【訃報】元ニッサンワークスドライバーの都平健二さんが逝去。ハコ車の名手として名を馳せる

2024年4月26日(金)12時56分 AUTOSPORT web

 元レーシングドライバーでニッサンワークス出身、チューニングショップ『リミット』を主宰する都平健二(とひら・けんじ)さんが2024年4月25日に亡くなった。83歳だった。


 都平さんは1941年2月15日、茨城県生まれ。二輪の城北ライダースを経て1965年に日産自動車(大森)と契約しブルーバードSSで四輪レースデビューを飾った。


 1969年には追浜ワークスへ昇格し、ハコスカGT-Rやフェアレディ240Zを駆って活躍した。同年の日本グランプリでは、先輩の高橋国光さんとのコンビで最高峰ビッグマシン『ニッサンR382』をドライブしている。


 ワークス活動休止後はFJ1300やフォーミュラ・パシフィック、富士グランチャンピオンレースなども参戦。マイナーツーリングやTSレース、全日本ツーリングカー選手権(JTC)やジャパン・スーパースポーツ・セダン(JSS)、全日本GT選手権(JGTC)、N1耐久/スーパー耐久シリーズでの活躍が広く知られ、ベテランの走りが光る“ハコ車使い”として数々のタイトルを獲得している。


 1995年のN1耐久開幕戦では熟成の進んだ愛機R32GT-Rで出場し、これがデビューレースだった新型R33GT-Rを破って優勝してしまうという逸話も残す。


 また、厳格なワークス出身ながら温厚で気さくな人柄で知られ、“トッペイちゃん”の愛称で新旧多くのファンに愛された。特にニッサンで同僚だった長谷見昌弘さんや高橋国光さんとは親交が深く、体調を崩された近年も元気な交流があったことが明かされている。


 2年前の“国さん”に続き、またひとりニッサンワークス出身の『レジェンド』レーサーが逝ってしまった。心から哀悼の意を表します。なお、通夜ならびに葬儀、告別式については、ご遺族の意向により近親者のみで執り行われるとのことだ。

1969年日本GPでニッサンR382を駆る都平健二
1970年全日本鈴鹿500km自動車レースでの都平健二(ブルーバードSSSクーペ)
1983年鈴鹿1000kmでの長谷見昌弘と都平健二(スカイラインターボCトミカ)
1990年のスパ・フランコルシャン24時間レースにはチーム・ゼクセルから参戦した
1992年N1耐久ハイランド300kmレースでの都平健二
1996年全日本GT選手権第4戦富士 WISEスカイラインGTRを駆る都平健二






都平健二オフィシャルサイト:https://tohira-official-site.crayonsite.com


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