはなかったので、今でも若い時と同じか、それ以上の頻度で海外に通い、旅をして、取材を重ねて記事を書き、動画を発信し続けている。


(写真:丸山ゴンザレス)

あの頃よりも少しグレードの高いホテルや飛行機を選択できるようになった。時には空港のラウンジで出発時間まで過ごすこともある。

そこには喫煙所はないし、旅先で出会った同世代の連中との再会もない。

切ないわけではない。俺が同じ場所をずっと見続けてきたから気になるだけ。本当はもっと早くに卒業しているべき生き方なのだ。これも俺が選んだ人生である。

ただ、バンコクの喫煙所は俺にとって若い頃の自分とその周りにいた旅人たちの存在証明のようなものであったのだ。だから、それがなくなった時に少し寂しくなった。そんな感じなのである。

※本稿は、『タバコの煙、旅の記憶』(産業編集センター)の一部を再編集したものです。

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