プーチン演説から読み解くロシアの苦境と財政悪化

2023年5月13日(土)6時0分 JBpress


プロローグ/歳歳年年軍不同

 旧ソ連邦諸国にとり、毎年5月9日は1年で最大の「祝日」(お祭り)になります。この日、ドイツ軍がソ連軍に降伏したからです。

 しかし、欧州では「終戦記念日」は5月8日です。なぜでしょうか?

 昨年2月24日のウクライナ侵攻開始後のウラル原油下落により、ロシア(露)の国家予算赤字幅は今後さらに拡大し、戦費問題はますます表面化・深刻化するでしょう。

 ロシアのV.プーチン大統領(70歳)にとり、油価下落は大いなる誤算でした。

 ウクライナ侵攻電撃作戦は2〜3日で収束する予定でしたが、泥沼化・長期化は想定外でした。

 ウクライナ戦争は誤算の連続であり、今ロシアで一番困惑しているのは、実はプーチン大統領その人ではないかと筆者は想像する次第です。

 筆者は毎年、モスクワ「赤の広場」で挙行される軍事パレードの実況中継をTVで観察し、V.プーチン大統領の一挙手一投足に注目してきました。

 今年も観ましたので、本稿では「赤の広場」における軍事パレードの印象と、発表されたプーチン大統領演説を総括してみたいと思います。

 もちろん、筆者の個人的感想にすぎない点を明記しておきます。

 最初に結論を書きます。

 モスクワ「赤の広場」にて5月9日に挙行された今年の軍事パレードは、結果として過去最悪の軍事パレードになったと判断します。

 ロシア国民もこのパレードを観て、ロシアの行く末を案じていることでしょう。

 ロシア経済は油価(ウラル原油)依存型経済構造です。その油価は現在下落傾向にあり、油価低迷と戦費拡大によりロシア財政は破綻の危機に瀕しています。

 ロシア財務省は5月10日、今年1〜4月度のロシア財政収支を発表。今年の国家予算案は2.92兆ルーブル(約5兆円)の赤字予算ですが、1〜4月で既に3.42兆ルーブルの赤字となりました。

 このまま油価(ウラル原油)低迷と戦費拡大が続けは、今年は10兆ルーブル以上の財政赤字となるでしょう。

「赤の広場」の軍事パレードで流れる軍歌と「カチューシャ」(戦時歌謡曲)は毎年同じです。

 しかし、今年の軍事パレードで軍楽隊が奏でる音楽はロシア軍の「軍隊行進曲」ではなく、ロシアの「葬送行進曲」に聞こえました。

 唐の詩人劉希夷の「代悲白頭翁」(白頭を悲しむ翁に代わる)に、人口に膾炙する名句があります。

年年歳歳花相似 歳歳年年人不同(年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず)

 この名句を拝借すれば、今年の「赤の広場」における軍事パレードには下記対句がよく似合います。

年年歳歳曲相似 歳歳年年軍不同(年々歳々曲相似たり 歳々年々軍同じからず)


第1部:「赤の広場」でのプーチン演説

 最初に、今年5月9日にモスクワ「赤の広場」で挙行された軍事パレードにてプーチン大統領が演説した内容を訳出します(筆者仮訳)。

 筆者は毎回、露TVの実況中継を自分のパソコンで観ながら、演説するプーチン大統領の一挙手一投足を観察してきました。

 今年は露タス通信の実況中継を観ておりましたが、途中で画面がフリーズしたり音声が一部途切れたりする部分もあったので、演説後にロシア大統領府のサイトに接続して露語原文を取り込み精読しました。

 大統領府にアップされているロシア語を直訳すると以下のようになります。急いで翻訳しましたのでお見苦しい点があるかもしれませんが、ご容赦ください。

(全文訳)

皆様(呼びかけ詳細略)

 祖国を防衛し、その名を後世に残した我々の父親、祖父、曾祖父の名誉のために本日の式典を祝福いたします。あなた方の不滅の勇敢さと多大なる犠牲が人類をナチズムから救いました。

 今日、文明は再び決定的な転換点に差し掛かっています。我らが祖国に対し、またもや本物の戦争が仕掛けられているのです。

 しかし、我々は国際テロには断固として反撃しました。我々はドンバス住民を保護し、自国の安全を確保します。

 我々にとりまたロシアにとり、非友好的国民や敵対する国民は西側にも東側にも存在しません。地球に住む圧倒的多数の人々と同様、我々は平和な自由な安定した未来を希求しているのです。

 自分たちが優れているといういかなる優越感も有害であり、犯罪であり、死に至る病です。

 一方、グローバリズムを標榜する西側エリートたちは相変わらず自分たちは例外であると見なし、人々を煽り、社会を分断し、血なまぐさい闘争や交渉を扇動し、憎悪とロシア嫌いと攻撃的ナショナリズムの種を撒き散らし、人間を人間たらしめんとする家族的、伝統的価値を破壊しているのです。

 彼らは今後も独裁を続け、実際には搾取システムや暴力、圧力にほかならないのですが、国民に自分達の意思・権利・規則等を押し付けているのです。

 西側エリートはどうやら、世界支配を目論むナチストがどのような結果をもたらしたのか忘れてしまったようです。誰が奇跡を起こしたのか忘れたのです。

 これは、誰が故郷の大地のために立ち上がったのか、ヨーロッパの国民を解放すべく、ソ連軍の兵士が自分を犠牲にしたことを残念にも思わない完全悪です。

 いくつかの国では、ソ連軍の兵士像を無残にも破壊し撤去しようとする動きもあります。彼らは代わりにナチズムの現代版カルトを創り出そうとしており、真の英雄の記憶を消し去ろうとしているのです。

 平和のために戦ったソ連軍兵士の記憶を消し去ることは犯罪です。

 彼ら欧米の目的は何ら目新しいものはありません。彼らはロシアの崩壊と消滅を画策しており、第2次世界大戦の結果を消し去り、世界の安全と国際法を破壊し、主権国家の発展中枢を窒息死させようとしているのです。

 計り知れぬ野望や自分たちにはすべてが許されているという思い上がりは、結局悲劇で終わることになるでしょう。

 今、ウクライナの国民が耐え忍んでいる悲劇の原因はまさにここにあるのです。

 ウクライナ国民は国家クーデターと西側支配者の犯罪的体制の人質となったのです。

 ロシアに住む我々にとり祖国防衛者の記憶は神聖なものであり、我々の心の中に生きています。

 ナチズムに対する抵抗運動に参加した人々、連合国たる米軍や英軍、その他の国々の軍人は当然の報酬を受けるべきです。

 日本の軍国主義と戦った中国将兵の功績にも敬意を表します。

 全体主義に対する戦いの時代に培った連帯と協力は我々の何物にも代え難い遺産である、と私は確信しております。

 信頼と揺るぎない安全、すべての国と国民が自由に発展する平等な可能性の原則に基づく、より公平な多極化の世界を目指す不退転の運動は今まさにその力を発揮しつつあります。

 今ここモスクワにCIS(独立国家共同体)の指導者達が参集したことは大変重要なことです。我々の先達、共に戦い共に勝利したソ連邦の全国民がこの勝利に貢献したのです。

 我々は先達の功績を忘れることはありません。

 戦争の犠牲となった神聖な記憶、息子や娘たち、父母、祖父、夫、妻、兄弟姉妹、祖国の友人の前に我々は頭を垂れるものであります。

(黙祷)

 皆様

 我が祖国の運命にとり決定的な戦いは常に、祖国愛であり国民的であり、神聖なものになりました。我々は先達の尊厳ある労働や道徳の価値を知っています。

 我々は、最前線で戦っている人、戦火の中で前線を守っている人、戦傷者を看護している人、この特別軍事作戦に従事しているすべての人たちを誇りに思います。

 国家の安全、国家と国民の未来はあなた方の双肩に掛かっています。あなた方は戦う義務を立派に果たしており、祖国ロシアのために戦っています。

 あなた方の銃後には家族が、子供が、友人が控えています。彼らはあなた方の帰りを待っています。あなた方は彼らの惜しむことのない愛を感じているはずです。

 我々の英雄を支援すべく、国中が団結しています。我々全員があなた方を支援しており、あなた方の無事を祈っています。

皆様

 今日、すべての家族は大祖国戦争従軍者の名誉を讃えており、故郷の英雄たちに思いを馳せ、軍人の記憶に花束を捧げています。

 我々は今、この赤の広場に立っています。ユーリー・ドルガルーキー公やD.ドンスコイ公の像、抵抗者ミニナやパジャールスキーの像もあります。

 ピヨートル大帝やクツーゾフ将軍の勇士たち、1941年と1945年の軍事パレードを想起させるこのロシアの大地に立っているのです。

 今日ここに、特別軍事作戦に従事している人たちが集まっています。

 動員されたロシア国防軍の軍人、ルガンスクやドネツク州の民兵、義勇兵、国家親衛隊、内務省、連邦保安庁、非常事態省、その他特別任務を担当する省庁の人たちです。

 皆様を歓迎します。祖国ロシアのために前線で戦っている人、軍務に就いているすべての人を歓迎します。

 大祖国戦争の時代、我々の先達は我々の団結以上に強固なもの、強いもの、信頼あるものは存在しないことを証明してくれました。我々の祖国愛以上に力のあるものは存在しないのです。

 祖国ロシア万歳、我らが栄えある国軍万歳、勝利万歳、ウラー!


第2部:「赤の広場」 軍事パレード概観

2−1.総括:

 実況中継を観ていて驚いたのは、突然「日本軍国主義」がプーチン大統領の口から飛び出したことです。

 日本の軍国主義と戦った中国将兵を賛美する内容でしたが、これはロシアの対中依存度が深化したことの証左と筆者は理解します。

 換言すれば、そこまでプーチン大統領は追い込まれているとも言えます。

 対日関係で言えば、日露関係は日暮れて途遠しではなく、日暮れて途消滅となりましょうか。

 今年のプーチン大統領演説を一言で表現すれば言い訳と詭弁に満ちた内容であり、注目すべき内容は何もなく、筆者に言わせれ何を今更、道頓堀よとなります。

 登場した戦車は「T34」1輌のみ。自走砲も登場せず、戦車も自走砲も多分ウクライナの最前線で活躍(?)していることでしょう。

 プーチン大統領は冒頭、「今日、文明は決定的な転換点にある。我が祖国に対し、またもや本物の戦争が仕掛けられている」と述べています。

 しかし、本物の侵略戦争を仕掛けたのは誰でしょうか?

「彼ら欧米の目的は何ら目新しいものはない。彼らはロシアの崩壊と消滅を画策しており、第2次世界大戦の結果を消し去り、世界の安全と国際的権利を破壊し、主権国家の発展中枢を窒息死させようとしている」

 主語と目的語を入れ替えるとその通りですね。

 本稿では、「赤の広場」における軍事パレードの歴史と今年の軍事パレードをみた筆者の個人的感想を述べさせていただきたいと思います。

2−2.「軍事パレード」の経緯:

 最初の対独戦勝記念日は、ドイツが降伏した1945年の6月24日に実施されました。

 2回目の対独戦勝記念日のパレードが開催されたのは1965年5月9日です。

 この日、「勝利の旗」が赤の広場に登場しました(「勝利の旗」は1945年5月1日にドイツ国会議事堂の屋上に掲げられた赤旗)。

 対独戦勝記念日はお祭りですから、従来は将兵や大戦参加者の行進が主体でした。

 プーチン新大統領が2000年5月に誕生後、戦車や自走砲などの重火器が「赤の広場」の軍事パレードに登場したのは2008年のことです。

 60周年記念日となる2005年5月9日には、独G.シュレーダー首相(当時)が参加。

 65周年記念日となる2010年5月9日には、英・米・仏・ポーランドを含む計13か国の外国軍隊が「赤の広場」の行進に参加しました。

 史上最大規模の対独戦勝記念軍事パレードは70周年記念日となる2015年5月9日でした。

 この日は194輌の軍用車輛と軍用機140機が参加。軍用機参加数では空前絶後となりました。

 ロシアの最新鋭戦車「T-14」が初めてテレビに登場したのもこの軍事パレードでした。

 参考までに、直近4年間の軍事パレードの規模は以下の通りです。

 ちなみに2020年の75周年軍事パレードは、第1回対独戦勝記念軍事パレードが1945年6月24日に挙行されたことに鑑み、6月24日に実施されました(下記数字は概算)。

2020年:将兵1万4000人/戦闘車輌200輌/軍用機75機(75周年に合わせ75機)

2021年:1万2000人/190輌/76機

2022年:1万1000人/130輌/悪天候のため、軍用機パレード中止

2023年:8000人/ 80輌/軍用機パレードなし

 昨年の軍事パレードはウクライナ侵攻直後となり、外国からの賓客はゼロ。参加将兵1万1000人、軍用車約輛130輌、航空機パレードは悪天候のため中止となりました。

 昨年5月9日のモスクワ「赤の広場」における対独戦勝77周年記念日の軍事パレードでは、プーチン大統領はウクライナ特別軍事作戦における「勝利宣言」するはずでした。

 しかし「勝利宣言」も「戦争宣言」もなく、海外からの賓客は一人もおらず、結果としてロシアの孤立を浮き彫りにした軍事パレードになりました。

 付言すれば、昨年の軍事パレードの注目点は、プーチン大統領が戦争宣言するかどうかでした。

 プーチン大統領が対ウクライナに宣戦布告して一番迷惑を受けるのが、集団安全保障条約(CSTO/計6か国)に参加しているカザフスタンやベラルーシなどです。

 軍事同盟ですから、ロシアが戦争宣言すれば、参戦しなければなりません。

 しかし、意味も意義も大義もない戦争にカザフスタンやベラルーシが参戦するはずもなく、この場合、ロシア軍事同盟国の間に亀裂が入ったことでしょう。

 昨年の軍事パレード終了後にプーチン大統領が無名戦士の墓を歩いている時、隣に寄り添う大統領府の若者が話題になりました。

 あるロシア専門家が「大統領代行は大統領令で置くことができる。彼はプーチン大統領の後継者と目されている」と解説していましたが、この解説は間違いです。

 大統領代行職は憲法第92条に規定されています。

 現職大統領が辞任した場合や健康上の理由などで職務遂行が一時的に不可能になった場合、大統領は大統領代行を置くことができます。

 しかしその場合、「大統領代行は首相」とロシア憲法に明記されています。

 プーチン氏は1999年8月に首相就任。同年12月31日のエリツィン大統領辞任表明により大統領代行に就任し、2000年3月の繰上げ大統領選挙で当選。これはロシア憲法の規定通りの動きです。

 マスコミでは時々、N.パートルシェフ安保会議書記を大統領代行に指名するかもしれないとの話が浮上しますが、これも憲法違反です。

 ただし、プーチン大統領がロシア憲法を順守するのか・しないのかは別問題です。

 戒厳令を敷けば露連邦法は効力を失い、実質大統領令で何でも可能になります。

2−3.今年の「軍事パレード」:

 モスクワ時間5月9日午前10時(日本時間午後4時)に始まり、10時47分に終了。

 終了後、プーチン大統領は「赤の広場」から退出。歩いて隣の「無名戦士の墓」に移動、11時に到着して献花。11時5分に解散となりました。

 5月8日までは、参加予定の外国要人はキルギスのジャパロフ大統領1人でした。

 しかしプーチン大統領はさすがにこれではマズイと思ったのか、急遽K.トカエフ大統領(カザフ)/A.ルカシェンコ大統領(ベラルーシ)/S.ベルディムハメドフ大統領(トルクメン)/S.ミルジョエフ大統領(ウズベク)/E.ラフモン大統領(タジク)/N.パシニャン首相も(無理やり)呼びつけました。

 タジクのラフモン大統領に至ってはいったん断っていましたが、強制連行された感じです。

 モスクワ時間午前10時に始まり、10時7分にショイグー国防相とサリュコフ地上軍総司令官がプーチン大統領に軍事パレード準備完了を報告。

 約10分間のプーチン大統領演説後、10時24分に礼砲と国家演奏。27分に軍楽隊が場所を移動して、軍事パレードが始まりました。

 10時33分に「カチューシャ」の演奏が始まり、女性士官が行進。将兵による行進は10時41分に終了して愈々「T-34」戦車の登場となりましたが、今年はなんと戦車1輌でした。

 付言すれば、「カチューシャ」は日本ではロシア民謡として親しまれてきましたが、実は「戦時歌謡曲」です。

 日本で親しまれている「ポールシュカ・ポーレ」に至っては立派な赤軍軍歌であり、赤軍騎馬隊が敵陣営に突撃していく歌です。

 その後、各種軍用車、地対空ミサイル「S-400」(4輌)の後、3輌の大陸間弾道ミサイル「ヤルス」が登場して、10時47分に軍用車輛のパレードが終了。

 プーチン大統領は「赤の広場」から退場して、「無名戦士の墓」に歩いて移動。

 毎年この軍事パレードを観ている筆者にとっては、あまりにもあっけなく終わった感じです。

 将兵の行進も揃っておらず、事前の練習不足が否めませんでした。

2−4.欧州とロシアではなぜ「戦勝記念日」が異なるのか?:

 ではここで少し脱線します。

 欧州の終戦記念日は5月8日、旧ソ連邦諸国の対独戦勝記念日は5月9日です。なぜでしょうか?

 実は、答は簡単です。

 欧州戦線は東部戦線と西部戦線の2つの戦線があり、西部戦線では5月7日に停戦協定が締結され戦闘行為終結し、8日夜11時発効。ゆえに、5月8日が終戦記念日になります。

 一方、5月9日は旧ソ連邦諸国最大の祝日「対独戦勝記念日」です。

 ドイツのA.ヒトラーは1945年4月20日、ベルリン総統官邸地下壕にて56歳の誕生日を迎えました。

 同日、ソ連赤軍のジューコフ元帥率いるベルリン攻略軍はベルリン総攻撃開始。4月30日には、総統官邸100メートルにまで肉薄。

 ヒトラーはその前日、「生きて虜囚の辱めを受けず」と宣言。地下壕にてエバ・ブラウンと挙式後、デーニッツ海軍総司令官を総統後継者に任命して翌日ピストル自殺。新婦も後を追って服毒自殺しました。

 ゲッベルス後継首相は翌5月1日朝、ベルリン攻略軍との単独講和を試みるも、連合軍側から交渉当事者の資格なしとして相手にされず失敗、家族一同服毒自殺。

 翌2日、ベルリン防衛軍バイドリング中将はベルリン攻略第8親衛軍チャイコフ大将と休戦協定を締結、ベルリンにおける戦闘は終了しました。

 すなわち、ベルリン陥落は5月2日です。

 5月7日にはドイツ国防軍総司令部統制局長ヨードル元帥は仏ランス村に出向き、連合軍総司令官米アイゼンハワー元帥に降伏を申し入れ、降伏文書に調印。降伏文書は現地時間5月8日午後11時発効。

 これが、西部戦線(西欧)において5月8日が戦争終結記念日となるゆえんです。

 一方、ドイツ国防軍と赤軍との降伏交渉は赤軍総司令官ジューコフ元帥と独カイテル元帥の間でベルリンにて行われましたが、交渉は長引き、降伏文書に調印したのは5月8日深夜となりました。

 この時モスクワでは時差の関係で既に9日未明に入っており、これが東部戦線においては5月9日が対独戦勝記念日となるゆえんです。

 ちなみに、独デーニッツ元帥と英モントゴメリー元帥の間では、それ以前に北ドイツにおける休戦協定が成立。

 バルト海の制空権と制海権が空き、東部に入植した数十万のドイツ人がケーニッヒスベルク(現カリーニングラード)から無事ドイツ本国に帰還しています。

 上記の流れは、日本が1945年8月14日に受諾したポツダム宣言をソ連(軍)がどのように理解していたかという問題にも繋がります。

2−5.軍事パレード後のロシアの重要記念日:

 5月9日の軍事パレードに続くロシアの重要記念日は、来る6月12日の通称「ロシア独立記念日」、正式には「ロシア国家主権宣言記念日」になります。

 1990年3月に創設されたロシア共和国人民代議員大会は同年6月12日の第1回総会にて、ロシア国家主権宣言を採択。

 この「国家主権宣言の日」を「ソ連邦からロシア共和国(当時)が独立宣言した日」と解説する人が多いのですが、それは間違いです。

 1990年当時、M.ゴルバチョフ・ソ連邦初代大統領とB.エリツィン・ロシア共和国最高会議議長という大物政治家2人の個人的確執があり、モスクワは二重権力状態でした。

 エリツィンはソ連邦共産党政治局員候補まで登りつめた共産党の大物幹部ですが、ゴルバチョフ書記長により1987年11月に解任されました。

 しかし1989年3月の露共和国人民代議員選挙で当選。1990年5月には露共和国最高会議議長に選出されました。

 一方、ゴルバチョフ書記長は1990年3月、ソ連共産党の指導的役割を規定した憲法第6条を廃止。

 複数政党制と大統領制を導入する憲法改正案(通称「ゴルバチョフ憲法」)を採択、ソ連邦初代(そして最後の)大統領に選出されました。

 その後、エリツィン最高会議議長は90年6月12日、ロシア共和国人民代議員大会にて、「ソ連邦構成員としてのロシア共和国の主権を宣言する」という主権宣言を採択しました。

 すなわち、主権宣言はロシア共和国の主権を確認しただけで、ソ連邦からの独立宣言ではありません(この点、誤解している人が結構います)。


第3部:ウクライナ戦況、ロシア軍の被害状況と戦争の帰趨 (2023年5月11日現在)

 ロシア軍が2022年2月24日にウクライナに全面侵攻開始してから本日5月11日でプーチンのウクライナ侵略戦争は442日目となり、1年と3か月目に入りました。

 開戦後2〜3日でキエフ(キーウ)は陥落。ゼレンスキー大統領は国外逃亡か拘束され、親露派ヤヌコービッチ元大統領の傀儡政権を樹立する予定でしたから、戦争長期化・膠着状態はプーチン大統領にとり誤算の連続となりました。

 プーチン大統領は今年2月21日の大統領年次教書の中で、「NATO(北大西洋条約機構)との戦い」と「祖国防衛」を繰り返し強調しましたが、この戦争の戦場はウクライナであり、ロシアではありません。

 この戦争はロシアの侵略戦争です。

 ロシアの祖国防衛戦争ではなく、ウクライナの祖国防衛戦争です。

 皮肉な話ですが、今のゼレンスキー大統領は1941年6月のスターリン首相を想起させます。

 側近からの忠告にもかかわらず、ドイツ軍のソ連侵攻はあり得ないと固く信じていたスターリンにとり、1941年6月22日のバルバロッサ(赤髭)作戦発動は文字通り「青天の霹靂」でした。

 ゼレンスキー大統領も、米国からのロシア軍事侵攻可能性大との情報にもかかわらず、ロシア軍のウクライナ侵攻は「青天の霹靂」となりました。

 注目すべきは侵攻後です。

 スターリンはモスクワに踏みとどまり、赤軍の陣頭指揮を執りました。

 ゼレンスキー大統領は、ロシア側が「ゼレンスキーは国外逃亡した」と偽情報を流す中、キーウに踏みとどまり、キーウから毎日情報を発信しました。

 中国の習近平国家主席(69歳)は2023年3月20日訪露、プーチン大統領と中露首脳会談を開催。プーチン大統領は中国側から全面的軍事支援を期待していました。

 筆者は従来、「中国が本格的対露軍事支援を開始すればウクライナ版第2次朝鮮戦争になるので、このシナリオはあり得ない」と主張してきましたが、習近平主席は言質を与えず、筆者の予想通りの展開となりました。

 共同声明には「平和のための交渉促進」が謳われたのみです。ゆえにプーチン大統領は3月25日、態々「中露同盟は軍事同盟ではない」と釈明せざるを得ませんでした。

 この点、プーチン大統領にとっては大きな失望であったと推測します。

 一方、露北極圏ヤマル半島からモンゴル経由中国向け天然ガスパイプライン「シベリアの力②」建設構想も協議され、交渉促進で両首脳合意。ただし中国側に急ぐ動機はなく、動機はロシア側にあります。

 露ガスプロムは金城湯池の欧州ガス市場を喪失したので、代替市場創設が喫緊の課題となりました。

 習近平国家主席は3月20日の非公式会談の冒頭、プーチン大統領に対し「来年の露大統領選挙で当選を確信しています」と発言。

 中国の悪夢はロシアに親欧米政権が成立することですから、弱いプーチン大統領が政権の座にしがみつくことは中国の国益に適います。

 もう一つニュアンスがあります。

 欧州が対ウ支援において決して一枚岩ではないのと同様、中露も一枚岩ではありません。隣国は最大の敵性国家です。

 旧ソ連邦は中国と約7000キロ、現在のロシア連邦は約4200キロの対中国境線を有しているので、中国にとり米国に次ぐ敵性国家はロシアになります。

 ロシアがほどほどに負けて、対中依存度が増す形(=露の資源植民地化)で停戦・終戦の方向に収束していくことは中国の国益に適います。

 換言すれば、プーチン大統領が居残り、ロシアがほどほどに負けることは中国にとり「一石二鳥」となります。

 ここで、ウクライナ戦況を概観します。

 5月11日朝のウクライナ参謀本部発表によれば、ロシア軍が全面侵攻した昨年2月24日から今年5月11日朝までのロシア軍累計損害は以下の通りです。

 破壊されたロシア軍兵器の在庫が減少していることは確かですが、新規に生産、あるいは修理している兵器もあるはずです。

 故に、あくまでも一つの参考情報(目安)として記載する次第です。

 もちろん、ウクライナ大本営発表ですからこのまま上記の露軍戦死者数を信じることは危険ですが、それにしても信じられないようなロシア軍の被害です。

 他方、ロシア軍の自軍被害に関する大本営発表は2022年3月25日に発表したロシア軍戦死者「1351人」が最初です。

 その後、ショイグー国防相は同年9月21日に「ロシア軍戦死者は5937人」と発表しましたが、以後戦死者に関する公式発表はありません。

 この戦死者数自体、もちろん大本営発表の偽情報ですが、ここで留意すべきは「ロシア軍戦死者」とはロシア軍正規兵の将兵が対象であり、かつ遺体が戻ってきた数字しか入っていないことです。

 ロシア軍の遺族年金支払対象者はこの「戦死者」のみで、「行方不明者」は対象外です。

 付言すれば、ウクライナ東部2州の親露派民兵集団、チェチェンのカディロフ私兵集団や民間軍事会社ワーグナーなどの傭兵部隊等の戦死者は、ロシア軍の戦死者に算入されておりません。

 一方、ウクライナ軍は今春反攻開始予定と言われてきましたが、米州兵によるウクライナ関連軍事機密情報漏洩事件などにより、戦略・戦術の変更を余儀なくされた模様です。

 ただし、欧米が約束した新規武器供与は順次始まり、米防空システム「パトリオット」、最新鋭「レオパルトⅡ」型戦車や歩兵戦闘車、自走砲等も戦場に投入開始。

 ポーランドからは「MIG29」戦闘機も供与され、ウクライナ軍の反転攻勢準備も徐々に整い始めた感じです。

 プーチン新ロシア大統領が2000年5月に誕生した時、彼のスローガンは強いロシアの実現法の独裁でした。

 油価上昇を享受したプーチン大統領ですが、ウクライナ侵攻の結果としてウラル原油の油価は下落開始。

 油価下落によりロシアは弱いロシアの実現大統領個人独裁の道を歩んでおり、結果としてプーチン大統領は自らロシアの国益を毀損していることになります。


第4部:2油種(北海ブレント・露ウラル原油)週次油価動静(2021年1月〜23年5月)

 2021年1月から23年5月までの2油種(北海ブレント・露ウラル原油)週次油価推移を概観します。

 油価は2021年初頭より2022年2月末まで上昇基調でしたが、ロシア軍のウクライナ侵攻後、ウラル原油は下落開始。

 ウラル原油以外は乱高下を経て、2022年6月から下落傾向に入りました。

 ロシアの代表的油種ウラル原油は、西シベリア産軽質・スウィート原油(硫黄分0.5%以下)とヴォルガ流域の重質・サワー原油(同1%以上)のブレンド原油で、中質・サワー原油です。

 日本が輸入していたロシア産原油3種類(「S-1」ソーコル原油/「S-2」サハリン・ブレンド/ESPO原油)はすべて軽質・スウィート原油にて、日本はウラル原油を輸入していません。

 ちなみに、2022年6月〜2023年3月度のロシア産原油輸入はゼロでした(例外:2023年1月度S-2サハリン・ブレンドを少量輸入)。

 露ウラル原油の5月1〜5日週次平均油価は$49.92/bbl(前週比▲$4.55/黒海沿岸ノヴォロシースク港出荷FOB)、北海ブレント$74.62(同▲$6.78/スポット価格)となり、ブレントとウラル原油の大幅な値差は続いています。

 この超安値のウラル原油を輸入し、自国で精製して石油製品(軽油や重油)を国際価格で輸出して、“濡れ手に粟”の状態がインドと中国です。

 付言すれば、露ウラル原油の油価は、欧米が上限設定し昨年12月5日に発効したFOB価格$60を超えていません。

 一方、中国が輸入しているロシア産原油は主にESPO原油であり、ウラル原油ではありません。

 ESPO原油はシベリア産原油であり、主に原油パイプラインでロシアから中国に輸出しているので、$60条項は適用されません。

 中国はウラル原油よりもバレル約20ドルも高い価格で原油を輸入しており、ロシアに補助金を払っているという奇妙な説も流れましたが、ESPO原油がウラル原油よりも$20高いだけなら、バナナの叩き売り原油になります。

 近代戦は補給戦、継戦能力の原動力は経済力と資金力(戦費)です。

 ロシア経済は油価(ウラル原油)に依存しており、油価下落は露経済を弱体化させます。

 今後の油価動静はウクライナ戦争の帰趨に大きな影響を与えるので、筆者は今後の油価動静に注目している次第です。

第5部:ロシア経済は油上の楼閣経済
国庫税収は油価次第

5−1. ロシア経済は油上の楼閣経済構造:

 下記グラフをご覧ください。露経済と国庫税収は油価(ウラル原油)に依存していることが分かります。

 ウラル原油の油価が国家予算案策定の基礎になっており、国庫歳入はウラル原油の油価に依存しています。

 ちなみに、石油・ガス税収の8割以上が地下資源採取税で、非石油・ガス税収の大半は付加価値税(消費税)と利潤税(利益税)です。


5−2. 露財務省/2023年1〜4月度国庫財政収支発表(2023年5月10日):

 露財務省は5月10日、今年1〜4月度の露国家予算案遂行状況を発表。財政赤字は3.42兆ルーブルを超えました。

 原油生産量が未発表になるなどの情報統制が厳しくなる中で、ロシアにとって芳しくない財政状況が依然として公表されていることは、ロシア研究者にとり一服の清涼剤になります。

 下記で注目される点は、石油・ガス税収は前年同期比半減。非石油・ガス税収は増えていますが、増えているのは付加価値税(消費税)であり、利潤税(利益税)は約2割減少していることです。

 これは企業収益、特に石油・ガス関連企業の財政状況が急激に悪化していることを示唆しています。

 油価が下落すれば、露経済・財政を直撃。油価下落=露経済弱体化=戦費枯渇です。

 これが、露ウラル原油の油価動静が注目されるゆえんです。

(単位:10億ルーブル)


エピローグ/ロシアの真の国益は?

 ロシア経済は油価依存型経済構造であり、GDPも国家財政も貿易収支もすべて油価次第です。

 プーチン大統領は油価高騰を享受した大統領ですが、換言すれば、油価が下落すれば彼の権力基盤も弱体化することになります。

 最近、ようやく日系マスコミでもロシア財政悪化問題が脚光を浴びるようになりましたが、財政悪化の根本原因がウラル原油の油価下落であることを理解している人はあまりいないようです。

 ちなみに、ロシアの石油・ガス税収の8割以上が地下資源採取税、その他は石油・ガス輸出関税などです。

 石油・ガス税収は2020年までは石油輸出収入の方がPL(パイプライン)ガス輸出税収より多かったのですが、2021年から逆転。

 今では石油・ガス輸出関税の大半がPLガス輸出関税となり、PLガス輸出減少=石油・ガス関税収入減少になります(付言すれば、LNG輸出関税はゼロ)。

 ロシア政府の赤字対策は石油・ガス産業に対する大増税であり既に導入されましたが、この財政悪化問題は今後ますます深刻化・先鋭化していくこと必至です。

 今年の露国家予算案想定油価はバレル$70.1ですが、現在の油価は大幅に下回っています。

 油価(ウラル原油)がこのままバレル$50前後で推移すれば、実施した大増税も焼け石に水となり、早晩ロシアの財政破綻は不可避となりましょう。

 ロシアはウクライナ戦争の長期戦を覚悟しているようですが、長期戦の前に経済悪化と財政破綻危機(=戦費枯渇)が表面化すること必至にて、その結果「国破れて山河在り」の姿が透けて見えてきます。

 ウクライナ戦争の長期化を予測する人は多いのですが、筆者はそうは思いません。

 油価水準が低迷している中で、現在のような大規模な戦闘を継続する余裕はロシアにはありません(逆も真なり)。

 油価低迷が継続すればロシアの戦費は枯渇して、今年中に停戦・休戦・終戦の帰趨が見えてくるものと筆者は予測しております。

 英W.チャーチル曰く、「ロシアは謎の中の謎に包まれた謎の国である。しかしロシアを理解するカギが一つある。それはロシアの国益だ」

 現在の局面におけるロシアの国益、それはロシア軍の早期撤退・停戦・終戦にほかならないと筆者は考えます。

筆者:杉浦 敏広

JBpress

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