佐藤愛子「娘や孫からは、完全に老婆扱いです。100歳になって、何かをする自信がなくなった。しょっちゅう誰かにもたれかかっています」

2025年2月20日(木)12時30分 婦人公論.jp


佐藤愛子さん

エッセイ『思い出の屑籠』の連載終了後も、佐藤愛子さんの様子を誌面で伝えたいと編集部は佐藤邸をたびたび訪問。佐藤さんを主人公とした映画『九十歳。何がめでたい』が世間でヒットしていたころ、100歳だったご当人はいかに——(聞き手・構成:本誌編集部 撮影:宮崎貢司)

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100歳を超えた佐藤愛子さんは今、どのようにお暮らしなのか? と映画を観た皆さんが興味を抱くことと思いまして、今日はお伺いしました。

——どのようにお暮らしかなんていうのは、何か仕事をしているから、ああだこうだと言えるわけですよ。私はもう書くことをやめましたから、話せるようなことは何もないんです。

100歳まで生きて、朝起きて夜寝るまで元気でいらっしゃるというだけでも、価値のあることです。

——朝起きて、1時間ほどしたら寝てますよ。それで目覚めてなんか食べて。それからまた寝てます。

やっぱり100歳を過ぎるとね、疲れる。何もしなくても体が疲れるんです。ただ座ってるだけでもう、疲れてますよ。(笑)

でも人が来てくださると、わりと元気の出るたちでね。誰も来ないと寂しいですよ。

ずっと、編集者や誰かが来る習慣があったでしょう。今はもう誰も来ない。そうすると私はもう世の中の流れから外れてしまった人間なのだと感じます。世間が動いて流れていくのを、遠くのほうでぼんやり見ている。そういう意識になるから、元気もなくなります。

しかし編集の仕事も大変ですね。私には務まらないわ。機嫌のいい作家ばかりじゃないでしょうし。怒りんぼの佐藤愛子の相手は大変だったでしょ。でもやっぱり話していて楽しいのは編集者ですね。


(写真:stock.adobe.com)

こうして話すことはまだできるけれども、書くとなるとね……。考える力が本当になくなってきていますよ。昔は料理するのが好きだったんです。料理は頭を使いますでしょう。買い物に行って美味しそうな旬のものを見定めて、おかずを考えて。帰って来たら、料理の段取り。

それが今はもう外出しなくなりましたからね、買い物に行かない。だから美味しい食べ物に出合えないし、食欲が湧かない。そもそも、食べることが面倒くさい。

そんなふうに、いろんなことが面倒になったっていうのは、やっぱり生きるための根底の力が萎えているんだと思うんですよ。それでやたらに心配性になる。たとえばお手伝いの人が来るのが遅かったりすると、もう来なくなるんじゃないかしらとか、そういうね、つまらないことが頭にこびりつくんです。

日常的なことを自分ひとりの力で運営することができなくなってきているわけですよ。そうすると家族やお手伝いさんや誰かに頼らなきゃならないでしょ。そのお手伝いさんが今日は時間が過ぎても来ないというだけで、ものすごく不安になる。

自分が何かをやる、何かの行為をするということに対する自信がなくなっているのね。肉体的な自信のなさ。しょっちゅう誰かにもたれかかっているという感じですね。

(しばし沈黙)

今は平気で100歳になったって言うけど、昔は100になったって言ったら大変な長命ですものね。


(写真:stock.adobe.com)

90歳でも大変な長命です。100歳はなかなか到達できません。しかもこんなにお元気な100歳は珍しいのでは。

——うーん。やっぱりね、耳に心身の衰えの原因があるんじゃないかって思うの。聞こえ方に。

そうですね。聞こえは脳の働き、思考や気力にもつながりますでしょうから。

——この衰え方っていうのを克明に書いて何かの参考に残しておきたいなあと思いますけど、それを書くだけの力がない。体力がないの。面倒くさい、こんなん書いたってしょうがないか……と思うんですよ。昔はお金が欲しかったから、原稿料を思って書きましたけど(笑)。もうお金もいらないし、使うことない。あったって何に使うんだろう。

男の人はお酒飲んだりいろいろ、年をとってもそれなりにお金の使い途があるんでしょうね。そもそも亭主がいないと夫婦喧嘩もないですから、退屈なのよ。そうかと言って、100歳過ぎて亭主に何か用事言いつけられたって、頭にくるだけだろうけど。(笑)

昨今は長生きでおひとり暮らしの女性も増えています。平均寿命を見ましても、男の人のほうが早く亡くなる方が多い。今は夫婦でいる人も、夫を見送ったあとは、みんな「おひとりさま」です。

——そうねえ、うちの孫が30いくつになってると思うんですけど、戦前だったら、行き遅れだとかなんとか言われる年齢ですね。そのうち親は死んじゃうんだから、収入がなかったらいったいどうするつもりだ、なんて言われてね。女性の仕事が限られていた当時は、生きていくために結婚が必要とされていた。

その点では、今は楽になりましたね。いつまでも結婚しなくたって誰も何も言わない。うちの孫なんか好き勝手やってますよ。

今は女性がひとりで食っていけるようになった。これは大きいですよ。その気になれば、男並みに働ける。私も一生懸命書いて、別れた亭主の借金を返して働いてきたけど。もうさすがに仕事はおしまいね。

日々の暮らしでは、娘の響子さんや孫の桃子さんの助けを借りることも増えましたか。

——娘や、孫なんかからは、もう完全に老婆扱いされてますよ。

響子はね、滑舌が悪いのよ。何を言っているかわからない。その点、孫の桃子は、声に力がある。おばあちゃんと話をする時は明晰に喋る、というのが身についているんですね。そういうことがきちんとできている。利口な子なんだなあと思います。

電話がかかってきたり、人が見えたりして、桃子が私に報告に来るでしょ。その時に、最初の一声が聞こえにくかったりするわけですよ。すると私が聞こえづらいんだなというのをさっと察して、すぐ大声になって言い直す。いろんなことを吞み込んでるっていうか。

いちいち言わなくても察してくれるから、楽ですね。あれはやっぱり一種の若さだと思います。だから今、生活してて一番必要なのは、桃子ですね。
(2024年6月収録)

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