中川翔子 楳図かずおさん弔辞「宝物のような作品と魂を語り継ぐ」 “グワシ!ポーズ”で別れ「サバラ!」
2025年5月28日(水)15時15分 スポーツニッポン
昨年10月28日に88歳で亡くなった漫画家の楳図かずお(うめず・かずお、本名一雄=かずお)さんのお別れの会が28日、東京都武蔵野市の吉祥寺エクセルホテル東急で営まれた。楳図さんの大ファンで、自身の芸名を楳図さんの代表作「漂流教室」の主人公・高松翔にあやかって付けたタレントの中川翔子(年齢非公表)が弔辞を読んだ。
中川は「先生、本当に、お別れなんてまだ信じられません」と悲痛な胸の内を吐露。「貴重な映像を拝見させて頂いて、先生は生まれた瞬間から最期の瞬間まで、漫画そしてアートという物に命を注いで、このようにたくさんの素晴らしい物を残してくださったんだなと思うと胸が熱くなります。先生は先生が残してくださった漫画の作品のように、アートの作品のように、永遠の存在になられたんだなと思います。だけど、もう直接“またね”と言っていただくことができなくなってしまったことは本当に悲しいです」と語った。
幼少期から楳図さんの作品の大ファンだったという中川。「怖がりな私が子供の頃からずっと心惹かれていたのは、先生の作品に流れる怖いだけではない、その奥にある深い愛とどこまでも広がるイマジネーションでした」と回想。「私の名前、翔子の『翔』という字は先生の代表作『漂流教室』の翔ちゃんから頂きました。どんな過酷な未来でも生き抜く強さを願って」と芸名の由来を明かした。
「私の人生は先生の作品と共に育ち、人生の節目にはいつも先生の物語の中に立っていました。夢中で先生の作品を模写した小学生の頃、真夜中まで怖がりながら暗闇で読んでしまった日々、そして初めて先生にお会いした日、とても優しくしてくださって、帰り際に“またね”と笑顔で言ってくれたその一言が本当に今までの私を何度も救ってくれました。あの言葉があったから今日まで何度も立ち上がり生きてくることができました」と語った。
「忘れられない思い出があります。花やしき遊園地で先生とデートをさせて頂いた日、先生はご自身で作られたグワシ!の手を“投げっこしよう”と言ってくださりました。本当に投げるのが上手でした」と楳図さんならではのエピソードを披露し、「どっちが勝ったかわかりませんでした。まるで少年のようにキラキラした目で笑う先生。ホラーの神様なのにこんなにピュアで温かくて、あの時間は私にとっても一生の宝物です」としのんだ。
続けて、「先生のご自宅に保管されていた『わたしは真悟』の生原稿を拝見した時の衝撃を私は一生忘れせん」と告白。「息を飲むほどの緻密さ、美しさ。インクの1滴1滴に世界にまだ存在しない未来とイマジネーションが詰まっていて、まさに誰にも真似できない先生にしか紡げない宇宙がそこにありました」と力を込めた。「あれはもう漫画の域を超えて芸術そのものでした。楳図先生は恐怖という人間にとって欠かせない創造力の根源を圧倒的に美しくそして豊かに描き出して下さいました」と語った。
「怖いだけではなく、そこにある人間の弱さ、愛、孤独、未来への願い、それらを全て時に笑いと共に、時に痛みを伴ってアートとして私たちに届けて下さいました。楳図先生は漫画という概念を超えてこの世界に新しい芸術を生み出した、アートの歴史における偉大な特異点だと思います」と楳図さんの功績を称えた。
「最後にお会いした時、“頑張って描いてても誰にも褒められない。だけどフランスが賞をくれて評価してくれたからまた描こうと思えたんだ”とおっしゃる横顔が少し寂しそうで、そして創作エネルギーがまた燃えている横顔がとっても印象的でした」と振り返り、「私たちファンは先生が残してくださった宝物のような作品と魂をこれからもずっとずっと語り継いでいきます。地球が回り続ける限り、次の世代へと愛を叫び続けます。それが私たちができる先生への最大の感謝であり、何よりの供養だと思っています」と誓った。
「先生本当にありがとうございました。心からの感謝と無限のリスペクトを込めて。グワシ!サバラ!そしてまたね」と、力いっぱい「グワシ!」ポーズで別れを告げた。
中川はお別れの会直前に報道陣の取材に応じ、「本当に先生、寂しいです」と目に涙を浮かべた。「この素晴らしいアートを作ってくれた先生の功績を、次の世代までずっとずっと語り続けていくこと、そして先生に大好きを伝え続けること、これが使命なんじゃないかなと思っています」と語った。
楳図さんは1936年9月生まれ、和歌山県出身。55年に「森の兄妹」でプロ漫画家デビュー。ホラー漫画の第一人者として活躍した。代表作は「漂流教室」「まことちゃん」など。ホラー漫画を軸にSF、ギャグと幅広い分野で漫画文化へ貢献した。