作詞家・麻生圭子「進行性の難聴で音楽を失い、文筆家に。愛猫の声を聴くため、人工内耳を決心。今は愛犬との散歩も楽しんで」

2024年5月23日(木)12時29分 婦人公論.jp


(写真提供:石川奈津子さん)

1980年代、「セシル」「You Gotta Chance」「最後の言い訳」など数多くのヒット曲の作詞家として活躍してきた麻生圭子さん。聴力の衰える病気が深刻化したため、エッセイストに転向。その後、結婚し、京都、ロンドンを経て、琵琶湖畔に移り住み、夫婦でセルフリノベーションした水辺の家での生活を楽しんでいるようです

* * * * * * *

<前編よりつづく>

「やっと一人暮らしが終わった」

1年前に夫がつぶやきました。いえ、別居していたわけではありません。仲が悪かったわけでもありません。でも、会話がなくなっていた、できなくなっていたのです。

ここ数年で、私の耳はほとんど聴こえなくなっていました。進行性の難聴なので、結婚したころは、会話できていたんですよ。私の場合、音量より音域に問題があり、高音から欠けていく。サイレン、火災報知器などの音は大きくて音も聴こえないんです。

外でコミュニケーションが必要な場合は筆談かスマホの音声変換アプリ。夫はそれを嫌うので、うちはいつも黙食、無言で食事。団欒というものはありませんでした。聴こえない親の聴こえる子どもをCODAといいますが、配偶者の場合はSpODAというんですよ。本人だけじゃなく家族も辛いのです。

それが私もわかっていなかった。

1年前、人工内耳の手術を受けました。一対一でゆっくりなら、会話ができるようになりました。一人暮らしが終わった、というのはそういう意味です。

人工内耳は自分の耳は使いません。外部装置で音を電気信号に変換、インプラントした内部装置の電極から電流を聴神経に伝えます。音は聴こえるようになりますが、あくまで人工的な音。合成音です。音程(ピッチ)もありません。それを言葉として聴き取れるまで、リハビリしていきます。手術から1年経ちましたが、未だリハビリ中です。

でも脳はすごいんですよ、そんな合成音を、少しずつですが、記憶の音に近づけてくれる。夫の声はほとんど記憶の声に戻りました。音楽も記憶にあるメロディなら、それらしく聴こえる人もいます。私もメロディをなぞれるようになりました。自分が作詞した歌なら聴こえます。


ミシンの脚にシンクを載せた洗面台がアンティークな雰囲気(写真提供:石川奈津子さん)

80年代、私は作詞家でした。当時はアイドル全盛期。依頼が途切れることはなかったのですが、難聴が進み、音程が歪むようになりました(個人差があります)。私は絶対音感があったので、そんな微妙なピッチのズレが精神的に苦痛。

レコーディングに立ち会っても、聴こえに自信がなく、作詞家として意見がいえない。クラシックの演奏会に行っても、フルートやヴァイオリンのような楽器は高音域に入ると、旋律がぷつりと消えてしまう。音を楽しめなくなったら、それは音楽ではありませんでした。

音楽を失った私は、エッセイを書いたり、コメンテーターとしてテレビ出演する仕事にスライド。聴き取れない言葉は、話の流れや、相手の唇や表情で予測し、生放送もこなしていました。でもストレスでした。

結婚を機に、東京から京都に引っ越したのは、40歳前。聴き取りはさらに難しくなり、テレビ出演も少しずつフェイドアウト。京都で見た、味わったものを文章にする仕事にスライド。流れのままに生きてきたのです。

50歳くらいのとき聴覚障害6級と診断され、身体障害者となりました。障害者手帳をもらったときはほっとしました。運転免許証のような、資格を手にしたというか。もう聴者でなくてもいいんだと思えたからです。

65歳になり、障害者手帳は6級から3級に飛び級。自分が思うより、進行していました。多岐にわたる精密検査の結果、人工内耳を勧められました。

最初はいいです、とお断りしたんです。手術が怖いのではなく、聴こえなくてもいい、これも私の人生、個性と達観していたからです。筆談やスマホの音声文字変換アプリを使えば、日常生活に困ることもありません。

ところがあるとき、わが家の猫が助けを求めて大声を出しているのに、それが聴こえず半日、放置してしまうという事態に。幸い帰宅した夫が無事救出しましたが、ショックでした。猫の声が聴こえる飼い主に戻ろう、人工内耳を入れようと決心しました。


ビーグル犬のジンジャーが生後4ヵ月のころ。散歩が楽しい(写真提供:麻生圭子さん)

今はうるさいほど聴こえます。こんなにおしゃべりな猫だったのかと驚くほど。かわいいです。声でのコミュニケーションはこんなに楽しいものなんですね。

これなら犬も飼えるかもしれない。なんと半年前、人生で初めての犬を家族に迎えました。ビーグル犬です。せっかくの湖畔住まい。散歩がしたかったのです。人工内耳があれば背後からのクラクションやエンジンの音も聴こえます。毎日6、7kmは歩いています。

小さな家に、少ない荷物。でも夫と猫と犬はいる。それで十分です。今のしあわせはなくしたものがあるからこそ、手に入れたものだと思っています。

婦人公論.jp

「作詞家」をもっと詳しく

「作詞家」のニュース

「作詞家」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ