ギネス認定・小林悠に続くのは誰?J1途中出場得点ランキングトップ10
2025年5月19日(月)18時0分 FOOTBALL TRIBE

2025年4月13日、川崎フロンターレのFW小林悠が「J1リーグにおける途中出場選手の最多得点数」を記録したとしてギネス世界記録に認定された。
小林は2024年10月18日に開催された明治安田J1リーグ第34節川崎フロンターレvsガンバ大阪にて、1点を追う状況のなか途中出場し同点ゴールをマーク。同選手が途中出場で挙げた通算28得点となった。これにより、過去にセレッソ大阪などでプレーし現在は解説者として活躍している播戸竜二氏が持つ27得点の記録を抜き、歴代1位に躍り出た。
さらに小林は同年11月22日に行われた浦和レッズ戦でも途中出場から得点し、同記録を「29」へと伸ばした。これにより、途中出場選手の最多得点記録保持者として認定された。この数字には届かないものの、途中出場から得点し活躍している選手は他にもいる。ここでは、J1リーグにおける途中出場選手の得点ランキングトップ10を一挙紹介する。
※2024シーズン終了時点のデータ参照

第10位タイ:15ゴール
高木俊幸、李忠成、大久保嘉人、ドウグラス・ヴィエイラ、横山貴之
第10位には5選手がランクイン。まずは2024シーズンまでジェフユナイテッド千葉でプレーし、今年から関東リーグ1部の東京ユナイテッドに加入したFW高木俊幸。各所属チームで途中出場からのゴールやアシストを記録しており、“最強のジョーカー”として何度もチームを救ってきた。
続いて、サンフレッチェ広島や浦和レッズ、日本代表でも活躍した李忠成氏(2023年現役引退)。浦和時代、途中出場が多いなかで2016シーズンには10ゴールを挙げ年間1位。2ステージ制だった当時のJ1でチームを2ndステージ優勝に導く活躍を見せている。2011年には日本代表としてAFCアジアカップに出場。オーストラリア代表との決勝戦では、豪快な左足のボレーシュートで得点を挙げ120分にわたる激闘を制した。この活躍は日本サッカー史に伝説の1ページとして刻まれている。
ほかにも、川崎所属時代にJリーグ史上初となる3年連続(2013-2015)得点王に輝いた大久保嘉人氏(2021年現役引退)や広島で133試合34得点を挙げたドウグラス・ヴィエイラ(2024シーズンで契約満了)、豊富な運動量と切れ味鋭いドリブルで相手DFを翻弄した横山貴之氏(2003年現役引退)が15ゴールの記録でランクインしている。

第8位タイ:17ゴール
渡邉千真、長谷川祥之
第8位には現在東京都社会人リーグのSHIBUYA CITY FCに所属しているFW渡邉千真や鹿島アントラーズのレジェンド長谷川祥之氏(2003年現役引退)の2名がランクイン。
1人目の渡邉は2009年に横浜F・マリノスでプロデビューを果たすと、同年に13得点を挙げて新人王に輝いた。この活躍もあり、翌年には日本代表に選出されるなど飛躍した。
同記録保持者の2人目は現在鹿島でスカウトを務めている長谷川氏。現役時代、本田泰人氏やジーコ氏らと共にJリーグ開幕当初の鹿島を支えた功労者の1人である。同氏がゴールを決めた試合で34連勝の記録もあり、「長谷川がゴールを決めれば負けない」という不敗神話は多くのサッカーファンの脳裏に焼きついていることだろう。

第6位タイ:18ゴール
阿部吉朗、林丈統
第6位にはFC東京や湘南ベルマーレで活躍した阿部吉朗氏(2015年現役引退)とジェフユナイテッド千葉などで活躍した林丈統氏(2013年現役引退)の2名がランクイン。
流通経済大学からの初Jリーガーである阿部氏は、2002年にFC東京でプロデビュー。その後は怪我の影響などもあり複数クラブを転々とするが、出場機会が限られる中でも得点力を発揮しており、2009年には当時J2だった湘南をJ1へと導いた。
林氏は2003シーズンに千葉を率いていたイビチャ・オシム監督から「日本で1番才能のあるストライカー」と評される一方、スタミナ不足の懸念も。2005年には6年ぶりにフル出場したJ1第23節東京ヴェルディ戦で決勝点を挙げ「世界の奇跡」と呼ばれている。

第5位:20ゴール
眞中靖夫
第5位には身長170cmと小柄ながら突破力に優れている眞中靖夫氏(2004年現役引退)がランクイン。主にスーパーサブとして鹿島などで活躍した眞中は、C大阪在籍時の2001年7月14日、柏レイソルとのJ1リーグ1stステージ第14節で後半に出場すると、3分間でのハットトリックを達成。これはJリーグでの最短時間記録となっており今も破られていない。

第4位:23ゴール
森山泰行
第4位には「ゴリ」の愛称で親しまれた元日本代表の森山泰行氏(2008年現役引退)がランクイン。大学を卒業した1992年にJリーグ開幕前の名古屋グランパスエイト(現・名古屋グランパス)に入団。翌年Jリーグが開幕すると、1993シーズンのJ1リーグ1stステージ第2節浦和戦でクラブとしてのリーグ初得点を奪うなど勝利に貢献した。以降はスーパーサブとして名を上げ、1996年には総出場時間799分で11ゴールをマークするなど、少ない出場時間ながら高い決定力を見せた。
2025年度から順天堂大学のストライカーコーチに就任しており、同校からどのような逸材が誕生するか非常に楽しみだ。

第3位:24ゴール
パトリック
第3位にはJ3のツエーゲン金沢でプレーするFWパトリックがランクイン。ブラジルのパイサンドゥSCでプロデビュー後、多くの国内クラブを渡り歩き2013年に川崎でJリーグデビュー。その後はヴァンフォーレ甲府、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島、京都サンガ、名古屋グランパスを経て2025シーズンに金沢へと加入した。
強靭なフィジカルとスピードを武器に2014シーズンには当時所属していたG大阪でFW宇佐美貴史と2トップを組みJ1リーグを席巻する。同年のヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)では、広島との決勝で0-2と2点を追いかけるなか2ゴールを挙げチームを7年ぶりのカップ制覇に導くとともに最優秀選手賞にも輝いた。
2018年に所属した広島では、キャリアハイの20ゴールでJ1得点ランキング2位に輝くなど、勢いづくと相手DFは手が付けられないような活躍を見せ、多くのサッカーファンにインパクトを与えた。今シーズンもJ3リーグで得点を量産しており、37歳という年齢を感じさせないパフォーマンスを見せている。まさに”生きる伝説”という表現が似合う選手だ。

第2位:27ゴール
播戸竜二
第2位は27ゴールの播戸竜二氏。1998年にG大阪でキャリアをスタートさせたが、同期に新井場徹氏や橋本英郎氏といった好選手が多かったこともあり、出場機会に恵まれず不遇の時期を過ごす。2000シーズンに出場機会を求め岡田武史氏(現FC今治オーナー)率いるコンサドーレ札幌へ期限付きで移籍すると、すぐさまレギュラーの座を獲得。
がむしゃらなプレーやDFとの駆け引きからスペースに侵入しワンタッチでゴールを決めきる決定力を武器に活躍し、札幌のJ1昇格に貢献した。この間にU-19、U-20など年代別日本代表に召集されている。その後もヴィッセル神戸でJ1残留、G大阪ではAFCチャンピオンズリーグでの初タイトル獲得に貢献した。2010年以降はC大阪、サガン鳥栖、大宮アルディージャ、FC琉球などを渡り歩き、2019シーズンに所属したG大阪を最後に現役を引退している。現在はWEリーグの理事やJリーグ選手OB会副会長のほか、解説者としてもサッカー界を支えている。

第1位:29ゴール
小林悠
栄えある第1位は川崎のFW小林悠。拓殖大学在学中の2008年、水戸ホーリーホックに特別指定選手登録されていたが、卒業後の正式加入としては川崎一筋。度々ケガで離脱していた期間はあるが、2011シーズンのJ1第9節ジュビロ磐田戦で途中出場を果たし、90分に決勝点となるゴールを挙げ1-0でチームを勝利に導いた。これがリーグ戦プロ初ゴールだった小林は、同シーズン12ゴールをマーク。以降J1での得点を量産している。
2016シーズンには大久保嘉人氏と共に2トップの一角として得点を重ね、クラブ新記録となる6試合連続ゴールも達成している。2017年には、リーグ戦カップ戦共に優勝まであと一歩届かなかった川崎をリーグ優勝へと導き、クラブ史上初タイトル獲得に貢献。個人でも同年のJリーグアウォーズで得点王、ベストイレブン、MVPとタイトルを総なめにした。
その後は途中出場が多くなったが限られた時間の中でも得点を量産し、29ものゴールを挙げてギネス世界記録に認定された。2025シーズンはJ1リーグで3試合に出場しているが未だ得点はない。小林が“ジョーカー”として得点量産体勢に入ることが川崎躍進のカギとなるだろう。