カレー沢薫の時流漂流 第297回 「おひとり様」と騒いでいた頃が懐かしい、1人世帯が標準化する時代に必要な心構え

2024年4月29日(月)11時52分 マイナビニュース

先日Xに「産休クッキー」という、1日を心穏やかに過ごしたければ絶対タップしない方がいいワードがトレンドに挙がっていた。
しかし私には自ら肥溜めにダイブして「今日買った白Tが汚れたぞ!」と騒ぐ、自傷癖と当たり屋のハイブリット的果敢なところがある。
春の貴重な一日をドブに捨てる覚悟で、産休クッキーについて調べたところ、産休に入る女性が会社の人に「産休いただきます」という旨と可愛い赤ちゃんのイラストいりクッキーを配ろうとしたというだけの話であった。
○クッキーで世紀末の種モミみたいに争うこのイカれた時代へようこそ
「産休〜ThankYou〜」というセンスに社員一同激怒、という平和的予想をした者も見られたが「不妊など事情を抱えた人がいるかもしれないのに配慮がなさすぎる」などを筆頭に、産休を取ることにより負担をかける周囲への気遣いの品なのに圧倒的自分主役感、幸せのおすそ分け感がウザすぎるなど、一部の層から猛バッシングを受けてしまったようだ。
私の家のキッチンカウンターには、夫が結婚式の引き出物でもらったと思しき、新郎と新婦の顔写真がラベルになったワインが永遠に鎮座しているので、それに比べれば赤ちゃんのイラストクッキーなどカワイイものだと思うが、結婚に比べると、妊娠出産はさらにセンシティブな話題になってくるのだろう。
もちろん「そこまで気にしない」むしろ、このクッキーにここまで過剰反応する人間の方が怖い、という意見も多かったし、そもそも産休が周りに菓子を配って詫びなければいけない行為ととられているのが問題など、まさに賛否両論状態であった。
だが、リアル職場でこの産休クッキーが配られて「3年セックスレスの私に対してあまりにも配慮がない」と泣き崩れる人間がいるかと、そんなにはおらず、多くは「なんとかわいいクッキー!」と受け取り、目の前で赤子クッキーを噛み砕くぐらいにとどまるだろう。
しかし良くも悪くも忌憚なき意見が飛び交うXにクッキー画像を投稿してしまったことで、スープストックが離乳食サービスを始めた時同様、妊婦や子持ちに対して、水面下で凄まじく厳しい視線を向けている人間が一定数いる、ということが再び可視化してしまったといえる。
○多様化と少子高齢化がいい具合に一緒に来ちゃったわけで
今回の件だけではなく、Xでは「子持ち様」等のワードが定期的にトレンドに挙がったりする。
私のようにXという蛙すら「もっと広い物件ないすか」と言い出す狭い世界だけで生きていると、社会制度だけではなく、世間すら子供を持つことに対し厳しいという印象になってしまうため「17年連続で、死亡率が出生率を上回り、75歳以上の人口が2000万人を超え、15歳未満は過去最少になった」という報道を見ても「それはそうだろう」と思ってしまう。
多様化というからには、生涯独身で子どもを持たないという選択も尊重しなければならない。
しかし「自由には責任が伴う」と、もはや誰が言ったかわからないぐらい多くの人間が名言っぽい口調で唱えている。
1人で生きることを選択したなら、どのようにして一人で生き抜いて死ぬかを早い段階で考えておかなければならない。
しかし、今のことで手いっぱいで先のことを考える余裕がなかったり、選択したわけではないが流れで一人になっていることも多い。
さらに、家庭を持つ選択をしたが、最終的に1人になっている、という、どの選択肢を選んでも特にシナリオに変化がないFGOのストーリーみたいになることも珍しくはない。
実際、日本は1人世帯が増えており、独居老人の孤独死や生活不安問題は深刻化しているようだ。
もはや、結婚率を上げる、出生率を上げるなど、無理ことを言っている場合ではなく、最終的に独居老人になると仮定して、どうサバイブしていくかを考える時代にきてしまっている。
本人的には何せ死んでいるので、死んだあとのことなどどうでもいいという意見もあるが、身寄りがない人間の孤独死の処理には税金が使われてしまうので、やはり孤独死は防ぐにこしたことはないのである。
しかし何せ少子高齢化なので、老の孤独死防止に若いマンパワーを費やしすぎるのも良くない、よって安否確認システムなど、技術進歩による解決が重要だと言われている。
だが一方で、異変に気付きやすいので、回覧板の電子化が見送られ紙のままになるなど、むしろ下手に技術進歩させるより、アナログのままの方が良いということもある。
そういう意味では、若いころは面倒でしかなかった、自治会活動も安否確認という意味で重要となってくる。
つまり「老同士の互助」が大事になってくる、ということだが、互助頼みシステムはコミュ症があまりにも不利なので、そこに依存しすぎないでほしい。
実際、現在でも孤独死するのは、周囲との交流がなく、異臭という名の異彩を放ちだすまで存在すら知られていなかったステルスタイプが多いのだ。
互助で何とかするなら「シニアサバゲーサークル」など、陽の者向けコミュニティだけではなく、学生時代イケてない者同士でくっついて命を繋いでいた人間向けに「Xのいいねだけで安否を確認しあう会」などの多様化が必要である。
もちろん、イケてないグループにすら属さず、休み時間中水飲み場で水を飲んでいたタイプもいるので、それでも取りこぼしはあると思う。
○だが、孤独と孤高と孤立は隣り合っていても意味が違うのだ
現在「孤独死」を「孤高死」と言おう、という意見が出ているらしい。
できちゃった婚を「授かり婚」と言い換えようとして全然定着しなかったのと同じように、内実が変わらないのに名前だけ変えても意味はないと思う。
孤独死に至るまでにも様々な理由がある。孤独死という結果だけ見て、周囲が「哀れな末路」と決めつけて終わるべきではない。その経緯に目をむけなければいけない。
目を向けた結果「この人は他人とつるむのが死ぬほど嫌だった」という事実が判明するだけかもしれないが、それはもはや孤高死と言っていいだろう。

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