『アルファロメオ33(1987年)』日本車勢に挑んだアルファワークスマシン【忘れがたき銘車たち】
2025年1月29日(水)17時30分 AUTOSPORT web

モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1987年のインターTECを戦ったグループAマシンである『アルファロメオ 33』です。
* * * * * *
まずグループAとは、1982年に施行されたツーリングカーレースの車両規定である。この規定では、レース車両のベースとして認められるための公認(ホモロゲーション)を得るために、一定の生産台数やレーシングカーを仕立てる際にエアロパーツを追加することが禁じられるなどが定められていた。
市販車との関連性が深いカテゴリーのグループAは施行開始以降、世界各国へと広まり、1985年からは全日本ツーリングカー選手権(JTC)として、日本でもグループA車両によるレースが行なわれるなど人気を博していた。
そのJTCのシリーズ戦として開催されていたのが、インターTECというレースだった。インターTECは、富士スピードウェイを舞台にした長距離戦で、グループAカーの国際交流戦を謳い、海外で同カテゴリーを戦う外国車を招待。ボルボ、ジャガーなどと多くの強豪外国車がやってきては日本車を負かしていっていた。
そして、今回紹介する『アルファロメオ 33』もそんなインターTECヘやってきた外国車の一台だ。
この33は、アルファスッドという車両の後継モデルとして開発されたごくオーソドックスなコンパクト5ドアハッチバックで、1983年に市販車が発売された。アルファロメオのモータースポーツ部門であるアルファコルセは、この車両をベースに搭載されている1.5リッター水平対向4気筒NAエンジンなどをチューニングしてグループAマシンに仕立てあげた。
インターTECへ参戦した33は、最小排気量クラス(ディビジョン3)に属し、トヨタ・カローラFX(AE82型)やカローラレビン/スプリンタートレノ(AE86型)、ホンダ・シビック(AT型)といった普段JTCを戦う日本車勢に戦いを挑んだ。
しかし、日本のディビジョン3マシンは競争力が高く、33はまったく歯が立たず、アルファワークスのマシンではあったものの、クラス10位で完走という結果に終わった。
同年最高峰およびディビジョン2クラスに属するフォード・シエラRS500とBMW M3といった外国車勢は、日本車を置き去りにするようなバトルを繰り広げていたものの、ディビジョン3においてはその図式とはならず、すでにJTCにて熾烈な開発競争を繰り広げていた日本車に軍配が上がったのであった。
投稿 『アルファロメオ33(1987年)』日本車勢に挑んだアルファワークスマシン【忘れがたき銘車たち】は autosport webに最初に表示されました。