最後は37手詰! 佐々木勇気は「藤井さん強すぎる」とうめき、控室にいた棋士の表情は「恐ろしいものを見た」と語っていた

2025年4月28日(月)12時0分 文春オンライン

藤井聡太名人vs挑戦者・永瀬拓矢九段の名人戦第1局は超スローペースに。中継に映らない舞台裏では何が起きていたのか 〉から続く


 藤井聡太名人に永瀬拓矢九段が挑戦する第83期名人戦七番勝負(主催:毎日新聞社・朝日新聞社・日本将棋連盟、協賛:大和証券グループ)の第1局。勝負は終盤へと向かう。


 永瀬は残り9分になるまで62分の長考で、後手玉のほうへ成銀をにじり寄った。いろいろ有力手があるが、これは控室では足りないと見ていた変化だ。そして壁銀を解消して奥へ逃げる藤井玉に、永瀬は歩頭に桂を捨てて迫った。だが、これでは詰めろが続かないようだ。



名人戦第1局、藤井聡太名人(左)と挑戦者・永瀬拓矢九段(右)


1日目は難解な終盤戦を見据えた早指しだった


 大盤解説会を見に行くと、高見は「まだ難しい」と解説していた。私が見ているのに気付いたので、控室の見解を伝えると、「藤井玉に頓死筋がある」と言われびっくり! 成銀を捨てて、もし取れば自陣の飛車も金も総動員しての21手詰みだ。歩頭の桂には恐ろしい狙いがあったのだ。


 控室に戻ってそれを伝えると皆も驚いていたが、継ぎ盤を見ると、まったく別の手を調べていた。モニターに映る藤井の表情を見て、もしや詰みを考えているかと、永瀬玉の詰みを検討していたのだ。ええっ、永瀬陣には藤井の駒が1枚もいないよ?


 中継記者に藤井の残り時間を聞くと、69分もあるという。そうか、この難解な終盤戦を見据えての1日目の早指しだったのか。やがて37分の考慮で藤井が歩頭の桂を銀で払い、逆に桂を打って王手をかけた。控室も高見もABEMAで解説の広瀬章人九段も、皆が驚く。対局室のモニターを見ると、藤井は読み切りましたという表情になっている。


「雰囲気で読み切られたというのはわかっていると思うけど、手順がわからないのは永瀬はつらいなあ」


 自身も竜王戦で藤井と七番勝負を戦った佐々木は、永瀬の心情を慮った。


永瀬投了…何もかもが異次元の37手詰


 藤井は桂を捨てて、豊富な持ち駒をすべて王手で連打していく。奪った飛車もすぐに打って金と交換し、馬を桂と交換し飛車を成り込む。金合いが最強だが、上から桂をさらに連打し、最後は角を自陣に引いて王手!


 これを見て午後8時55分、永瀬投了。


 投了以下も、詰みまでには10手以上かかり、8八にいた玉を5一まで追いかけ回しての37手詰めだ。


 藤井は過去にもタイトル戦ですごい詰みを披露しているが、これほどのものは初めてだ。2023年の永瀬との第71期王座戦第2局では中段玉を詰ましたが、手数は17手だった。2023年の伊藤匠叡王との第36期竜王戦第4局では30手越えの詰み手順だったが、玉は自陣からは出なかった(それはそれですごいが)。


 しかし今回はまったく違う。先手玉が広すぎて、左端から右端まで玉が逃げる変化もあり、盤面全体を見なければならない。「金はトドメに残せ」の逆をいき、金を2枚とも先に使って銀を残す。合い駒選択も2回ある。「5三には金か銀を打つもの」という先入観が働くため、最終手の△5三角は見えにくい。分岐が複雑なうえに盲点だらけ、しかも長手数、なにもかもが異次元だ。


「良いものを見た」どころではない


「名人戦で詰将棋解答選手権をしている」という声もあったが、それとはまったく違う。


 詰将棋なら詰むことが分かっているが、実戦では詰みが保証されているわけではない。そして、間違っても書き直せない。戻せない。


 何度も大長考をして、脳にも体にも疲労が溜まっているはず。なのに、なんでこんな手順が読めるんだろう、指せるんだろう。


 素晴らしい妙手順がでたとき、棋士は「良いものを見た」と言う。だが控室では誰もその言葉を発しなかった。皆の表情が「恐ろしいものを見た」と語っていた。


 島が「2日目の夜にこの読みは尋常じゃないですよね」と言い、佐々木は「藤井さん強すぎる」とうめいた。近藤も対局室に向かう途中で、「鮮やかな勝ち方でしたねえ」と感に堪えたようにつぶやいた。


 一方そのころ高見はというと、最後までAIの評価値も候補手も見ずに、藤井の読み筋を当て、△5三角も発見し、解説会を乗り切っていた。それを知った佐々木は「高見よく詰みを発見したなあ。人間、追い込まれると、手が見えるんですね」と妙なほめ方をしていた。後で高見に佐々木の言葉を伝えると、「勇気らしいなあ」と笑った。


永瀬玉の詰みだけを読んでいた藤井


 対局者へのインタビューが終わり、感想戦が始まってすぐ2人の白い歯がこぼれた。藤井はいつも通りだが、永瀬もよく笑った。先手で負けて、ショックを受けているはずなのに、それでも普段と変わらず意見を交わす。永瀬の精神力はすごい。本局だけではない。何度も何度も打ちのめされているはずなのに、また勝ち上がってきて藤井の前に座り、全力で戦う。本当にすごい。


 やがて藤井が詰ましにいった局面になった。藤井が詰めろをかける手はどうかと盤上に角を置くと、永瀬はすらすらと詰み手順を示して「ああっ、そっか」と藤井を驚かせた。


 私は藤井でも読み抜けがあるのかと、ほっとした、のではない。逆に、背筋が寒くなった。勝負勘まで研ぎ澄まされたのかと。


 将棋は数学ではない。すべてを証明する必要はなく、1つ勝ち筋を見つければ他を調べる必要はない。それが手順が長かろうと危険な手順だろうと緩手だろうとかまわない。


 藤井は読み抜けていたのではなく、むしろ効率的に読んでいたのだ。


 相手が藤井でなかったのなら、永瀬の逆転勝ちとなったかもしれない。だが皆が詰めろをかける手を読んでいるとき、藤井はただ一人、永瀬玉の詰みだけを読んでいた。これでは罠にかかりようがない。


 終盤に時間を残した見事なタイムマネジメント。2日制の終盤になっても読みの精度が落ちない将棋体力。そして罠を回避する勝負勘。盤上の指し手だけではなく、すべてが成長している。


タフな将棋だった名人戦の幕開け


 ふと佐々木と近藤を見ると、真剣な目で盤上を見つめていた。この2人を倒すんだという顔つきだ。そして佐々木が耐えきれないかのように口を挟み、藤井が高速詠唱で打ち返す。そうだ。立ち向かえ。挑戦し続ける永瀬のメンタルを見習え。


 感想戦が終わり、控室に戻って佐々木が「藤井さんの感想戦に口出しするのは怖いなあ。『そんな手あるんですか』と、すぐに具体的な指し手で反論してくる」と笑った。そう言いながらも、もっともっと藤井と話したかったという顔をしていた。


 島が「読む量がとても多かった将棋でしたねえ」と本局を振り返り、私もうなずいた。疲れた。開幕からタフな将棋だった。


 後日、永瀬に話を聞いたところ、「最後の詰みはわからなかったですが、歩頭の桂では足りないと思っていました。終盤、正確に指されたので仕方ありません」と語った。敗戦を引きずることはありませんと、表情で語っていた。


 これが日本将棋連盟101年目の名人戦幕開けだ。これからもすごい将棋を見ることになるだろう。


写真=勝又清和


(勝又 清和)

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