暗殺されたリトビネンコ氏とプーチン大統領、なぜか一致した「3文字」の偶然

2025年4月24日(木)8時0分 ダイヤモンドオンライン

暗殺されたリトビネンコ氏とプーチン大統領、なぜか一致した「3文字」の偶然

Photo:Contributor/gettyimages

2006年に、亡命先のイギリスで放射性物質を飲まされ暗殺された元ロシアの秘密情報機関職員、アレクサンドル・リトビネンコ氏。通称リトビネンコ事件から4年後の2010年、英国では政権交代が起き、政治方針が大きく変化した。彼の妻、マリーナ・リトビネンコ氏はロシアにいる暗殺実行犯の身柄引き渡しを切望していたが、この政権交代が彼女の望みを阻むことになる。ノンフィクション作家の著者が、取材を通して彼女の思いを綴る。※本稿は、小倉孝保『プーチンに勝った主婦 マリーナ・リトビネンコの闘いの記録』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです。

リトビネンコが遺した詩とプーチンの記者会見

 夫が死亡して半年になる2007年5月21日、マリーナはロシア政府を相手取って欧州人権裁判所に提訴した。ロシア政府がリトビネンコの殺害を指示、もしくは黙認したうえ、まともに捜査しないことが欧州人権条約に違反していると訴えた。マリーナは何とかロシア政府を動かしたかった。

 一方、ルゴボイ(※1)は突然、2007年12月2日の総選挙に自由民主党から立候補し国会議員となり、不逮捕特権を得た。革命でも起きない限り、引き渡しは事実上、不可能になった。(※1)…編集部注/イギリスのホテルのバーでリトビネンコ氏と会談し、同氏に放射性物質のポロニウム210入りの緑茶を飲ませたとされる人物

 2008年秋、マリーナはアナトリー(リトビネンコ氏の長男)と一緒に自宅に戻った。事件から2年がたち、放射線量は安全なレベルまで低下していた。

 彼女は夫が残したノートを開いた。ロシアで収監されていたときにつづった詩が青いペン字で残っていた。多くはマリーナへの愛を表現していた。祖国への熱い想いをぶつけた詩もあった。マリーナは50篇ほどある詩に目を通しながら一篇の短い詩に気づいた。

〈ラザロがよみがえったとき/誰も彼に問いかけなかった/亡き人々の沈黙を尊ぶべし〉

 新約聖書「ヨハネによる福音書」では、ラザロは病のため死去し、4日後にキリストが墓前で祈ると蘇生したとされる。夫はこの「ラザロの復活」について書いていた。マリーナがこの詩に驚かされたのは、プーチンが記者会見(※2)でラザロに言及したのを思い出したからだ。(※2)…編集部注/リトビネンコ氏の死後、プーチン大統領が事件への関与を全否定した会見

「人の死が政治利用されるのは残念だ。リトビネンコさんはラザロではない」

 死者が復活するはずはなく、リトビネンコの声明(※3)は本人が作ったのではないとの指摘だった。(※3)…リトビネンコ氏が亡くなる直前に、友人の助けを得て書き残した声明文。そこではプーチン大統領が自身の暗殺に関与していることを示唆している

 プーチンは明確に死者の復活を否定した。マリーナにはこの言葉が記憶にあった。そして夫の詩を読んだ。リトビネンコは「ラザロの復活」について、「誰も問いかけなかった」と述べている。彼は復活を信じていた。プーチンの疑問を否定し、声明は自分が書いたと主張しているようにも読めた。そして、「亡き人々の沈黙を尊ぶべし」と訴えている。命を奪われ沈黙を強いられても、生者は沈黙に込められた思いを無視してはならないと述べているようだ。マリーナは私(筆者)に言った。


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