『フォード・シエラRS500』“GT-R”を誕生させた日本車最大のライバル【忘れがたき銘車たち】
モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、フォード・シエラRS500です。
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全日本ツーリングカー選手権(JTC)は、1985年〜1993年まで行われていたグループA規定のツーリングカーレースだ。
このJTCにおいて、総合優勝を競う最高峰クラスは、シリーズ開始当初から“外国車 VS 日本車”という構図が続いていた。この対決も1990年にニッサンBNR32型スカイラインGT-Rが登場したことによって、終わりを迎えるのだが、この“R32”がライバルを駆逐するまで、最強の外国車として日本車の前に立ち塞がっていたのが、今回紹介する『フォード・シエラRS500』だ。
フォード・シエラがツーリングカーのレースシーンに登場したのは1986年、ヨーロッパのツーリングカー選手権でのことだった。シエラ自体は、特にスポーツ色が強いわけではなく、むしろファミリーカー的な位置付けのクルマだった。そんなシエラのなかでも、とりわけスポーティ仕様のXR4Tiをベースに、スイスのチューナーであるエッゲンバーガー・モータースポーツがチューンを施して、参戦がスタートした。
また、ほぼ時を同じくして、グループA向けのモディファイを施したフォード・シエラRSコスワースも開発された。1987年に欧州選手権より発展し、この年のみ世界選手権の冠がついた世界ツーリングカー選手権(WTC)に投入された。
さらに同年、日本のJTCにおいても、トランピオチームがシエラRSコスワースを開幕戦から導入。開幕戦はリタイアに終わったが、第2戦西仙台戦で2位に入ると、第3戦筑波では優勝を果たし、そのポテンシャルの高さを示していた。
シエラはその後、1987年中にRSコスワースからさらに進化を遂げ、欧州ではエボリューションモデルであるRS500が登場した。シエラRS500は、コスワースによって開発された最高出力約500psを発揮する専用エンジンが搭載された。
シエラRS500のエクステリアデザインは、RSコスワース時代から継承された。加えて、さらに大型化したリヤスポイラーなどのエアロが採用されたほか、足まわりにも手が加えられた。RSコスワースよりも、さらにグループAのために洗練され、規定で禁止されていない箇所のすべてを改造したモデルとして誕生した1台、それがRS500なのだ。
そんなシエラRS500は、日本では1987年のWTC最終戦として組み込まれたインターTECにおいて、初お披露目を果たす。富士スピードウェイを疾走する漆黒のボディに“テキサコ”ロゴの入った車両を覚えている方も多いのではないだろうか。
このインターTECでは、フォードのワークスと言ってもよいエッゲンバーガー・モータースポーツが走らせる3台の“テキサコ・シエラ”と、さらにもう1台、JTCをRSコスワースで戦っていたトランピオチームがセミワークス格であったアンディ・ロウズチューンのシエラRS500を手に入れ、合計4台のRS500が参戦した。
車検でライバルのBMWからシエラRS500のフェンダー形状や材質に関してクレームが入った。それが違反と判定されたことで、メディアが乗っていた市販車からパーツを拝借して対応するトラブルも発生したが、レースではシエラRS500はBMW勢を打ち負かし、テキサコ・シエラの1台が見事優勝を勝ち取る。
ドライバー部門ではタイトルを逃したものの、エントラント部門では世界チャンピオンを獲得することに成功した。
さらに、このインターTEC戦ではトランピオチームが走らせるシエラRS500が2位でフィニッシュしたことも、大きなトピックスだった。エッゲンバーガー・モータースポーツのワークス車とセミワークスのアンディ・ロウズチューンでは、同じシエラRS500でも、かなり仕様が異なっていたとされるのだが、トーヨータイヤとトリイレーシングによる富士スピードウェイ向けのモディファイの効果もあって快走を見せ、ワークス勢を驚かせたのだった。
そのトランピオチームは、インターTEC後に行われたJTC最終戦の鈴鹿でシリーズ2勝目をマーク。見事、JTCのタイトルを獲得した。
このような快走もあってか、1988年になると全日本選手権で“シエラ”ユーザーが増加し、同年は全6戦中4勝をシエラがマークした(6戦中、開幕2戦はほとんどのシエラユーザーは参加しなかった)。
結局1988年はそのシエラを駆るドライバーのなかでも全6戦中4勝のうち3勝を挙げた横島 久が、この年のタイトルを獲得した(1勝はトランピオチーム、2勝はピューミニ・トランピオで記録した)。
1988年に全日本選手権に投入されたシエラは、ほとんどがアンディ・ロウズチューンのRS500だったが、ピューミニ・トランピオはエッゲンバーガー・モータースポーツのRS500を使っており、その優位性が証明される結果にもなった。
1989年に入るとグループA専用エボリューションマシンであるニッサンHR31型スカイラインGTS-Rの力が大きく増したため、シエラが勝利したのは開幕戦と最終戦インターTECの2戦だけだった。
インターTECでは、オーストラリアのツーリングカー選手権で活躍していたアラン・モファットのチームが日本へ遠征し優勝を挙げ、インターTECにおける強さはアピールしたが、1987年、1988年と獲得していた全日本のタイトルは奪われてしまった。
そして1990年、市販車をグループAのために開発したニッサンGT-Rの登場によって、フォード・シエラはとどめを刺され、1991年をもって、全日本ツーリングカー選手権から姿を消すことになるのだった。
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