超神経質だった辻仁成が、犬を飼い始めてからたったひと月で激変。「三四郎がやって来る前までのぼくとは別人になってしまった」
2025年3月1日(土)12時30分 婦人公論.jp
(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
1997年『海峡の光』で芥川賞を受賞した作家・辻仁成さん。現在はパリとノルマンディを行き来しながら、ミニチュアダックスフンドの愛犬・三四郎と一緒に暮らしています。辻さんは、三四郎と過ごす日々を通して「息子が巣立ち一人になった人間に、子犬が生きる素晴らしさ、笑うこと、幸せを教えてくれた」と考えたそう。今回は、そんな辻さんの著書『犬と生きる』から、一部を抜粋してお届けします。
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三四郎のうんちでさえも可愛いと思えるようになった父ちゃんの異変
3月某日、ここのところ、ぼくに大きな異変が起きている。自分でもはっきりとわかるほど、変わってしまったのだ。
ぼくはかなりの神経質で、かっこつけしーだし、とにかくバッチーものが嫌いで、清潔好きで、汚いものとか触れないし、コロナ禍が始まってから徹底した消毒とマスクとソーシャルディスタンスを守り、家にウイルスは絶対あげないをポリシーに、買い物から戻ると買ったものは全部隅々まで消毒していたし、バスのつり革とか絶対握れないし、だからこそ、このフランスで一度もコロナに罹ったこともないのだった。
そんな神経質だったぼくが、三四郎がやって来たこのひと月の間に全くの別人になってしまったのである。
まさか、自分に犬のうんちやおしっこの片付けが出来るとは思わなかった。毎日、ぼくは床に這いつくばって片付けをやっている。ほぼほぼ、一日中である。
変な話だけど、犬を飼ったらそれをやらなければならないこと、それがこんなに一日中続くものだと思ってもいなかったので、三四郎は可愛いけど、げー、また、うんちしたじゃーん、何回する気だよー、と最初の頃は大騒ぎをしていたのだが、ここ最近、ぼくはぜんぜん平気になってしまった。むしろ、逆で、うんちを喜んでいる。この異変はすごい…。
最近のぼくは三四郎がシートの上でおしっこをすると、「まぁ、さんちゃーん、素晴らしい、ブラボー・サンシー。おめでとう命中よ」と大騒ぎしている始末。うんちに関してはもっとすごい。三四郎がしたうんちをトイレットペーパーでつかんで、握ったりして、その硬さをまずチェックしているし…。
時には色やにおい、目視を通して、内容物まで調べているのだ。子犬といえど、うんちは多少臭いのだけど、そのにおいにも慣れてきた。三四郎の部屋に入ると、ぼくの鼻センサーが素早く作動し、くんくん、あ、うんちしたろ、となって探す。そのにおいで、彼の健康状態もだいたいわかるまでになってきた。
犬として大切なことを知って
で、もっとすごいのは、三四郎は犬だから外を歩くのが仕事。ぼくは裸足で外を歩くなんてそんなバッチーこと我が子にさせられなくて、安全地帯まで抱っこしていき、安全そうな綺麗な場所で最初は遊ばせていたのだけど、というのはご存じの通り、フランスの歩道は日本の歩道とは比較にならないくらい汚いからである。
犬の糞(ふん)を片付けない不届きな飼い主もいるので、それを踏んづけた人の足跡も続いているし、とにかく不衛生極まりないのである。
『犬と生きる』(著:辻仁成/マガジンハウス)
どんなウイルスが地面で繁殖しているかわからず、ぼくは想像しただけでひっくり返りそうになっていたのだけど、三四郎が外を歩くのが犬として大切なこと、外でうんちやおしっこをするのが当たり前のこと、を知るに従い、そうさせなきゃいけない、という気持ちが神経質な性格に勝っていったのである。
そこで、家から出ると、三四郎を地面に置き、リードを引っ張って歩かせるようになった。ご存じのように、歩道には犬の糞やおしっこの痕がそこら中に付着、こびりついているので、一応、そこはいちいち抱えて通過はしているけれど、ともかく、三四郎が地面を歩くことにも慣れてきた。
もちろん、家に帰ると、ものすごく神経質に濡れタオルで足を拭いてやっているけど、最近はそれで済むようになった。
ひと月ほど前は散歩から戻るたびに、風呂場で足だけ洗っていたのだ。やれやれ。
無菌的感覚の変化
三四郎は子犬で、月に一度しかお風呂に入れたらいけないらしい。だから、今は、身体を毎日何回も拭いてあげている。それから、やはり、多少獣臭がする。
他の犬に比べるとミニチュアなのでにおわないようだが、それでも動物臭はするし、まだシートに命中しないので、おしっこやうんちを床ですることもあり、三四郎の部屋だけは犬小屋のようなにおいがしている(この部屋の換気がまた大変なのだ)。
ぼくはそんな獣の三四郎を自分の膝の上に載せて、一緒に昼寝をするし、いつも抱きしめているし、三四郎は朝から晩までぼくの頬っぺたを舐めまくってくる。
超綺麗好きなぼくは昔から人の体に触れることが苦手で、在仏暮らしなのでビズ(頬と頬をくっつける仏版の挨拶)や握手も嫌だった。どんな菌を他人が持っているかわからないから、…。こんな無菌的感覚で生きてきたぼくだけど、子犬が来たらそんなこと心配していられなくなった。
愛の力は偉大
三四郎が道で小枝を食べそうになることもあり、ぼくは彼の口の中に手を入れて、それを取り出すし、三四郎の歯のチェックもするし、三四郎の唾液など、水道水くらいにしか思わなくなってしまった。
愛の力は偉大である。
三四郎のおちんちんもお尻の穴も毎回、綺麗に拭いているし、まるで自分の身体の一部のようになってしまった。
三四郎がやって来る前までのぼくとは別人になってしまったのだ。ということで超神経質なぼくは次第にこの子犬を通して、今まで絶対に受け入れることの出来なかったちょっと汚い世界までをも受け入れることが出来るようになったのである。
あはは、どこの王子?? というか、超神経質だったぼくだけど、三四郎のおかげで普通になってきたというか、そこまで神経質に消毒しないでもいいかな、と思うようにもなった。
もちろん、外出から戻ると神経質に手洗いはやっているし、部屋の掃除も頑張っているけど、多少のことは大目に見ることが出来るようになったのである。
今日も朝、三四郎のうんちをつかんで、硬さのチェックをし、「いいうんちだねー」と三四郎を褒めてやった父ちゃん。尻尾をふって喜んでいる三四郎は、可愛い。
こういうことも犬を飼う上で、とっても大切なことなのである。
※本稿は、『犬と生きる』(マガジンハウス)の一部を再編集したものです。
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