鎖国否定と東アジア進出論、世界制覇計画…近藤長次郎が島津久光に提出した上書の驚くべき内容とは?

2025年2月5日(水)6時0分 JBpress

(町田 明広:歴史学者)

近藤長次郎による先見的な上書の提出

 慶応元年(1865)2月1日、近藤長次郎は鹿児島に向かい、薩摩藩士としてリスタートを切った。その近藤が、鹿児島に行く前年末に小松帯刀に建白し、小松から島津久光へ提出された上書(元治元年12月23日、『玉里島津家史料』3)を取り上げてみたい。本上書はかなりの長文であるが、非常に重要なので、その要点を詳しくまとめてみよう。

 現在の日本は、喧々囂々(けんけんごうごう)と騒々しく、内乱が東西に起こり、人心がきわめて不安定な状況である。加えて、外国人が猛烈な勢いで軍艦を日本に指し向けていると、近藤は危機感を露にする。

 そして、外国勢力は通商条約の不履行箇条を責め、幕府の対応によっては、たちまち戦争になりそうな勢いであると、近藤は現状を分析して、その実態を強く嘆じる。近藤は、日本が置かれた状況を客観的に見て、意見を開陳したのだ。


近藤上書に見る華夷帝国・日本

 そもそも、勢い盛んな神州(日本)は、四夷(東夷・西戎・南蛮・北狄)から朝貢使節を受け入れてきた。そして、武威を海外に轟かしながら、日々領土を拡げることは、建国以来の当たり前の方向性であると主張する。近藤は、日本を東アジアにおける華夷帝国であると断言しているのだ。

 その根拠として、神功皇后は自ら海軍を率いて三韓(新羅・百済・高句麗)を征服して、日本人のための都市を建設し、そこに入植して朝貢を監視した。もしそれを怠れば、たちまちにして派兵しこれを罰したと、『古事記』『日本書紀』に記載されている朝鮮支配の故事を述べる。

 そして、神州の国体は2,000有余年、1つの皇統が綿々と継続しており、富国強兵の国家である。そのため、周辺諸国から軽侮を受けることがなかったと強調する。


近藤上書における鎖国否定と東アジア進出論

 次に近藤は、日本の国体は「攘夷鎖港」ではなく、古来広く海外と往来しており、鎖国は徳川将軍家によってやむを得ず祖法化されたものである。家康がもう少し長生きしていれば、「今、日旭旗を五大州ニ翻し、今の英国などなども来貢セしむる事必定也」と言い切る。つまり、日本は世界を征服しており、現在の大英帝国も日本の朝貢国となっていたことは間違いないとまで、極論したのだ。

 また、鎖国に踏み切ったのは、キリスト教の布教によって人心が擾乱させられ、不測の事態が生じることを恐れたためであると説明する。理路整然とした、論旨の展開である。そして、今の日本は、世界と通商して国を富ませ、海軍を発展させて四夷を征服するには、まさに適した国土である。それは、中国・インドの近くにあり、航海するには好都合の立地であるからだ。また、薩摩藩には山川のような良港が存在し、世界を引き受けて貿易するには殊に抜群であると説く。

 これらの点は、欧米人が垂涎の思いでいるところなので、放っておく手はない。よって、まずは朝鮮に侵出し、その後、清の諸港に商館を置き、兵乱で疲弊している人民を助ければ、10年以内に清は日本に説き伏せられ、西洋征服への同盟に同意するであろうと、その見通しを論じる。


近藤上書に見る世界制覇計画

 近藤は続けて、清を従えて黒龍江を越え、ロシアに至って皇帝と盟約し、ロシアの産物を黒龍江まで運び、日本からも船で黒龍江までさかのぼり、そこで貿易を行なう。そして、上等な鉄を輸入して、大小の銃を製造すべきであると強調する。

 また、長崎のオランダ人、アメリカ人から、西欧諸国とロシアの大戦争が10年を経ずして勃発すると聞いた。そして、海軍を十分に興隆できれば、ロシアが敗れた場合、和議の仲介をする。西欧が敗れた場合は、その虚に乗じてジャワ、ルソン、スマトラを電撃的に侵略し、領土を拡張すべきであると小松に説いている。

 近藤のこうした言説は、まさに、海外侵略論以外の何物でもないのだ。それにしても、壮大なアジア征服の構想で驚きを禁じ得ない。


近藤が主張する東アジア的規模での未来攘夷論

 さらに近藤は、朝鮮はフランスの侵出を受け、ロシアに同盟をもちかけていると指摘する。もちろん、そのような事実はなかったが、先鞭をつけられては口惜しい限りであるとして、来春には艦隊を編成し、朝鮮に侵攻を開始すべきであると、一刻も早いその実現を薩摩藩に期待しているのだ。

 これはまさに、征韓論の実現である。そして、その先のロシアとの衝突は、その後の歴史において、時間の問題であった。このように、近藤の主張は、天皇の権威向上を背景に、通商条約容認とともに富国強兵・海軍振興に名を借りた海外侵略論である。

 近藤の主張は、まずは朝鮮、その後の清の征服によって、東アジアに覇を唱える華夷帝国の形成にあった。しかも、その先にはロシアとの対決も視野に入れており、東アジア的規模での未来攘夷論であるのだ。


近藤上書の異様なまでの先見性

 近藤は理路整然と、日本至上主義に基づく我が国の優越性を説き、積極的開国論を展開した。その上で、朝鮮・清から始めて東アジア全体に日本の覇権を拡げる構想を打ち出し、その手始めに征韓論をぶち上げ、ロシアとの対決も視野に入れている。

 近藤の言説は、未来攘夷そのものであり、まさに近代日本が、その後にたどった経過に酷似している。近藤、まさに恐るべしであろう。

 この上書が島津久光の手元に保管されている事実は、薩摩藩・久光が近藤に一目置いた結果である。このことから、近藤が薩摩藩士として仕官する上で、大いに役立ったであろうことは想像に難くない。

 次回は、近藤長次郎が「小松・木戸覚書」(いわゆる薩長同盟)に向けた活動を始めるに至る長州藩の政治的動向について、詳しくその経緯を追うとともに、坂本龍馬によって設置されたとする亀山社中の実相に迫りたい。

筆者:町田 明広

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