60キロ柔道少女→“世界一のグラビア雑誌”の表紙に…モデル・紗世(SAYO)が明かす、デビューのきっかけ「彼を驚かしてみようと…」
2025年5月24日(土)12時0分 文春オンライン
Instagramでのセクシーな投稿をきっかけにアメリカの一流雑誌『PLAYBOY』の表紙を飾り、「謎の日本人女性」として話題になったモデルの紗世(SAYO)さん。世界中の有名雑誌に次々と掲載されるも、国内メディアでの露出はほとんどなくベールに包まれていた紗世さんは今、三つ子を含む4人の子育てに奮闘していた。
そんな紗世さんに、過去の下積み時代から三つ子育児のリアルなどについて聞いた。(全3回の1回目/ 続き を読む)

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「こっそりデビューして、彼を驚かしてみようかなと」
——今日はよろしくお願いします。今は日本で生活を?
紗世さん(以降、紗世)海外での撮影やイベントのために行き来することが多いのですが、基本的には日本を拠点にしています。
——今お子さんはおいくつですか。
紗世 2歳がひとりと、10ヶ月の三つ子がいます(※3月取材時点)。
——三つ子用のベビーカーですか。
紗世 海外では3人以上乗れるバギーも見かけましたが、日本だとサイズが大きすぎて、エレベーターに入らないんですよね。なので、2人乗りと1人乗りのバギーを組み合わせて使っています。
——今は4人のお子さんの子育て中ということですが、改めてモデルをはじめたきっかけは?
紗世 このお仕事を始めたのは、2008年頃だったと思います。当時お付き合いしていた方が「タレントさんと会ったんだ」と、とても嬉しそうに話していたことがあって。ちょうどその頃、たまたま知人にカメラマンの方がいたので、こっそりデビューして彼を驚かしてみようかなと。そんな軽い気持ちが、最初のきっかけでした。
——もともとグラビア志望だったんですか?
紗世 最初からそうだったわけではないんです。ただ、そのカメラマンさんがグラビアの世界で有名な方だったこと、そして紹介されて所属した事務所がグラビアに強いプロダクションだったという流れもあって、自然とその方向へ進んでいきました。
——そこで順調にキャリアを積まれて。
紗世 まったくそんなことはなくて……。
当時は、同じ事務所の有名な方が出演される媒体や番組に、あくまで“ついで”のようなかたちでご一緒させていただくことが多くて。そうした方々のお仕事のなかで、空いている枠や余った案件をいただくことができるという立場でした。
それでも、ドラマや映画の端役、広告、バラエティ……本当にジャンルを問わず、いただけるお仕事はすべてありがたく務めさせていただきました。
——もともとグラビアはお好きだったんですか?
紗世 学生時代は格闘技を長くやっていたので、おしゃれとか、女性らしい仕事にずっと憧れはありましたね。
——格闘技とは意外です! 格闘技はどんなものを?
紗世 柔道です。本気で取り組んでいて、大会で上位に入賞することもありました。
——今とは全然違う雰囲気だったんですね。
紗世 当時はショートカットで、筋肉質な体型でしたから、見た目はどちらかというと男の子っぽかったんです。当時は、いくら食べてもなかなか太れなかったんですが、競技をやめた途端、筋肉が落ちて体重が60kgを超え、一気にふっくらとして、女性らしい体つきになったんです。
それで、「よし、これからは“なりたい女性”を目指そう」と思い、髪を伸ばし始めました(笑)。
——ちなみに、柔道をやめたきっかけは?
紗世 沢山の稽古をして、どれだけ努力しても、生まれ持ったセンスのある方には敵わない。そう感じていた矢先に、鎖骨を複雑骨折してしまって。それが決定的なきっかけとなり、柔道の道は諦めることにしました。
求められる“理想のイメージ”に合わせるのに限界を感じた
——Instagramでは骨格がコンプレックスだと書かれていましたが、柔道が影響しているところも?
紗世 きっと影響していると思います。長年体を鍛えていたこともあって、骨格がしっかりしているんです。
日本でグラビアアイドルとして活動するなかで、求められる“理想のイメージ”と自分の体型がなかなか合わないと感じることが多くて……。
——日本の男性がグラビアアイドルに求めるものとは?
紗世 そうですね、柔らかくてふんわりとした愛らしい雰囲気があって、守ってあげたくなるような儚さを感じさせつつ、スタイルとしては胸の大きい方がとても人気がありますよね。
——体は華奢だけど、胸だけは大きいスタイルですね。
紗世 まさにそうです。だからこそ、自分にはその要素がほとんどないにもかかわらず、日本のグラビアで求めめられる女性像に無理に合わせようとしていました。でも、実際の自分とは異なるイメージに寄せようとすることに、やはり限界があると感じました。
——ダイエットとかでは変えようがない部分もありますよね。
紗世 そうなんです。撮影の際には、少しでも肩幅が目立たないように、体の向きやポージングに工夫を重ねていました。ただ、それにも限界があって……(笑)。
正直なところ、本当に良いお仕事というのは、そうした工夫をしなくても人気な子に回っていくことが多くて。私が心からやりたいと願っていたようなお仕事に巡り合う機会は、多くはありませんでした。
——紗世さんが「やりたい仕事」とはどんなものだった?
紗世 20代前半は、やっぱり爽やかに海とか太陽の下で撮影したかったですね。
——かつての『週刊少年マガジン』の表紙のような雰囲気で。
紗世 まさにそうです。太陽の下で撮影されるような、健康的で爽やかな王道グラビアに憧れていました。
でも、私の雰囲気だといただくお仕事はどこか哀愁の漂うようなものが多くて。イメージ撮影でも、旅館の一室から出られない、というようなことがよくありました(笑)。
——紗世さんのイメージだと、和風なしっとり系の仕事が多かったと。
紗世 そうですね。ただ、作品を重ねるうちに、少しずつ客観的に自分のイメージを捉えられるようになってきて、気づいてくるんです。
「爽やかさ」というのは、私の持っている雰囲気とは対照的で、自分にはあまり似合わないのだな、と。
ちょうどその頃、年齢的にも30代が近づいてきていて。自分自身としても「30代でグラビアを続けていく」というイメージがなかなか持てずにいました。
彼氏からは「どうしてこんなことしてるの?」と
——「30代でグラビアをしているイメージが持てなかった」ということですが、日本では若い女性だけがグラビアに出ているから?
紗世 それもありますし、そもそも私自身、何も知らないままこの業界に飛び込んでしまったんですね。
そのなかで徐々に気づいたのは、自分では誇りをもって取り組んでいることでも、周囲からは「えっ、グラビアをやってるの?」と、どこかネガティブに受け止められてしまうことが多かったという現実でした。
そんなこともあって、「30歳を迎えてまで続けるのは違うかもしれない」と思うようになっていました。
——そもそも彼氏を驚かせるためにグラビアを始めたということでしたが、近しい人からの反応も良くなかった?
紗世 はい。好きだった人の何気ない一言がきっかけで始めたお仕事だったのですが、初めて自分の作品が出たときに「どうしてこんなことしてるの?」と言われてしまって。
家族からも「やめてほしい」と、何度も言われました。
並行して他のお仕事もしていたのですが、お仕事をご一緒していた方々から、「芸能の経歴は伏せてほしい」とか、「今後、グラビアの媒体に出るのであれば、一緒にお仕事はできない」と言われたことも、一度や二度ではありませんでした。
——彼自身はグラビア好きだったのに、彼女が出るとなるとまた違うと。
紗世 「そんなことして、家族にはどう説明するつもりなの?」と、真剣に悲しそうな顔で諭されました。
それでも、イメージを表現することは、やはり自分にとって自然で、しっくりくるものでした。
だからこそ、最後に本当にやりたかったこと——これまでやりたくてもできなかった表現を、すべてやりきって一区切りにしようと決めたんです。
そして、自分なりに納得のいくかたちで表現した写真をInstagramに投稿したところ、思いがけず海外からお声がけをいただくことになりました。
写真=三宅史郎/文藝春秋
〈 周りから「まだ脱いでるの?」「そういう撮り方はやめて」と…海外から取材殺到した三つ子母のモデル・紗世(SAYO)が明かす撮影秘話 〉へ続く
(小泉 なつみ)