映画『デデデデ』が大傑作になった5つの理由。『前章』『後章』の構成の意義と、現実に投げかける希望

2024年5月24日(金)19時40分 All About

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』が公開中です。本作が「今の時代に必要な作品だ」と心から思えた、大傑作になった理由を解説しましょう。(C) 浅野いにお/小学館/DeDeDeDe Committee

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『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』が5月24日より劇場公開されています。
『前章』の時点で日本のアニメ映画史を塗り替える傑作だと思ってはいましたが、この『後章』の衝撃はそれ以上。涙を搾り取られるような、感情がいい意味でぐちゃぐちゃになるような、とてつもない感動が待ち受けていました。

前置き1:『ゲ謎』と同等にPG12指定の意義を感じる内容に

すでに『前章』を見た人にとって、この『後章』を劇場で見ないという選択肢はほぼないのですが、それでも念のためお伝えしなければならないのは、「拳銃や刃物による殺傷流血の描写がみられる」という理由でPG12指定がされていること。
全年齢指定だった『前章』の時点でもやや大人向けの描写がありましたが、この『後章』はさらに刺激の強い内容になっているのです(ただ、エロティックなシーンはほぼ皆無で、あとはごく軽めの下ネタがあるくらいです)。
そして、同じくPG12指定がされた『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(Amazonプライムビデオで配信中)がそうだったように、後述する「現実の世界にある問題の苛烈さ」を示すために、残酷描写は作品に必要なものだったと思います。「それだけのショッキングな出来事がある」ことをある程度は覚悟して、劇場に足を運んだほうがいいでしょう。また、映画館で見るべき内容だとも断言します。特に侵略者の母艦(UFO)の「音波」の迫力、そしてクライマックスの涙腺大崩壊の演出は、間違いなく劇場の環境があってこそ、感動が倍増どころではないからです。
もう一度言いますが、『前章』を見た人が、この『後章』を劇場で見るのはほぼマストです。ただ、『前章』をご覧になったのが小さなお子さんであれば、よく話し合ってから挑んでください。

前置き2:『前章』を見ていなくても理解はできるけど、それでも見ておいてほしい

また、この『後章』は『前章』を見ていなくても理解できる内容になっていると思います。
内容は「人類を滅亡へと導く巨大なUFOがやってきた状況での群像劇」とシンプルに説明できますし、キャラクターは個性的ですぐに特徴を覚えられますし、さらには『前章』で起こったことを改めて劇中で「おさらい」するような構造もあるのです。
しかし、それでもなお、『前章』を見てから『後章』に挑むことを強くおすすめします。アニメ映画ではなかなか珍しい「2部作」ならではの構成と、その時間をかけてこそのキャラクター描写があってこその、巨大な感動があるのです。
5月下旬現在でも川崎チネチッタや立川シネマシティなど、『前章』を上映している映画館はあり、いくつかのTOHOシネマズでは『前章』が復活上映もされているので、まだ見たことがないという人は、是が非でも『後章』の前に見ておくことをおすすめします。その価値は間違いなくある作品だと断言しますので……!
さて、ここからは、この『デデデデ』がなぜここまでの大傑作になったのか、本編の内容に触れつつ解説していきましょう。『前章』および『後章』の決定的なネタバレは触れないよう書いたつもりですが、それでも予備知識なく見たい人はご注意ください。

1:楽しい青春の裏で「虐殺」が行われる

今回の『後章』の内容をざっくりと言うのであれば、「若者たちがキャンパスライフを楽しむ最中、人類滅亡のカウントダウンが刻一刻と進む」というもの。もっと端的に言えば「青春を謳歌(おうか)する中でも周りでは異常事態が進行していく」という内容です。主人公たち仲良しチームは、怪しいけど人の良さそうな先輩がいるオカルト研究会に入部し、海へと合宿に行ったりもして楽しそうな様子。ギャグもおかしくてクスクスと笑えます。
しかし、『前章』に続き巨大なUFOが東京の上空にあることに加えて、街では侵略者が次々に人間たちに殺されてしまいます。これが、ロシアによるウクライナへの侵攻、イスラエルによるガザ地区侵攻という、2024年の今まさに続いている戦争、いや一方的な虐殺を連想させるのです。劇中で、客観的には「自分たち人間とそう変わらない存在」に見える侵略者たちが次々に「駆除」という名目で虐殺される様は、「こんなことになるはずがない」とも思ってしまいます。
しかし、現実の世界であれほどのひどいことが起きていることを思うと、絵空事でもないのだと感じ、とても悲しくなります。そして、「人間はこれほどまでに残酷なことができる」ことを示すためにも、やはりPG12指定の殺傷流血の描写は必要だったのです。

2:現実とのシンクロは他にもある

その虐殺が起こるより前の、『デデデデ』の原作漫画もしくは『前章』の物語の時点で、現実のコロナ禍を連想した人は多くいました。
これまでの日常が失われ、SNSでの風説に惑わされ、極端な考えに傾くばかりか、危険な陰謀論に染まったり、対立や分断も起こる。しかし、それでも日々を過ごしていくしかない。閉塞的で未来は不安でいっぱいではあるけれど、それでも楽しいことがないわけでもない……。
そのような描写から(そもそも2011年の東日本大震災をモチーフにしている部分もあるのですが)、2014年に連載が始まった原作漫画は、後の2020年以降の現実を「予言」したかのようだとも話題になっていたのです。さらに、この『後章』では、ただただ一方的な虐殺という、人間の歴史上繰り返され続けた(しかも今まさに現実で起こっている)恐ろしく愚かで間違った事態が描かれるのですが、それをよしとはしない人間もいる、ということも重要です。
何しろ、その虐殺をやめさせるため、デモ活動を行っている若者たちもいます。彼女らのほとんどは、ドライでしんらつな視点も交えつつ、真摯(しんし)に問題へ向き合い行動する尊い人たちに思えましたし、それは後述する「善意」を信じる物語に確実につながっています。
それ以外でも、社会問題に対しての多数の思想の交錯は、世界中でも、この日本においてもあるものです。本作は完全にフィクションではありますが、「今の現実の世界とのシンクロ」に注目してほしいのです。

3:女の子2人の友情を超えた「絶対」の物語

本作の主人公は実質的に2人。パッと見は真面目なようで高校生時代の教師と不健全な恋愛関係を持とうと画策している小山門出と、サブカル用語やネットミームを交えたはちゃめちゃな言動をしているように思える中川凰蘭(通称:おんたん)です。そして、その不思議ちゃんのように思えたおんたんが、実際はとても優しい女の子であり、危うさのある門出のために、はたまた残酷な世界に対抗するかのように「元気に振る舞っている」というのが重要です。
おんたんの言動は基本的には極端でふざけていて、モラル的にギリギリアウトなところもあるのですが、よくよく聞いてみるとたまに正論を言っていたり、問題の本質をついていたり、時には厭世(えんせい)的に世界を捉えつつ、それを皮肉ってギャグに昇華させようとしていたりと、健気にも感じられるのです。
特に、『前章』でおんたんが「悲劇的な事実を知っているのに、いつものはちゃめちゃな言動で乗り切ろうとする」場面に涙した人は多いでしょう。
小学生時代の彼女は気弱な女の子であり、今のような不思議ちゃんではなかったのですが、今回の『後章』では、そんなおんたんが「変わった」瞬間が描かれ、さらに彼女のことが愛おしくなるのです。さらには門出がおんたんに影響を受けている、というよりも、はっきりとおんたんに似たヘンテコな言動をするようになることにも感動しました。門出は何度もショックを受けつつも、親友から世界に対抗する手段を学んでいるのです。それこそ、今回のキャラクターポスターにあるように、「君は僕の絶対」といえるほどに、重要な存在になっていることも分かります。
そのように、門出にとって「絶対」の存在になったおんたんの物語を、「おんたんが世界中の人を敵に回しても私だけは味方になってあげますよ」「門出がここにいるなら僕もそこにいるのです」とまで言い合える2人の尊い関係性を、最後まで見届けてほしいのです。

4:脚本家・吉田玲子の「再構築」の巧みさ

本作でシリーズ構成・脚本を手掛けたのは、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』や『映画 聲の形』や『若おかみは小学生!』(映画)など、多数の絶賛されたアニメ作品を手掛ける吉田玲子。今回は原作の「再構築」の巧みさ、そして「前章と後章それぞれのコンセプト」には絶賛を送るしかありません。
何しろ原作漫画は全12巻という大ボリューム。今回は『前章』と『後章』で合計4時間と、通常の映画の倍の上映時間が用意されているとはいえ、それでも「取捨選択」が必要です。その上で黒川智之アニメーションディレクター(監督)は「門出と凰蘭(おんたん)の話を外さない」ことを重要視し、吉田玲子は「(原作では後半にある)小学生編を『前章』に持ってこよう」と案を出したのだとか。
このおかげで、『前章』は大きな話をまとめつつ、多くの謎を残すことで「続きが気になる」効果を生んでいます。そして、黒川監督は『前章』が「門出編」、『後章』が「凰蘭編」というイメージでもいたそうで、その通りにそれぞれで主人公が異なる印象さえ得られるようになっています。何より、吉田玲子が「2人の過去が今に結び付いているならば、その絆がどうできているかを知ることで、2人の関係の見え方が変わります」と語っている通り、この構成でこそ、前述した門出とおんたんの関係性の変化が、よりダイレクトに感じられるようになっていました。
また、かなり大胆な再構成の上、なかなかに複雑なSF設定もあるのですが、「時間軸整理のための年表」も作っていたおかげか、まったく混乱することがないというのも驚異的。主人公2人の関係性に焦点を当てつつも、他キャラクターの関係性や問題の変遷も十分に描かれています。原作漫画を読むと、物語の魅力を「凝縮」させるうまさに感服しました。
さらに、吉田玲子は「凰蘭のセリフは浅野いにお先生に細かくチェックしていただきました」「表ではこう言っているけれど、裏ではこういう気持ちを抱えている、というところは丁寧に拾うようにしました」などとも語っています。原作のキャラクターの関係性や物語の精神性をとても大切にしている、いや「愛」が込められていることは、実際に出来上がった作品から感じられるでしょう。
余談ですが、原作者の浅野いにおは、以前に吉田玲子が参加した大人気アニメ(と漫画の)『けいおん!』に触発されて『デデデデ』を描いたとも語っており、吉田玲子自身も「なるほど、これは世紀末の『けいおん!』なんだな」というふうに納得したのだとか。確かに、女の子の「わちゃわちゃ」したやりとりの楽しさは、『けいおん!』ファンにも大推薦できるものでした。

5:残酷な世界における「善意」の物語

『前章』と『後章』は、どちらも異常な世界の中での若者たちの日常の青春がほのぼのと描かれていること、そして「正義の暴走」が共通して描かれています。『前章』では小学生時代の苛烈ないじめや、その後の凄惨な出来事において。『後章』では侵略者を虐殺している人間たちが、それを「正しい」と信じようとしていることにも、胸が締め付けられます。
そうした正義や悪意のない行動は、さらに悪い結果を生んでしまうかもしれない。それに伴って、周りでは悲劇的な出来事が波及していき、それに自分も加担してしまうかもしれない。
そのような、現実にある問題を鮮烈に描きつつも、それでもなお「善意」そのものを肯定する物語であること。そのことに本作の大きな意義があります。おんたんが門出のためにしたこと。門出にとっておんたんが「絶対」になったこと。その2人のことを知った他のキャラクターそれぞれの行動と、それぞれの思いが積み重なったこと。
そうした善意が描かれた先に待ち受けていた、「原作とは異なるクライマックスとラスト」で提示された希望にもう涙をポロポロとこぼすしかありませんでした。その改変が、原作の精神をないがしろにしていないどころか、原作にあった「優しさ」をより浮かび上がらせたというのも驚異的!
それは、「誰かを守ろうとする」、ただただそれだけの、人としての尊い感情でもあります。それを世界の在り方とてんびんにかけるような行動原理から、いわゆる「セカイ系」の作品群、特に『天気の子』を思い出す人も多いでしょう。さらに、善意によって全てが簡単に解決するはずもないと、やはり冷静かつ残酷な視点を忘れていないことにも、むしろ誠実さを感じました。
脚本家の吉田玲子は、今回の脚本を手掛けるにあたって、「現実でも災害や事件が起こる中、明日が見えない、未来が分からない、いつ何が起こるか分からない毎日を生きていかざるを得ない、そういう主人公たちの立場や状況が、自分たちにも重ねて見ることができる作品になるのでは」と考えていたそうです。
その上で、吉田玲子はこうも語っています。「凰蘭と門出たちはこんなに先が見えない、もしかしたら明日全てが終わってしまうかもしれない世の中を生きていく。これは私たちも同じだと思うのですが、その中でも生きていかなければならない時、何か大切なものがないと迷ってしまったり心が折れてしまう。門出と凰蘭にとっては2人の絆なのかもしれませんが、それが自分にとって何なのか。自分にとってこの世界を生きていく上で大切なことは何かということを感じて、考えていただければと思います」と。この言葉通り、本作は、ただ生きるのも大変で残酷な世界において、人それぞれが生きていく上で大切なことを、友情を超えた「絶対」の関係性を築く物語から今一度問いかけてくれます。なんと尊く、やはり希望に満ちた物語なのでしょうか。
また、『デデデデ 後章』が描いていることの本質は、5月24日より本作と同時公開されている、同じく「平和に思える日常のすぐそばで起こる虐殺」を描いた映画『関心領域』で描かれた問題の「アンサー」の1つとさえ思えます。もちろん、作品のアプローチは全く異なりますし偶然なのですが、だからこそ合わせて見ると、より現実の問題を考えるきっかけにもなるでしょう。

オールタイムベスト級の大傑作に

さらに、幾田りらとあのを筆頭とする豪華ボイスキャストの演技、公開延期をしてまで突き詰めたアニメそのもののクオリティ、最高レベルで作品にマッチした劇中歌および主題歌などなど、もう絶賛することばかりです。
『後章』は原作とは異なるクライマックスとラストを含め、『前章』よりもやや好みが分かれる部分もあるとは思います。それでも、筆者個人としては、この『デデデデ』は『アイの歌声を聴かせて』や『窓ぎわのトットちゃん』にも並ぶ、オールタイムベスト級の大傑作になりました。1人でも多くの人に、この作品が届くことを祈っています。
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
(文:ヒナタカ)

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