ともに身長190cm超、合計体重約250kg…父はアメリカ海軍で身体もルーツも「ビッグスケール」だけど中身はキュート? 双子プロレスラー・斉藤ブラザーズの“波乱万丈な子ども時代”

2025年4月27日(日)12時0分 文春オンライン

 全日本プロレスで活躍する史上最強の双子プロレスラー、斉藤ジュン(兄)と斉藤レイ(弟)によるユニット“斉藤ブラザーズ”を知っているだろうか? 


 ともに身長190cm超、合計体重約250kgの圧倒的なフィジカルを武器に、2021年のデビュー直後から頭角を現し、世界タッグ王座戴冠、プロレス大賞新人賞・最優秀タッグ賞受賞など、マット界を席巻している。また、端正なルックスとお茶目なキャラクターが人気を集め、写真集発売、CDリリースとリング外にも進出。その勢いは、とどまるところを知らない。


 しかし、2人の人生は紆余曲折だ。日本人の母、アメリカ軍人の父を持ち、両親は双子が母のお腹にいるときに離婚。高校時代はアメリカで過ごした。“斉藤ブラザーズ”として花開くまで——。足跡を振り返ってもらった。(全3回の1回目/ 続き を読む)



兄の斉藤ジュンさん(左)と弟の斉藤レイさん(右) ©杉山秀樹/文藝春秋


◆◆◆


弟の勧誘から始まった「プロレスラーとしての第2の人生」


——現在はマット界での活躍のみならず、テレビやラジオへの出演、さらには斉藤ブラザーズ写真集『DOOM!』、メジャーデビューシングル『どっち?』のリリースなど、リング外でも飛ぶ鳥を落とす勢いです。お二人はこの人気をどのようにとらえているのでしょうか?


レイ デビューして2〜3年後には、世界タッグ王座を獲りたいという気持ちがあったので、人気のあるレスラーになれるという自信はありました。ただ、写真集を出したり歌を出したり、こんなにいろいろなことができるとは思っていなかったですね(笑)。


ジュン 自分は弟から、「プロレスをやってみないか」と誘われて30回……そんな数じゃきかないな。とにかく顔を合わすたびに、「プロレスやろう」と誘われました。当時、自分たちは大相撲を引退して30歳を超えていましたから、そんなに甘い世界じゃないと断っていたんですけど、あまりにしつこかったんで最終的に自分が折れて、挑戦してみようとなったんですよね。


——レイ選手のしつこすぎる勧誘がなければ、史上最強の双子プロレスラー“斉藤ブラザーズ”は誕生していなかったと。


ジュン それは間違いないですね。相撲を8年もやっていたので、格闘技の厳しさは身に染みているし、またゼロから始めることの大変さも分かっている。だからこそ中途半端な気持ちじゃなくて、プロレスラーとして第二の人生を成功させるんだという気持ちがありました。


レイ 自分らは元力士で双子という他の選手にはないキャラクターがあったので、絶対に人気は付いてくると信じていましたね。


父はアメリカ海軍、双子が生まれる前に帰国することに…


——実力はもちろん、その人となりも“斉藤ブラザーズ”の魅力です。幼少期についてお伺いしたいのですが、お二人のお父さまはアメリカ海軍の軍人で横須賀に駐在していた。そのときに、お母さまと出会うんですよね?


ジュン そうです。自分たちを出産するとなったとき、父親は日本での滞在期間が終わるということでアメリカに戻ることになりました。ただ、母親は自分たちとは父親違いの息子と娘がいたこともあり、日本を離れるのが怖かったそうです。それで母は日本に残ることを選んだんですね。自分たちは、本当は横須賀で生まれる予定だったんですけど、父親がアメリカに帰らなければいけないということで、母は地元の宮城県角田市に戻って、自分たちを出産しました。


レイ 仲が悪かったわけではないのですが、軍人だったので自分の意思とは関係なく離れ離れに。戸籍上は、離婚という形にはなっているんですけど。


——お父さまに会われたことは?


レイ その頃は写真で見たことがあるくらいですね。あと、手紙でやり取りもしていました。


ジュン 中学を卒業するとき、父親に会ったことがないということで、レイと相談してアメリカに留学することを決めたんです。英語も身に付くし、人生経験にもなるんじゃないかって。


レイ 父親もやっぱり来てほしいって気持ちがあったみたいで。


ジュン 父親からはアメリカを離れることは難しいから、こちらで一緒に暮らさないかというような手紙が届いたりしていたんですよね。ですから、父親に会ってみたいという気持ちがどんどん強くなって。


レイ アメリカのハイスクールに通いたいと伝えると、父親は飛行機のチケットを用意するから、中学校を卒業したらこっちに来なさいと手配してくれたんです。卒業してすぐ、3月15日にアメリカへ出発しました。


——多感な時期に、特殊とも言える家庭環境で育っています。精神的に不安定になったりはしなかったのですか?


レイ 自分たちは一切なかったですね。


ジュン 生まれたときから母子家庭で、父親がいないことが当たり前でした。自分たちは中学校の時点で180センチを超えていました。もっと身長が伸びると思っていたんですけど、思いのほか伸びなかったなぁ(笑)。


——よく食べる兄弟だったんだろうなと想像できます(笑)。


ジュン 自分らは人の2倍も3倍もご飯を食べていたので、母親には苦労をかけましたね。


レイ 冷蔵庫の中に食べ物があると食べてましたから。次の日のお弁当用の食材なのに、全部食べたりしてよく怒られました(笑)。


米アマレス名門校で過ごしたハイスクール時代


——とは言え、それだけ身体が大きかったということは、アメリカのハイスクールでは何かスポーツを?


ジュン 中学時代は体が大きいという理由で柔道をすることになったのですが、あまり強くないながらも基礎体力は付いたというか。留学すると、父親が学生時代にアメフトとレスリングをしていたので、自分たちもすることになったんですよ。父親は、高校生のときにアマレス(アマチュアレスリング)のヘビー級チャンピオンになったような人物で。


レイ そもそも自分たちは英語がそんなにできなかったので、スポーツよりもまずは勉強をこなすことが精一杯でした。でも、父親は「トライしてみなさい」と。


ジュン 高校はサウスダコタ州にあるアマレスの名門校でした。父親から、「この時間にここに行きなさい」って言われて向かうと、何も言われないまま一斉に走り出して、そのまま練習が始まるという。


——何か紹介とか号令があるわけでもなく?


ジュン 何も言われずに。


レイ 気がつくと始まっていて、2人とも知らないうちに入部していました。


——さすが軍人、スパルタですね……。


ジュン 練習が厳しいことで有名で、翌日は半分くらいの数に減っていましたけど、いろいろ手配をしてくれた父親にかっこ悪いところは見せられないと思って、辞めるっていう考えはなかったですね。


レイ アメリカはシーズンごとにスポーツが変わるので、秋はアメリカンフットボールをやって、冬はアマレスを、春は陸上。それを3年間、続けました。


ジュン 留学をした他の日本人からは、現地でも日本人のグループとだけ仲良くしてしまって、英語が身に付かなかったみたいな話をたびたび聞くんですけど、自分らはスポーツをやったことで日本人以外の友だちがたくさんできたんですよ。結果的に、すごく世界が広がったと思います。


レイ やって良かったよな。


ジュン 体力が付くことで自信も付いてたので、将来は格闘技やスポーツの世界でご飯を食べていきたいという気持ちが芽生えたのも、ハイスクール時代があったからこそですね。


レイ アメリカンフットボールは、チームスポーツじゃないですか。コミュニケーションを取らないといけないので、スポーツを続けていたことが英語の上達にもつながったと思いますね。


——ハイスクールでの経験が、後にお二人をスポーツの世界へと誘う原点となるわけですが、子どもの頃の夢は何か別にあったのでしょうか?


ジュン 子どもの頃は……俺はとにかく宇宙が好きだったので、宇宙飛行士になりたいなと思っていましたね。


レイ 自分は絵描くのが好きだったから漫画家とかいいなと思っていたな。


——お二人とも、今とまるで違うじゃないですか(笑)。


ジュン ただ、ありがたいことに地元・角田市のPR大使をやらせていただいているんですけど、角田市は「角田宇宙センター」というJAXAさんの施設があるので、ゆくゆくはJAXAさんとお仕事をしたいなと思っています。


レイ じゃあ俺はイラストを描くお手伝いがしたいな。


念願の相撲部屋に仮入門するも1週間で「1回、戻ります」


——ジュン選手は、K-1選手を夢見て、帰国されるんですよね?


ジュン 当時、K-1がとても流行っていたので、自分は格闘技をやりたいと思ったんですよね。帰国したらK-1とゆかりのあるキックボクシングジムに通って、選手を目指そうと思いました。ですが、父親から短期大学でもいいから大学に進学しなさいと。たしかに社会経験をもう少し積んだ方がいいなとも思ったので、大型トラックを運転できる免許を取って、大学に通いながら、トラック運転手をしてお金を貯めていたんですよ。そしたら、日本に帰る前くらいかな。弟が突然、「相撲をやりたい」って言い出したんですよね。


レイ 兄は格闘技でしたけど、自分も何か体を使ったことがしたくて何がいいんだろうって考えていたんです。高校3年生のときに、YouTubeで朝青龍関の動画を見て、衝撃を受けて、お相撲さんになりたいって思うようになって。自分も一緒に短期大学に通っていたんですけど、相撲の入門には23歳未満という年齢制限がある(※アマチュアで一定の成績を残した場合は25歳未満まで受験可能)。のんびりしていられないなと思って、自分は大学を中退して、一足早く帰国して、出羽海部屋に行ったんですけど……1週間くらいで、「1回、戻ります」って実家に帰ってきたんです(苦笑)。


——ずっと2人一緒に行動していた環境から、1人だけに。さらには、アメリカから日本の相撲部屋へ。環境が激変して、調子が合わなかったのかもしれないですね。


レイ それはあるかもしれないです。ただ、もしこのとき自分だけで続けていたら、ジュンは相撲をしていなかったかもしれない。


ジュン たしかに、弟から誘われていなかったら、そのままアメリカに戻ってトラックの運転手になっていたかも知れないですね。


レイ 結果的に相撲をやっていなかったら、2人とも絶対プロレスはやっていない。すべて今につながっているというか、1週間で帰ったことが今となっては良かったというか。あらためて2人で入門したからこそ、今の斉藤ブラザーズにつながっていると思いますね。


撮影=杉山秀樹/文藝春秋

〈 23歳で相撲部屋に入門→30歳で弟が突然「プロレスをやらないか」“最強の双子レスラー”が相撲引退からアラスカでのトラック運転手を経て、無謀なチャレンジを決意するまで 〉へ続く


(我妻 弘崇)

文春オンライン

「プロレスラー」をもっと詳しく

「プロレスラー」のニュース

「プロレスラー」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ