前田美波里×生駒里奈「母の代わりに祖父母に育ててもらいました」「小学生でいじめに遭ったので、主人公の気持ちがよくわかります」

2024年5月10日(金)12時30分 婦人公論.jp


リーディングドラマ 西の魔女が死んだ で共演する前田美波里さん(左)と生駒里奈さん(撮影◎本社 奥西義和)

梨木香歩の小説『西の魔女が死んだ』をお読みになったことはあるだろうか。
中学生になったばかりで、どうしても学校に足が向かなくなった少女まいが、ママのママ、つまりおばあちゃんのもとでひと月あまりを過ごす。まいは、そこで大好きなおばあちゃんから、「魔女」のてほどきを受ける…という話である。
1994年の発行以来、読み継がれてきたこの作品は、教科書に掲載されたこともあるベストセラーとなっている。
この『西の魔女が死んだ』がリーディングドラマとして生まれ変わることが決まった。台本・演出は笹部博司。そして出演は、芸歴60年のミュージカル女優前田美波里と乃木坂46出身で活躍の場を広げつつある生駒里奈の2人。75歳と28歳。祖母と孫を演じることになる2人は、この日が初対面。すぐに打ち解けながらビジュアル撮影をする2人に話を聞いた。

* * * * * * *

いじめにあってしまった


前田 私はテレビで生駒さんがお歌を歌っていらっしゃるところを拝見しておりました。実際にお会いするとずいぶん感じが違うわ。お肌がお人形さんのように白くて、とってもかわいいわ。

生駒 美波里さんは、ゴージャスなバービー人形のようです!(笑) 私は、美波里さんを舞台で拝見していて、もっと大きい方だと思っていました。実際にお目にかかったら、こんなに細くて小顔で…。

前田 年をとって縮みましたかね?(笑) 今でも169cmあるんですけどね。

生駒 この作品、私は小学生のときに読んでいました。そのころは、あまりよくわかっていなくて、ファンタジーなのかなという印象で、「ああ、魔女は出てこないんだ…」と思ったりして…。(笑)

前田 私は孫の小学校の教科書で読みましたよ。(笑)

生駒 物語の主人公のまいちゃんは、中学校に行けなくなってしまって、おばあちゃんの元でひと月あまりを過ごすことになります。

実は、私は小学校のときにいじめにあってしまったので、学校に行けなくなったまいちゃんの気持ちがよくわかるんです。

前田 いじめにあったって、どんな?

生駒 私は秋田の出身なのですが、小学校5年生のときに、それまで仲良くしていて、昨日まで「おはよう」と言い合っていた友だちから、翌日、急に無視されて…。わけがわかりませんでした。いじめはだんだんエスカレートしてきて、ロッカーの中の荷物が床に散乱していることもあったりして、私は完全に独りぼっち。もし、母に話したらすごく心配されるのはわかっていたから、家族を悲しませたくなくて、一切何も言わずに学校には行き続けてたんです。

前田 それはつらい経験をしちゃいましたね。
いじめたほうは、けっこう覚えていなかったりするんでしょうね。

生駒 そうなんですよ!
それから何年もたって、乃木坂46のセンターを務めるようになって、初めて紅白に出場した直後に成人式があって、地元に戻ったことがあったんです。私はちょっとしたヒーローで、みんなが周りに集まってきたんですが、当時、私をいじめていた同級生たちも寄ってきて「乾杯しようよ!」などと言ってきた。あんなにいじめていたこと、覚えてないんだとびっくりしましたね。でも、「私のこと、覚えてるよね」と言われたときに、思い切り「全然!覚えてない!」とグラスをテーブルにポンと置きました。(笑)

「子どもを置いて帰れ」と


美波里さんは、アメリカ人のおとうさんと日本人のおかあさんの間に生まれたわけですが、当時はいじめられたりしなかったのですか?

前田 私は、まったく意地悪されたことがなかったんですよ。鎌倉に住んでいる母方の祖父母のもとで育ったんですけどね。とても大切に育てられたの。祖父母は、当時、ハーフに生まれた私が非難されないようにと、聖ミカエル学園という三井財閥の令嬢のために創立されたお嬢さん学校に通わせてくれたのね。そこは、米軍の将校のお嬢さんたちも通っていたし、ハーフの子どもも多かったし、みんなおっとりしていました。途中で親御さんのお国に帰ってしまった仲良しもいて、つらい別れも経験したけれど、意地悪をされた経験がないまま、バレエが大好きな少女時代を送りました。

ただ、祖父母のしつけはとても厳しいものでしたよ。箸の上げ下ろしから、行儀作法、立ち振る舞いなどはとても厳しくて、私は祖父がとても怖かった。明治の人ですからね。その分、祖母は物静かで楚々として、凛としていましたね。祖父は最初、母が私を産んだときには親子とも家に入れないと言ってたらしいんです。でも、母が私を抱いて連れてきたらその場で「子どもを置いて帰れ」と…。それから私を愛情こめて育ててくれました。

生駒 そうですか…。いいなあ。楽しい小学校時代を送られたんですね。

前田 祖父母は厳しいことは厳しかったけれど、私を山に連れていっては、野に咲く花の名前を教えてくれたり、海に行けば地引網を教えてくれたりしましたね。

生駒 それって、まさに『西の魔女が死んだ』のおばあちゃんそのものですね。


「今は水泳がマイブーム。肉体を動かすことが好きなので、タンゴダンスをやったり、ジムに行ったりと、そのときによっていろいろ」(前田さん)

母と弟と3人でご飯を…


前田 そうなの。ひとりっ子であるところも、まいちゃんと同じでしたね。里奈さん、ご兄弟は?

生駒 弟が1人います。弟も秋田から東京に出てきて、人を支える仕事がしたいといって日々がんばっています。わが弟ながらすごいなと感心してます。

前田 じゃあ、お子さん2人が秋田から東京に出てきちゃったのね。

生駒 私が仕事で忙しかったりすると、母が家のことやご飯を作りに上京してきてくれて。母と弟と3人で集合して、よくごはんを食べたりしています。私が15歳で家を出たので、早く一人暮らしを始めた分、まだまだ母に甘えています。(笑)

前田 あら、うちの息子の蔵人より年下だわ!私も20歳で結婚して、24歳で蔵人(編集部注 俳優の真木蔵人さん)を産みましたから、もうすでに孫も大きくなって、ひ孫までいるんですよ。今、カリフォルニアに留学している孫娘の1人が、私の若いころにそっくりなの。手足が細くてきゃしゃで…。血は争えないとつくづく思いますね。

生駒 ひ孫?? 美波里さん、とても70代には見えません。美貌もさることながら、体つきがお若いです!!何か日々、鍛えていらっしゃるんですか?

前田 今は水泳ですね。マイブームです(笑)。肉体を動かすことが好きなので、タンゴダンスをやってみたり、ジムに行ってみたり、そのときによってやることはいろいろですけど…。

生駒 私は今、28歳なんですが…。人間の体の最初の曲がり角に来ている気がするんです。女性として、最初にがくっとくる年回りというか…10代をまだ身近に感じているのに、こんなはずじゃなかったという毎日なんです。

それなのに、舞台などでご一緒させていただく諸先輩が、みなさん、本当にパワフルなんですよ。母より年上だったり、祖父母と同じだったりするのに、どうやって気力や体力を維持していらっしゃるんだろうと、いつも感心しています。

2018年に乃木坂を卒業して


前田 舞台人として、自分の体を維持し続けていこうというのが当たり前になっちゃっているので、そこに意識を高く持つのは私たちには当然のことなんですよね。ストレッチや筋トレはあたりまえだし。水泳はいいですよー。いい年にいいものを選んだなと思っているの。90代になってもできそうでしょう?

生駒 水の中は負担も少ないっていいますもんね。水圧で筋肉もつきそうだし。

前田 だからすごい筋肉ですよ。(笑)

生駒 当然、水泳のためには水着を着られるわけですけれども、美波里さんは、化粧品メーカーのCMで一世を風靡なさって、最初は水着の撮影が多かったと伺いました。

前田 そうなんですよ。10代のころはいやでしたねー。お仕事の依頼が水着ばっかりで、切なかったです。だから、いったん仕事をストップしてアメリカで過ごしたりしてね。ミュージカルのオーディションを受けたりして、自分で自分の居場所を探しましたね。

生駒 それ、わかります!私も2011年に乃木坂46の第1期のオーディションを受けて、ファーストシングルからセンターを務めていましたが、2018年に乃木坂を卒業してから、自分の居場所はどこだろうと探し続けています。ようやく最近、俳優でやっていこうという気持ちが固まってきました。

前田 いいですね。生駒さんが出られたテレビドラマも拝見しましたよ。今回の舞台は朗読劇ですが、私は朗読は初めてなので、生駒さんのほうが先輩。私は歌って踊ってと動いて表現することしかやってこなかったので、動かないで朗読をする舞台は怖かったんですよ。だから避けていたの。

生駒 先輩だなんて、困ります。でも、美波里さんが朗読を避けていらしたなんて、なんだか意外です。

前田 自分にできるのかしら?と思っちゃったのね。舞台の上でめいっぱい動きまわることで表現してきた私に、朗読だけで伝える力があるのだろうかと…。でも、この作品を読んだときに、私が育った環境そのままだなと感じました。まったく同じなので…朗読劇は怖かったけれど、ぜひやりたいと思ったんです。ただ、私はバレエをやりながら伸び伸びと少女時代を過ごしたので、学校に行けなくなったまいちゃんとは、そこは違うけれど…。


「多感な時期のいじめは、本当につらかった。乃木坂になったおかげで地元の変な連鎖から抜け出すことができて新たな自分になれた」(生駒さん)

多感な時期のいじめで感情を消して


生駒 そこが同じなのは私です。学校には行けていたけれど、いつ行けなくなってもおかしくなかった。小学校時代の多感な時期のいじめは、本当につらい。私はもともと性格的に前に出るほうではないんですが、昨日まで仲良くしていた子が急に無視してきて、またある日、別の子をターゲットにしていじめる、といういやな連鎖が続きました。高校生デビューするまで、田舎ではそんな人間関係がベースだったんです。今、思い起こして、どうしていじめられたんだろうと考えると、私がダンスをやっていて、ちょっとうまくて、ちょっと目立つところがあったのかなと思います。

前田 嫉妬されちゃったのね。

生駒 大人になった今だから「あ、私がかわいかったからいじめられてたんだ!」っていう風にも思えるようになりましたが…。(笑)そのときは、なにをどう考えればいいのかわからず、図書室に逃げていました。でも、乃木坂になったおかげで、地元のネガティブな連鎖から抜け出すことができて、新たな自分になれたと思えたのはうれしかったです。それまでは、感情を消して過ごしていましたから…。

まいちゃんは、おばあちゃんの家で過ごしたわけですが、そういう選択肢もあったんだなあと今なら思えます。私は学校を休むという選択肢を除外していたので。     
美波里さんとおばあちゃまとの関係は、まいちゃんと同じですね。

前田 そうねえ。やさしい祖母でしたからね。
でも、たった1度だけ、叱られたことがありました。なぜ、叱られたのかは、今はまったく覚えていないんだけど、たぶん私がなにか悪いことをしたか、言うことをきかなかったんでしょう。祖母がそこにあった灰皿を投げたんです。

生駒 そんなに激しく叱られたのに、なぜ叱られたのかは覚えていないんですか?

前田 そうなんです。激しく怒っている祖母の姿があまりにもショックだったんでしょうね。
怒るのは祖父だと思い込んでいて、祖母はやさしいと決めつけていたので、ああ、怒るんだと本当にびっくりしました。でも、そのたった1回でしたね。

生駒 おじいちゃま、おばあちゃまに厳しく育てられたとはいえ、鎌倉での暮らしは、美波里さんにとって、いい思い出しかないんですね。なんだかうらやましいです。

前田 そうね。鎌倉の自然も、私を育ててくれました。
舞台って、たいていがビルの中でしょう? 舞台が始まると、鏡に向かってお化粧して、舞台に立って、また落として、の繰り返し。だから、舞台が終わると自然の中に行きたくなるんですよ。
時間ができると軽井沢に行ったり、友だちを誘って外に出ます。

生駒 私は秋田出身ではありますが、原宿をはじめ、都会は大好きです。

前田 まだ若いのよ。(笑)

フィンランド式サウナにはまる


生駒 でも、私、自分のペースをつかむのが苦手なタイプなんです。仕事をしているだけで消耗している自分を感じて。サウナにはまっていて、ストレス解消しています。秋田では、フィンランド式サウナで、水風呂じゃなくて、雪山に入るんです。大地のパワーをもらえるんですよ。

前田 素敵ねー。東京と田舎とバランスをうまくとって生活すると、リフレッシュできますよね、私も一時期、軽井沢にも家をもって、東京と2拠点の生活をしていましたけど、実際はなかなか大変でした。湿気があったので、行けばまず掃除から始めないといけない。休みにいくのに、掃除でへとへと(笑)。8年続けたけど、ついに手放しました。

生駒 憧れの別荘ライフですが、やっぱり大変なんですね。

前田 今は、旅公演があると、自分で計画を立てて、どこに行くかを決めているんですよ。やっぱり祖父母の影響で自然が好きなんですね。そこは、まいちゃんのおばあちゃんと同じです。

生駒 おばあちゃんは、イギリス人なのに日本人と恋をして日本にやってきたという勇気ある女性です。そんな生き方もあるんだなと思います。美波里さんの生き方は、憧れます。ミュージカル女優もきちんと自分で選択して、夢をつかんでこられたんですよね。

前田 そうね。やはり20歳で結婚して、うまくいかなくて離婚することになって、そんなときに、子どもに恥じないように生きていきたいと思い始めたときに、ミュージカルだと思ったんです。

生駒 当時からミュージカルは全盛だったのですか?

前田 いえいえ、舞台そのものがなくて、役がないんですよ。私の初舞台は、雪村いづみさんのために書かれた作品でした。モデルの仕事もやっていたけれど、必死でお稽古して、『コーラスライン』のオーディションに受かって、少し自信がつきました。舞台に立つとどんどんミュージカルの魅力に取りつかれて、ミュージカル1本で食べていきたいという気持ちが強くなりましたね。

東北人なので、口もあまり開けなくて


生駒 美波里さんの伝える力って、本当にすごいですよね。今回、ご一緒させていただけることがわかって、とにかく美波里さんの伝える力を学ばせていただきたいと思っています。私、滑舌がないので今、トレーニングに通っているんですが、そこで先生に「どうやったら伝わるかをよく考えて」と言われています。東北人なので、話すときに口もあまり開けないし。

前田 アメリカのミュージカル女優たちとは真逆ですね。顔の筋肉を全部動かさないといけないの。私が通った小学校はそういうことにとてもうるさかったの。自然に身に付いていたので、劇団四季に入ったときの最初のボイストレーニングで、浅利慶太さんのおっしゃる発声がすぐにできたんです。

生駒 へええ、いいなあ。そういえば美波里さんは、口角を上げたまま話していらっしゃいますよね、私は口角が下がっているから気を付けないと、と言われています。すごく難しくて…。伝えるということが弱いので、今回、こういう機会をいただけて、どうすればお客さまに伝わるんだろうと考えながらやりたいです。まいという役をやるにあたって、私を通して、お客さまに共感していただけることがあれば、うれしい。生駒里奈を使って見えるところを見ていただきたいです。

前田 人って、しっくりいかないときもあるものね。生き方をなにか考えたくなったときに、この作品を見ていただけるといいかもしれませんね。

生駒 もちろん、作品が好きな方にも見ていただきたいけれど、今、一休みしたい方、ちょっと疲れている方にも、何か感じてほしいですね。見終わって清らかな気持ちになっていただけそうな気がします。

前田 あまり出てこないけど、まいちゃんのおかあさんもやりたいことがたくさんある女性なのよね。そんな方にも見ていただけたら、もう1度自分を見つめ直して、自分と向き合って、生き方を考えることにもなるんじゃないかしら。この年になると、魂と肉体ということも考えてしまうんですよ。みなさん、怖がらずに見てくださいね。(笑)

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