ハリルジャパンでの躍動から6年…2度の欧州挑戦と挫折を経た福岡・井手口陽介の恩返し

2023年11月6日(月)19時10分 サッカーキング

ルヴァンカップの決勝でも中盤で存在感を示したアビスパ福岡のMF井手口陽介(99番)[写真=兼子愼一郎]

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 2022−23シーズンの『AFCチャンピオンズリーグ(ACL)』王者・浦和レッズに、Jリーグ参入後28年無冠のアビスパ福岡が挑む構図となった『2023JリーグYBCルヴァンカップ』の決勝戦。東京・国立競技場に6万1683人というルヴァン史上最多の観客が集結する中、初タイトルを手にしたのは福岡だった。

 とにかく出足が素晴らしかった。スタートから前への意識を強く押し出し、開始早々の5分にはGK永石拓海のゴールキックから先制点を奪う。奈良竜樹が競り、山岸祐也がタメて落としたボールをシャドウの一角で先発した前寛之が右へ展開。そこで紺野和也が局面を打開し、中へ折り返したところに滑り込んだのが前。電光石火の一撃に、さすがの浦和守備陣もなす術を見出せなかった。

 前半終了間際の宮大樹の追加点も左CKからだった。紺野の鋭い折り返しも見事だったが、合わせた宮も酒井宏樹と髙橋利樹の間に巧みに侵入し、左足を振り抜いている。

 浦和対策を徹底した長谷部茂利監督の作戦勝ちだったのだろうが、全員が一丸となって役割を遂行した福岡が2−1で勝ち切ったのは、本当に賞賛に値する。

 そんなチームを力強く支えたのが、中盤のダイナモ・井手口陽介だった。

 この日の背番号99はシュートこそゼロで、2つの得点シーンも直接的には絡んでいない。それでも、前半は若い森山公弥とダブルボランチを形成。縦横無尽に広いスペースを動き回り、次々とボールをカット。浦和の攻撃の芽を摘む仕事を確実に遂行し続けた。

 後半になって前がボランチ下がった時間帯も存在感は大きかった。最たるものが48分に伊藤敦樹からボールを奪い切ったプレーだ。直前には大外にいた小泉佳穂のところにチェックに行き、すぐさま逆サイド寄りの位置にいた伊藤のところに行ってデュエルで勝利した。現日本代表ボランチにあれだけ迫力を持ってボールを刈り取れる選手はそうそういない。さすがは2017年8月の2018年ロシアワールドカップアジア最終予選の大一番・オーストラリア戦でヴァイッド・ハリルホジッチ監督からスタメンに抜擢され、ダメ押し点をマークした選手である。

 紺野が下がった72分以降は中村駿とボランチでコンビを組んだが、井手口が周りを生かそうとする意識を前面に押し出したことで、すべての組み合わせがスムーズになった。最終的にこの日の井手口は両チームトップの12.446キロの走行距離を記録。スプリント回数もチーム4位の11回を数えた。タフな男は福岡の中盤を力強く支え、初タイトルをもたらす大仕事をしてみせたのである。

 試合後、井手口は「この1年は福岡でしっかり試合に出て、本当にアビスパのために自分の持ってる力を常に100パーセント、出していきたいと思っていたので、本当にここまでこれてよかったと思います。(セルティックで)試合に出ていない自分をアビスパが拾ってくれたというのは、加入当初からありがたく感じていたので、少しでも恩を返したいという気持ちはあった。それが今日、ひとつ叶ったのかなと思います」と、神妙な面持ちで語っていた。

 彼ほど浮き沈みの大きなサッカー人生を歩む選手は滅多にいないだろう。ジュニアユース時代から過ごしたガンバ大阪で2016〜2017年にかけてブレイクし、日本代表でも瞬く間にレギュラーを奪取。前述のオーストラリア戦でスターダムにのし上がり、2018年W杯イヤーには1度目の海外移籍に踏み切った。

 最初はリーズ・ユナイテッド(イングランド)からクルトゥラル・レオネサ(スペイン)にレンタルされたものの、出番を満足に得られず、ハリルホジッチ監督の解任もあってW杯メンバーから落選。ロシアW杯後はグロイター・フュルト(ドイツ)へ赴いたが、定位置確保が叶わないまま、2019年夏に古巣のガンバに復帰する。慣れた環境で安心してプレーできたのが大きかったのか、彼は徐々に調子を上げ、本来の井手口らしさを取り戻しつつあった。

 そんな時に2度目の欧州行きの話が降って湧く。アンジェ・ポステコグルー監督率いるセルティックからのオファーを受け、本人は「今度こそ」という思いを抱いて2022年1月にスコットランドへ渡った。同じタイミングで前田大然、旗手怜央も移籍したが、彼らが主軸になる傍らで、井手口自身は全くと言っていいほど試合に出られなかった。

「選手としてこんなに悩んだのは初めてかもしれない。もどかしさや悔しい気持ちを感じていました」と、本人も本音を吐露する。

 失望感に打ちひしがれていた時に地元・福岡からオファーが届いた。「2度の海外挑戦失敗」という厳しい事実を突きつけられた自分を必要としてくれた福岡で再起を図りたいという思いが強まり、2月にはJリーグに復帰。直後に右足関節外果骨折というアクシデントも重なったが、6月にはピッチに戻り、ようやくここまで辿り着いた。

 ハリルジャパンのブレイク時には21歳だった井手口も27歳。経験豊富なプレーヤーとしてピッチで勇敢な立ち振舞いを見せた。周りを生かして自分も生きるという姿勢も顕著で、人間的成長も色濃くうかがえた。

「もっと前に行く回数だったり、シュートまで行くとか、守備でももっとつぶせるシーンがあるので、そのあたりは課題かなと。もっともっと成長したいという気持ちは常に持っています」と、純粋にサッカーと向き合えている様子を見せた井手口。もう一度、代表を狙いたいという思いも強まっているという。

 今回の福岡の初タイトルが完全復活への起爆剤になれば理想的。ここからの彼には右肩上がりのキャリアを築いてほしいものである。

取材・文=元川悦子


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