ハマスからの攻撃の被害者は報道されるが、ガザで犠牲になったパレスチナ人の報道はない。イスラエルに封鎖された「天井のない監獄」ガザ地区

2025年2月21日(金)12時29分 婦人公論.jp


破壊された学校に通っていたパレスチナ人の子どもたち(映画『“壁”の外と内』より)

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2023年10月7日、パレスチナの武装組織ハマスが、イスラエルに対し奇襲攻撃を仕掛けたことから始まった戦争。1年3ヵ月後の25年1月15日、6週間の停戦合意が成立した。この15ヵ月で、4万7000人のガザ市民が殺害されるなど、ガザは深刻な人道危機にある。一方、パレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区では、イスラエルによる入植が続いている。1月半ばまでガザで活動を続けていた看護師、そして24年夏にヨルダン川西岸地区を取材したジャーナリストが、現地の様子を語る(構成:古川美穂)

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<前編より続く>

壁に囲まれた「天井のない監獄」で


イスラエルの攻撃によるガザの悲劇は日本でも報じられています。しかし、その背景となるパレスチナとイスラエルの関係については、よくわからない方も多いのではないでしょうか。

パレスチナ問題は20世紀初めに、欧州で迫害されたユダヤ人が旧約聖書に書かれたユダヤ人の王国があったパレスチナに国をつくろうと、英国の支援を受けてパレスチナに移住してきたため、そこに住んでいたアラブ人と争いになったことから始まりました。

1947年、パレスチナをアラブ人とユダヤ人で分割する国連決議が採択され、翌年ユダヤ人はイスラエル建国を宣言。これに反発するアラブ諸国との戦争になりました。その時、75万人のアラブ(パレスチナ)難民が生まれました。

さらにイスラエルは67年の第三次中東戦争で、ヨルダン川西岸、ガザ、東エルサレムを軍事占領しました。国連安全保障理事会はイスラエルの占領地からの撤退によりパレスチナ国家を樹立し、平和共存する紛争解決案を探っています。


一方、福岡市ほどの広さに約220万人が暮らすガザ地区は、2007年からイスラエルが封鎖し、人や物の出入りも制限される「天井のない監獄」とも呼ばれています。

23年10月7日にガザを支配するイスラム組織ハマスがイスラエルへ越境攻撃を行い、約1200人の死者が出ました。イスラエルは報復攻撃を始め、これまで1万7000人の子どもを含む約4万7000人の死者が出ています。

海外メディアはガザに入ることができません。そこで私は24年の7月から約1ヵ月、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区とイスラエルで取材し、その映像を『“壁”の外と内』というドキュメンタリー映画にまとめました。

私は新聞社で20年ほど中東を取材し、エルサレムにも駐在しました。今回パレスチナとイスラエルの人々に話を聞き、新たに見えてきたことがあります。

ヨルダン川西岸のヘブロンは、ユダヤ人入植地が町の中心部に食い込み、分断されています。パレスチナ人は「我々は共存を望むが、イスラエルは違う」と言い、ユダヤ人は「彼らは殺すのが好きなのだ。そんな相手と和平は不可能だ」と言います。

私は暴力を肯定しませんが、なぜ、ハマスの越境攻撃のような暴力が起きるのか。背景にあるイスラエルの占領に目を向けなければ、和平への道も見えてこないと思います。


ヨルダン川西岸地区に建設された分離壁の前に立つ川上さん(映画『“壁”の外と内』より)

住宅や学校が目の前で破壊され……


私は占領の実態を見るために、ヘブロンの南にあるマサーフェル・ヤッタという地域に行きました。ここではイスラエル軍が「軍事地域」に指定して、村の学校をショベルカーで破壊し、ブルドーザーで住宅をつぶす暴力が続いていました。

加えて、ユダヤ人が「入植地」をつくり、武装した入植者がアラブ人の村を襲撃し、住民に暴力を振るったり、住宅に放火したりしていました。

私が訪ねた村では軍が2週間前に11戸の家を破壊したということで、瓦礫が放置され、軍が私の目の前で家を再建できないようにコンクリート・ミキサーを押収するのを見ました。彼らはパレスチナ人を土地から追い出そうとしているのです。

この地域には暴力で反撃するパレスチナ人の姿はありません。彼らは、「私たちは闘う」と言って、弁護士に相談し、イスラエルの裁判所に破壊停止や損害賠償請求の訴訟を起こしたりしています。

パレスチナ人と言えば日本人には過激派のイメージが強いかもしれませんが、普通のパレスチナの人々の冷静さと根気強さは非常に印象的でした。

この地域の人々は、伝統的に洞窟を住居にしていました。現代では地上に家を建てて住んでいましたが、この数年、洞窟生活に戻る人々が増えています。彼らは「地上に家を建てるとすぐイスラエル人に壊されるが、洞窟なら壊されることがありませんから」と言う。

日本では「ガザでイスラエルのしていることは酷いが、パレスチナ人も攻撃的で乱暴だから、どっちもどっち」と考える人が多いかもしれません。しかし現実は違う。

パレスチナ人の多くはイスラエル占領下で、軍や入植者の暴力に耐えて、生活を維持し、土地にとどまろうとしているのです。

イスラエルでは報道されない現実


「テロ組織から国民を守るため、自衛のためガザを攻撃せざるをえない」——多くのイスラエル市民はそう考えています。停戦を求める大規模なデモも取材しましたが、それは交渉で人質を取り戻すためであり、自分たちの残酷な戦争を終わらせるという意識はありません。

私が話を聞いた独立派のイスラエル人ジャーナリストは、「メディアはイスラエル軍による占領や武力行使の実態は伝えない。だから、パレスチナ人がなぜ暴力的に攻撃してくるかわからない。その結果、パレスチナ人はユダヤ人を殺したいのだ、と思うのです」と話していた。

ガザでの戦争開始以来、ハマスの越境攻撃による被害者の映像は繰り返しテレビで流れますが、ガザで犠牲になったパレスチナ人の女性や子どもたちの映像や画像が流れることはありません。

イスラエルは「テロリスト侵入を阻止するため」として23年前に「壁」を建設し始めました。しかし、「壁」は今、壁の向こうでイスラエル軍が行う占領や戦争犯罪という「加害」を国民から見えなくする、目隠しの「壁」となっているのです。

しかし、わずかな希望もあります。兵役を拒否するイスラエルの3人の若者と会いました。その一人は「私は特別ではない。ガザの状況を知り、心を痛めた普通の人間だ」と語りました。彼らはインターネットを通して、占領やガザの実態を知り、兵役拒否を公表したのです。

また「壁」を越えて、パレスチナの村を訪れ、人々と交流するイスラエルのNGOメンバーにも会いました。

「国が戦争していても、個人として友達になり、小さな平和を探りたい」と語ります。そのメンバーが訪ねたパレスチナ人の家には、イスラエル兵に銃で撃たれて死んだ息子の写真が貼られていました。

NGOでは当時、息子がイスラエルの病院で治療を受けるための募金活動を実施。彼の死後も、父親は「彼らには今でも毎日感謝している」と語りました。NGOのリーダーは、「最初はパレスチナの村を訪ねるのが怖かった」と告白してくれました。「壁」を越える人々も、少数ながら確かに存在するのです。

今、世界中で分断と対立が深まり、見えない「壁」が広がっています。パレスチナで起きていることは決して他人事ではありません。長年こじれた歴史的な問題に、完全な和平はそう簡単に実現しないでしょう。しかし壁を越える人々が少しでも増えること、そこに未来への鍵があると感じます。

婦人公論.jp

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