加山雄三87歳、20代を振り返る「東宝に入社した翌年に『若大将』シリーズがスタート。青大将役の田中邦衛さんがいたからこその作品だった」
2024年6月6日(木)12時30分 婦人公論.jp
『俺は100歳まで生きると決めた』(著:加山雄三/新潮社)
2024年で87歳の加山雄三さん。俳優・歌手として活躍し、70代以降は愛船の火災や病に見舞われながらも、ニックネーム「若大将」そのままに人生を駆け抜けています。著書『俺は100歳まで生きると決めた』から一部を抜粋し、加山さんが語る幸福論をご紹介。今回は、芸能界に入った20代の頃について。東宝に入社した翌年から「若大将」シリーズが始まった——
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若大将と青大将
1960年、俺は東宝に入った。給料は5万円。電車に乗って成城にある東宝撮影所に通った。俺は、入社した年に三船敏郎さん主演の『男対男』でデビューして、『独立愚連隊西へ』で主演した。
このときに決めた芸名が「加山雄三」だよ。うちのおばあちゃんが占い師に相談してくれてさ。その占い師が10個くらい字画のいい名前を考えてくれた。そのなかから選んだんだ。
「“加”は加賀百万石から。“山”は日本一の富士山から。“雄”は英雄から。“三”は東宝の創業者の小林一三から」
東宝撮影所の柴山胖所長が記者たちに言ってくれた。いいこと言ってくれるなあー、さすがだなあー、と思ったよ。
入社した翌年、1961年からは「若大将」シリーズがスタートした。
発案はプロデューサーの藤本真澄さん。1930年代に松竹の映画で「若旦那」シリーズというのが6作あったんだ。そこからヒントをもらったんだな。若大将シリーズは毎作品俺がなにかスポーツをやるというプランでさ。なにがやれるか聞かれた。映画のなかで、実際にやんなきゃいけないからね。
「まず3本つくるぞ」
藤本さんに言われて、うんざりしたことを覚えているよ。
「3本もやるんですか?」ちょっとふてくされた。
だって、そうだろ。シリーズ作品だからさ。同じ台詞ばかり毎回言わなきゃいけないんだからさ。
第1作の『大学の若大将』では水泳、2作目の『銀座の若大将』では拳闘、3作目の『日本一の若大将』ではマラソンをやった。
これで3作。でも、3つでは終わらなかった。若大将シリーズはヒットしたからね。全部で18本つくった。
田中邦衛さんとの思い出
若大将は俺。ライバルの青大将は田中邦衛さん。ヒロインは星由里子さん。途中から酒井和歌子さんに替わった。前にも話したザ・ランチャーズを結成したのもこの若大将シリーズがきっかけだった。映画の中で俺はスポーツもやったけれど、歌ったり演奏したりもしたよ。
青大将役の田中邦衛さんは、俺よりも5つ年上。最初に会ったときはびっくりしたよ。20代であの風貌だったからね。ところが撮影がスタートすると、素晴らしいんだ。なんともいえない味がある。邦衛さんのような俳優と一緒にやらせてもらえて、ありがたかったな。青大将がいたからこそ若大将がいた。今もそう思っているよ。
邦衛さんはふだんからユーモアがあってね。楽しいんだよ。撮影前に並んでメイクしてもらっているとき、鼻歌を歌っているんだ。自分の頰をピシャピシャ叩きながらさ。
「京都、大阪、三千里〜」
デューク・エイセスの「女ひとり」みたいな曲を歌うんだ。歌詞を勘違いしているんだな。
首をかしげて俺に聞く。
「おい、加山。この歌、おかしいよな? 京都から大阪まで3000里もあったっけ?そんな遠くないよな」
とふざけたことを言うんだよ。
「邦さん。その歌、京都、大原、その次は三千院ですよ!」
「あっ、そうか! どうりで変だと思ったよ」
ふだんからそんな感じだった。
生ドラマでのハプニング
昭和のころのテレビ番組には、生のドラマがあってさ。邦衛さんはNHKで炭鉱事故のドラマに出ていた。
坑道で爆発が起きて、死体が累々とあるなかを走って石炭会社のえらい人に報告に行く。そこでまた爆発が起きるんだけど、邦衛さんは同時におならをしてしまった。ブッ! て。もれちゃったんだな。でも生ドラマだろ。放屁で放送をストップするわけにはいかない。邦衛さんはそのまま台詞を言った。
「今の音、聞こえましたか?」
ほかの俳優は耐えられずに噴き出してさ。炭鉱事故の切羽詰まったシーンなのに、死体役の人まで笑っちゃって、台無しだよな。
若大将シリーズが18本も続いたのは邦衛さんのおかげだ。俳優としての俺のキャリアで、あの人と出会えたのは大きな財産だったな。
若大将シリーズの後、邦衛さんは『北の国から』で主演して、あのドラマはたくさん賞を獲っただろ。長く続いて、間違いなく日本のドラマ史の名作の一つになった。俺は自分のことのようにうれしかった。邦衛さんは評価されるべき、素晴らしい人だと思っていたからね。
※本稿は、『俺は100歳まで生きると決めた』(新潮社)の一部を再編集したものです。
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