大神いずみ「旅立ちの春がやってきた。息子がくれた手紙と共にある亡き父の手紙を、読み返す勇気は今はない」

2024年3月1日(金)12時0分 婦人公論.jp


今は読む勇気がない父からの手紙。一緒に、翔大が小4の「2分の1成人式」の時に20歳の自分宛に書いた手紙を預かっておいています。手渡すのはあと2年後…。(写真提供◎大神さん 以下すべて)

大神いずみさんは、元読売巨人軍の元木大介さんの妻であり、2人の球児の母でもある。苦しいダイエットをしている最中に、長男が大阪の高校で野球をやるため受験、送り出すという決断をした。球児の母として伴走する大神さんが日々の思いを綴る。

* * * * * * *

前回「大神いずみ「長男・翔大が大阪から帰ってきたと思ったら大学の寮へ。寂しそうな次男・瑛介を母は見逃さなかった」」はこちら

旅立ちの春がやってきた


週末の練習グラウンド、夕方の終わり時間。

あたりは真っ暗で、選手たちも脱いだシャツを人のバッグに間違って突っ込んでしまったり、歩いて帰る途中「ん?誰のだこの水筒!?」と気づくのはいつものこと。暗いなか選手たちを父母たちがぐるりと取り囲んで、携帯ライトの灯りで帰り支度していたのは…ついこの前だったのに。

いつのまにか同じ時間でもまだ明るい。

さむ、あつ、さむ、あつの変な天気を繰り返しながら、いつのまにか「さぶいさぶい」真冬を通り越している。

いよいよ、旅立ちの春がやってきた。

野球の世界では中学を卒業して家を出る子は珍しくない。
少し前に長男と同級生の野球母と入寮の話をした。
息子をほんのすこし自宅から遠い高校の寮へと送り出した時のこと。

スーパーで納豆を手に取った時、賞味期限を見て「ああ、この日付の時はもう、あの子は家にいないんだなぁ…」と思うだけで涙が出た、という。
きっと家を離れる日までずっと、そんな思いでいるのかもしれない。

我が家は高校入学で息子が家を発つ日が近づくにつれ、

「なんでこんな服の畳み方しかできない!?」
「色ものと白いものを一緒に洗濯したらダメに決まってるじゃん!?」
「そんな弁当箱の洗い方してたら縁が黒ずんでくるからやり直しっ!!」

最強のお小言ババアと化していた。

近々親元を離れるのにぬるりダラリと準備は遅く、弟とキャッキャキャッキャふざけてばかりの長男にイライラもメーター振り切れて…。
優しくなりたくとも鬼そのものの形相のまま、新幹線に押し込んで大阪に行かせた記憶しかない。

今回2度目の「送り出し」はこの経験を踏まえて、
「向こうで困ったら、どうにかするでしょ」くらいに悠々構える余裕があった。
何事も人は、学ぶんだなぁ。

あらためて三つ指ついて(そんな人見たことないが)親に丁寧に挨拶して出ていく子なんているんだろうか。ちなみに「三つ指をつく」という挨拶は「身近な人にする丁寧な挨拶」であって、お客様や目上の方への丁寧な挨拶はやはりしっかり手を床につけてやるものらしい。

いや、いる。
絶対どこかに、そんな子いる。
でもうちの子達は絶対にやらない。

この気持ちを言葉に出してあらためて言うと俺、泣いちゃうからわかってよ〜、な、親に最後に甘えさせてくれ、てな思惑で何も言わずに出ていくんだと、ワタシはそう思っている。

LINE教えてもらっていいですかー?


ここ最近、携帯の使い方というより「LINE」の使い方に世代間のズレがある、と言う話がよく出ている。

ワタシが実際知って衝撃を受けたのは、初対面などまだよく打ち解けていない状態で「LINE教えてもらっていいですかー?」はありえないんだとか。親しみを込めてメチャメチャよく人に聞いていたわたし。相手はそんな私に「うっ…」と暑苦しさを感じていたと言うことか。なんだか自信なくなってきちゃうなぁ。

知らない人にはまずインスタのDMなど送って様子を見る。仲良くなったらLINEを交換するんだそうな。

知らない人にいきなりメッセージなんか送ったらダメだし、知らない人のメールいきなり開いちゃあかんやろ!!?

昭和なワタシがこの時代にポツンと取り残されている。インスタもやるけれど、何にも機能を使いこなせていないと思う…少なくとも夫に比べたら。

「SNSでの文章の最後に『。』をつけられると怒っているのかと感じる」
と聞いて、「そんなわけないでしょ。ただの文章の終わりだよ」と悪びれもしないワタシは…。

やっぱり存在そのものが「圧」と言われる立場になりかねないのかもしれない。

「そうなんだね」ってお互いに知ることから始めたいところだ。今話題になっていることは、むしろいいことのような気がする。

こんなに毎日SNSで人や世の中と繋がっているのに、安心を得られる一方で、文字や言葉の向こうにあるものがすこぉし見えづらくなってきている気がしてならない。

「おばあちゃん、米寿のお誕生日おめでとう」


今年の年頭、福岡で一人で暮らしている私の母の米寿を、家族みんなでお祝いした。

父は8年前に亡くなったが、気がつけばあの時小さかったうちの子達も立派な「成人サイズ」には成長して、母の孫達4人がすっかり大人になっている。「大人の家族」というかんじ。あと数年もすればここにまた新しい家族が1人、2人増えていくんだろうか。小さい子どもの声、懐かしいな。

母の妹や姪も東京から来てくれて、久しぶりに家族水いらずで和やかに食事をすることができた。

何より、いつもは賑やかな場所へ足を運ぶことの少なくなった母が、素敵な色に髪を染めた全力おしゃれに身を包んで、家族のまん真ん中に座って囲まれながら嬉しそうに笑っていた。

従兄弟同士の息子達はゴニョゴニョ小声で話しながら笑って、目の前にどんどん回されるお年寄り達の食べきれない料理を平らげている。球児たちにかかると、どんな食材ががどんなに綺麗な器に入って目の前に出てきても、「ひとくち」で口に運ばれ一瞬で消えてしまう。しまった。行く前に牛丼かラーメンを仕込んでいくべきだった。

とくに特別なサプライズがあるわけでもなかったが、家族がなんてことのないことを笑いを交えて話している声が、母の耳にはとても心地よさそうだった。

唯一あらたまって家族みんなで母に贈ったのは、孫たち4人からの直筆の「手紙」だ。

「おばあちゃん、米寿のお誕生日おめでとう」

家族はみんな、今ではどこにいてもLINEで繋がっている。

いつだって手元の携帯からおばあちゃんの携帯に送ることはできるのだが、それでは、仮にだれか代わりに書いて送っても届いてしまう。

字を書くことが少なくなったので、なかなかその人の字を見ることも少なくなったが、
ここは血の繋がった孫たちの、おばあちゃんへ心のこもった直筆のお手紙。これに適う米寿のプレゼントがほかにありましょうか、いや、ない!


息子たちからもらった手紙。大切にしすぎてボロボロって…。いつまでも大事にとっておくよ

息子たちからの手紙


翔大はこれまでも折々、よく手紙をくれる子だ。

面白いことに小学校卒業の時から中学卒業、高校野球が終わった時まで、なぜか書いてあることが要約するとほぼ同じ。むしろスゴイ。

それはそれは心を込めた感謝の言葉と決意が書かれている。字はわりと丁寧に書く方で、昔泣きながら学校で何度も書いて覚えた漢字を交えて、きっちり思いをしたためている。

瑛介はあまり手紙を書いてくれることはないが、
たまにもらうと一つくらい衝撃的な事実が書かれていて度肝を抜かれる。

「え!?そおだったの????」

でも全て過ぎ去ったあとの告白なのでちょっと固まる程度。やや心配に思える幼い字で、それくらい漢字で書けよ、な文章を書く。おばあちゃんの手紙の時は、なぜか一人でこそこそ隠れて書いていた。兄に見られるのが死ぬほど恥ずかしかったのか。
思ったより2人とも熱心に便箋に向かって書いていたのを、私は微笑ましく見守った。

兄家族側の姪とご主人、甥、全員分を納められる綺麗な箱の中に手紙を入れておばあちゃんに贈った。

母の嬉しそうな表情…と思ったら、よほど驚いたのか満面の笑顔というより「はぁぁ…みんながわたしに?手紙を?えぇーーっ!!?」な驚きの表情で手紙の箱を受け取っていた。

そしてそれは自宅に帰ってからも何日か続き、大事そうに何度も箱から出したりしまったりしては、何度も孫たちの手紙を読んで言葉をかみしめていた。

なんだか…私はこの人の娘だなぁと思う。

生まれた時から見てきた孫たち。すっかり皆大人になったが、彼らの字や言葉の選び方を、この手紙で初めて知ったのではないだろうか。

携帯の文字打ちと違って書くものが必要、間違えたら書き直し、封をするまで気の抜けない作業だが、その一つ一つに宛てた人を思って進める「時間と手間」のかかった言葉の贈り物は、受け取る人にもそれなりの構えを求めることになる(それを『重い』と言われるとそれまでなんだが)。

簡単に矯正できない字の癖も人となりで、その字体を見るだけで、驚いたり心配になったり、クスッと笑えたりする。

そんな機会が今ますます減っているとは…
本当にもったいない話だ。

今は家族みんなとLINEで繋がっていて、どこへいても「り(了解の意味の超絶略)」の一言だけで生存確認できる。

そういえば翔大が高校へ入ってしばらく、なんの問題もなさそうなことを書いてよこしていたのもLINEのメッセージ。でも実際は本人にとって相当苦しいことになっていたとは…私はなかなか気づけなかった。

親になってみるとやはり、子どもからの手紙は何度もらって嬉しいもの。しばらく外出用持ち物のバッグに常に入れて持ち歩いていた。
でもある時から次第にボロボロになっていくのが忍びなくて、今は大事なものを保管する場所に置いている。ここまで結構な量になってきたので、そろそろまた納め直しておかなくては。

最初にして最後の、父からの手紙


実はその大事な手紙の中に、1通だけ息子たちからのものでないものが混じっている。
私が結婚するときに、父からもらった手紙だ。

結婚式にテレビの中継が入り、最後に司会の徳光和夫さんから読み上げられた父の手紙。正直なところ私はなぜかそのとき、あの父が本当に私に宛てて書いたものではないと思いこんでしまった。

花嫁の父として話をすることを断固拒否していた父が、テレビのために手紙など書くはずがないと思ったのだ。

披露宴が終わって部屋に落ち着き、地球が吹っ飛ぶくらいの深〜いため息をついたあと、テーブルの上に1通の私宛ての手紙を見つけた。

中を見ると小さい時から見慣れた、大人にしてはちょっと崩れ気味の丸っこい字…最初にして最後にもらった、父の書いた手紙に間違いなかった。

あらためて手紙を読み返した時、目が開かないくらいドドドと涙が溢れ出てきて、落ち着いて読むのに1日くらい時間がかかったのを覚えている。

父が亡くなってから8年が経った。

私にはまだあの父の手紙を読み返す勇気が、今もない。もう25年も経ったけれど、父の望んだような人生を私が歩んできたかどうか。答え合わせのようになりそうで怖いのだ。

そんな内容の手紙でもなかったのだけれど。

いつでも読み返してはその空気と思いと、書いた人の息遣いを感じることのできる手紙。

一周廻って、今また誰かに手紙を書くブームが若い世代に訪れたら…
そしたらきっと「。」は書きますよね?

婦人公論.jp

「手紙」をもっと詳しく

「手紙」のニュース

「手紙」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ