日本旅行中に満潮で岩礁に取り残された中国人を救出、広がる称賛の声
2025年4月20日(日)11時30分 Record China
岩礁を遊覧していた中国人女性が満潮のために取り残されたところ、地元の日本人が救助した。写真は表彰状を贈られた真鶴半島振興事業組合の責任者の一人である金澤永浩氏と与高橋敏光氏など(左から2人目と3人目)
日本国内に拠点を置き日本情報を発信する日本陽光伝媒は17日付で、神奈川県真鶴町の三ツ石海岸の岩礁を遊覧していた中国人女性が満潮のために岸まで戻れなくなったところ、連絡を受けた地元の日本人が救助した話題を紹介した。救助が遅れたら岩礁すべてが水没しておぼれてしまった可能性が高いという。中国の代表的ポータルサイトである捜狐網や網易なども記事を転載した。
岩礁に取り残されたのは施明坤さんで、来日は9度目であるため、三ツ石海岸の魅力はすでによく知っていた。3月1日には半日をかけて周辺を巡ったが、まだ名残惜しさを感じていたという。
岩礁の上で散策していた施さんは、潮が満ちてきて海岸に引き上げる部分が水没していることに気付いた。現地に何度か来た経験のある施さんは、自分が極めて危険な状況だと分かった。施さんは携帯電話で、近くの湯河原消防署に救助を求めた。消防署側は、現場に急行しても岩礁の水没に間に合わない恐れがあると判断して、現場近くの観光施設であるケープ真鶴に連絡した。そのため、高橋敏光社長と社員の平井康太さんが高速艇で現場に急行した。
高橋社長と平井さんの出動は午後4時半ごろで、約10分後には施さんを発見した。2人は到着した湯河原消防署署員とも協力して、施さんの救助活動を行った。施さんはそれから約30分後に、高橋社長らの高速艇に乗ることができた。海面の上昇速度を考えれば、施さんの救出はぎりぎりのタイミングであり、また、高橋社長らも一つ間違えれば危険な状態に陥る恐れがあったという。[]
施さんは翌日になり、高橋社長らに感謝の文章を贈った。文章は日本語で書かれ、「昨日、私は海に取り残され、絶望的な状況の陥っていました。その時、皆様が勇気をもって助けに駆けつけてくださいました」などと状況を振り返った上で、感謝を示す言葉がつづられていた。また、高橋社長や施さんの救助に協力した真鶴半島振興事業組合の関係者には、別途表彰状が贈られた。!<1401365>[]
日本陽光伝媒の記事は、2011年3月11日の東日本大震災で、自社で働く中国人研修生20人に「津波が来るぞ」と呼び掛けて高台に避難させ、自らはその後、家族を探していて津波に巻き込まれて死亡した宮城県女川町の水産会社の佐藤充専務の話題にも触れ、地元関係者の言葉として「日本人は災難の際に、身近にいる中国人を他人とは見なさず、ほとんど本能的に手を差し伸べます。実際のところ、現実の暮らしの中での両国民の関係は、長年にわたりすでに非常に友好的であり、そうでなければこれほど多くの中国人が日本で留学、就労、生活しているはずがありません」と紹介した。(翻訳・編集/如月隼人)