『岸辺露伴は動かない 懺悔室』3つの魅力。「短編」の原作を長編映画化するための“最適解”とは?
2025年5月23日(金)20時30分 All About
『岸辺露伴は動かない 懺悔室』の3つの魅力を解説しましょう! あらゆる面で実写映画化の「最適解」だと思えたのです。(画像出典:(C) LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社)
シリーズ初見でもOK。リスペクトと工夫に感服!
結論から申し上げれば、「ディ・モールトベネ(非常に良しッ)!」な映画でした。人気を博したテレビドラマ版の魅力を引き継ぎつつ、今回は「邦画初イタリア・ヴェネツィア、オールロケ敢行」というバリューも加わり、スクリーンに美しい光景が映える劇場版としての見応えも存分。そして、「原作をこう再現し、こう変えたのか!」と、原作へのリスペクトと映画化での工夫に感服しました。

注意点としては、G(全年齢)指定で直接的な残酷描写はほぼないものの、“精神的に来る”タイプの心理表現があることと、イタリア語に日本語字幕が映される場面もあるため、少なくとも漢字が読める年齢以上が推奨、というくらいでしょうか。それでも、後述するようにホッとひと息がつける場面もあり、重くなりすぎないバランスの作品にもなっています。
予備知識をほとんど必要としない、分かりやすい内容でもありますが、それでも『岸辺露伴』シリーズを知らない人、あるいは原作漫画の該当エピソードを読んだことがある人に向けて、ネタバレのない範囲で事前に知ってほしい魅力を3つに分けてまとめてみます。
1:「ポップコーン対決」を完全再現! 全身全霊で挑む大東駿介が素晴らしい
漫画『ジョジョの奇妙な冒険』、およびスピンオフ『岸辺露伴は動かない』シリーズの魅力として、その筆頭は「明確なロジックのある駆け引き」です。バトルのはじめには「不可解な現象に巻き込まれる」不条理さや恐怖がある一方、その現象の「ルール」や戦いの相手の「能力」を把握した後に、「頭脳戦」や「一進一退の攻防」が展開するのです。

感服したのは、原作の「再現度」はもちろん、実写映像作品における「時間感覚」を意識したであろう「編集」です。原作は漫画作品であるので、ポップコーンを投げて落ちてくるまでの短い時間であっても、その間の「心理」を丹念に描くことが可能ですが、リアルな時間の流れがある実写映像で安易に再現してしまうと「なかなかポップコーンが落ちて来ないな」といった違和感を感じてしまう可能性もあったでしょう。

後述するように俳優全員が素晴らしいのですが、この試練に挑む大東駿介は今作のMVPではないでしょうか。ポップコーンに必死に「食らいつこう」とする、文字通りに全身全霊で挑んでいることがスクリーンから伝わってくるのです。

また、撮影時にポップコーンを実際に投げてはいるものの、その細かな挙動は後からCGとして足しているため、大東駿介は実質的に「見えないポップコーンを想像して芝居をしなければならない」状況だったのだそうです。
大東駿介がスタッフと共に本気で作り上げたポップコーン対決は、原作で読んでいた人はその再現ぶりに感動し、読んでいない人は新鮮で奇抜なバトルとして楽しめるはず。このシーンを取り上げるだけでも「100点満点の実写化」と断言できます。
2:原作の「その後」を描いた物語
本作は実写化作品としては最新作ですが、原作の『懺悔室』は『岸辺露伴は動かない』シリーズの中では最初に描かれたもの——つまりは「原点」です。そして、その原作は“全49ページ”という短編作品。そのまま2時間弱の映画作品にするのはあまりにもボリューム不足なため、どう映画化するかを不安に思った原作ファンは多いでしょうし、映画化における最大の課題でもあったでしょう。

前述したポップコーン対決までは原作を忠実に再現しているともいえるのですが、その後は原作を既読の人にとっては「未知の領域」。ここを安易な展開にすると「蛇足」になってしまいそうなところを、原作の持つ精神性、特に「幸せの絶頂のさなかに“絶望”を味わう呪い」という最重要の要素を「掘り下げて」いたのです。

その物語は、原作で一種の「後味の悪さ」を残していた結末に対し、「アンサー」として解釈できるものでした。「幸福」が「襲ってくる」という、それだけを聞くと不可解な言動にも、新たな描写を加えたことによって大きな説得力を与えています。

さらには、ヴェネツィアという場所の「影の歴史」、有名なオペラ『リゴレット』など、メインの物語に絡まるそれぞれの要素には、「うまい!」と感嘆するばかり。物語の「背景」に至るまで、とことん考え抜いたからこその完成度といえるでしょう。
3:「仕事」にも向き合った作品だった
映画化に当たって掘り下げた部分が、岸辺露伴というキャラクターの“らしさ”とも密接に絡んでいるのが、今作の素晴らしさでもあります。
そんな岸辺露伴は、今作で「幸福(幸運)になる呪い」を知り、かつ自身にもその呪いがかけられたことを確信すると、「ここまでナメられたのは久しぶりだ」とはっきりと怒りをあらわにします。
客観的には「幸福や幸運が連続するってうれしいじゃん」と思うところですが、その後に彼は、その幸運が漫画家である自分にとって、はっきり「屈辱」だと言うのです。

改めて思う「実写化の最適解」の理由
改めて、この『岸辺露伴は動かない』シリーズは「実写化の最適解」と思えるところがあります。
柘植(つげ)伊佐夫による、人物デザイン監修や衣装デザインはもちろん、いい意味で不安感をあおり「おどろおどろしさ」を感じられる菊地成孔による音楽の力も大きいですし、今回はヴェネツィアの光景の魅力もとてつもないものでした。
そして、やはり本作の立役者は主演の高橋一生。彼の一挙手一投足からにじみ出る“変人らしさ”と、知性や信念の強さが見事に同居し、俳優・高橋一生の持ち味がそのまま生かされつつ、原作の岸辺露伴らしさも存分に感じられました。

さらに、飯豊まりえ演じる担当編集者の泉京香が、いつもにも増して天真らんまんそのもので、殺伐とした物語の中ではホッとひと息をつける、いるだけで「安心できる」存在なのもうれしいところ。劇中で岸辺露伴は泉に表向きには「塩対応」をしているようで、実際は信頼しているし、本当に助けになっていることが分かる言動にも、ニヤニヤしてしまいます。

この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
(文:ヒナタカ)