美川憲一歌手デビュー60周年、ロックな記念曲…GLAY・TAKUROとB’z・松本孝弘が作詞作曲「これで良しとする」

2024年11月1日(金)15時43分 読売新聞

「低音で女の情念を歌う。不気味と言われましたが、自分の味として大事にしてきました」と語る=西孝高撮影

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 美川憲一が、歌手デビュー60周年記念曲「これで良しとする」(クラウン)を出した。人気バンド、B’zのギタリスト、松本孝弘が作曲を、GLAYのギタリスト、TAKUROが作詞を担当した豪華な布陣。節目を迎える美川に聞いた。(編集委員 西田浩)

 2年ほど前から、記念碑的な作品を作ろうと様々なアイデアを練っていた。松本とは旧知の仲で、昨年5月に食事をした時に「ダメ元で、記念曲を作ってほしいと頼んだら、その場で『やらせてください』。頼んだ方が驚いた」と笑う。

 松本がTAKUROに声をかけ、作り上げたのは2曲。「風まかせ 運まかせ/生きてるだけでいいじゃない」と歌う軽快なロック調の「これで——」と、夢を追って都会に出て行く自分を見送る母への思慕を、陰影をたたえた都会的な曲にのせた「華散れど月は輝く」だった。

 「歌詞を見てびっくりした」。というのも、前者は深刻な不振の時を乗り越え再び輝いた自身の芸能生活を凝縮したような内容で、後者は生みの母と育ての母に楽をさせたいと芸能界を目指した自分を投影した詞だったからだ。「楽曲については完全にお任せで何の注文もつけなかった。おそらく私の半生を調べ、心情を代弁してくれた。それだけ真剣に取り組んでくれたことに感激しました」

 どちらを表題曲にするか迷った末、勢いのある「これで——」を選び、「華散れど——」を並録曲とした。

 大映ニューフェイスに合格し、映画俳優を目指したが養成期間中にスカウトされて歌手の道に進んだ。「2人の母に楽をさせることが目的だったので、稼げそうな方を選んだ」という。

 1965年デビュー。翌年の「柳ヶ瀬ブルース」から「釧路の夜」「さそり座の女」などヒット曲を連発した。しかし70年代後半から長期の不振に陥った。

 浮上のきっかけは、タレントのコロッケのものまねだった。彼が美川のまねをした89年の番組に乱入し、2人で「さそり座の女」を歌ったことが話題に。翌年、防虫剤のCMに起用されて「もっと端っこ歩きなさいよ」のセリフが受けた。タレント的な人気を獲得し、91年には紅白歌合戦に17年ぶりの出場を果たした。「おねえ言葉や毒舌など受けるためのすべを試行錯誤し、自己演出を徹底した。そして好機は絶対に逃さないという嗅覚を磨いた」

 紅白歌合戦で小林幸子の華やかな衣装が話題になると、「対抗するのは私しかいない」と、自身も衣装の派手さをエスカレートさせたのも、そういった戦略のたまもの。2人の豪華衣装対決は紅白の風物詩となった。「振り返ると、しぶとくしたたかに生き抜いてきたものですね」と笑った。

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