仲代達矢さんが『徹子の部屋』に登場。名優たちとの思い出を振り返る「膵臓がんで亡くなった妻・宮崎恭子が残した数々の手紙。遺言を守り『無名塾』を続けてきたから、89歳の今でも舞台に立っていられる」
2025年5月22日(木)11時0分 婦人公論.jp
「(無名塾の)選考の基準は、その人の持ってる存在感、言い換えると色気ですかね。人間としての魅力というか、色気ですね。それが出るのが持って生まれた役者の才能かな、って気がします。」(撮影:岡本隆史)
2025年5月22日の『徹子の部屋』に俳優の仲代達矢さんが登場。92歳の今も現役の俳優として活躍する仲代さんの日々の稽古や、亡き妻・宮崎恭子さんと設立した俳優の養成所「無名塾」塾生への思いなどを語ります。そこで、仲代さんが人生の3つの転機を語った『婦人公論』2022年6月号のインタビュー記事を再配信します。
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演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続けるスターたち。その人生に訪れた「3つの転機」とは——。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が訊く。第5回は俳優の仲代達矢さん。仲代さんの役者になるきっかけは、アルバイト先の競馬場での出会いだったそうで——。(撮影:岡本隆史)
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<前編よりつづく>
役者百面相、結構じゃないか
そして第三の転機は1996年の恭子夫人の死?それとも77年の無名塾塾生の公募開始?
——無名塾のほうでしょうね。これも宮崎が言い出したことで、私たちのところから素敵な役者が一人でも出るといいな、ということで始まった。それで僕は養成所時代、月謝が払えなくてアルバイトに明け暮れたんで、月謝はなしにしてその代わりアルバイトは禁止にしました。
選考の基準は、その人の持ってる存在感、言い換えると色気ですかね。人間としての魅力というか、色気ですね。それが出るのが持って生まれた役者の才能かな、って気がします。技というのは、あとから訓練すれば磨けますからね。
第2期生の役所広司さんが、「仲代達矢役者70周年記念展」の冊子に祝辞を寄せている。
入塾式の前日、地図を片手に無名塾の場所を確認しておいたにもかかわらず、当日は寝坊して大遅刻。仲代さんから第一発目の喝を受ける、とあった。
——彼は長崎のほうの子で、東京へ出てきて千代田区役所で働いてたんですよ。それで役所という芸名を僕がつけたんですが、もう一つは「役どころ広し」という意味もある。そういう役者になれよ、と言ってね。いつか長崎のスイカを持ってきて、「お前のスイカ美味いな」と言ったら、卒業してからも毎年スイカを持って来ますよ。
宮崎が亡くなる年に、役所は映画『Shall we ダンス?』(周防正行監督)で主演男優賞をいろいろもらいました。宮崎は「きっと総なめよ」って言ってましたから、塾の成果がある程度認められたわけで、よかったなと思ってます。
宮崎は65歳、膵臓がんで亡くなりましたが、亡くなるのを自分でもわかってて、あちこちから僕宛の手紙が出てくるんです。「二人で作った無名塾だけは絶対にやめないでね」とか、「エレベーターを造っておいたのは、たとえあなたが車椅子になっても塾生の指導ができるようにです」とかってね。
それで一人になってからも未だに四半世紀以上、塾をやってるわけですけど、もしやめてしまっていたら、一人の孤独な老俳優としてさまよっていたことでしょうね。それが今、若者たちに支えられて、こうして舞台に立っていられるというのは、それはやっぱり宮崎さんの先見の明のおかげだと思いますね。
ところで仲代さんがお若いころに通い詰め、目標とした欧米の映画スターは誰なのだろう。翳りがあってややハングリーな感じは、アラン・ドロンかな、と思う。
——彼には実際にお会いしたことがあるんですけど、僕はあんな二枚目じゃないですよ。だから僕は女性ファンより男性ファンのほうが断然多いです。
役者になる前は、マーロン・ブランドの大ファンでした。養成所に入ってからは彼のような役者になりたいと思ってた。また、少し渋いところではジャン・ギャバンも目標になってきましたね。
先日、石原慎太郎さんが亡くなられましたけど、僕はデビューがほとんど裕次郎さんと一緒なんです。そのころ慎太郎さんが、「スターと言えるのは弟の裕次郎で、仲代は役者だ」って言った。それ聞いたときは、何言ってんだという気になりましたけど、今になればいいこと言ってくれたと思いますね。
三船敏郎さんにしても東宝専属でしたから、男の色気のイメージをこわさない企画でずうっと通すんですが、僕はどこにも所属してないから、悪役だろうと何だろうとどんどん持ってこられて、百面相の役者だと言われて当時はムカッとしました。でも今思えば役者百面相、結構じゃないか、と思いますよね。
だから人間、年取っていろいろわかることもあるんです。
仲代さんは俳優という呼び方を好まれない役者、とお見受けした。そのこだわりは、なぜなのか。
——だって自分以外の何かになって、役によって変わっていかなきゃいけないんですから。だから役者なんですよ。僕は俳優って言葉は使いたくない。
イプセンの名文句に、世に役者ほど嘘つきはいない、っていうのがあります。思えば罪なですね、役者って。
お客は喜んで騙されに来て、心地よく騙されて帰るんだからそれでいいんだと思います。
——ああ、なるほどね。これからも騙し続けられるだけ騙しましょう。
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