「歳とったね」「老けたね」は年齢ハラスメント。「おじさん」は何を言ってもいい属性ではない。教育学者・齋藤孝が教える、心の若さを保つコツ
2025年4月4日(金)12時30分 婦人公論.jp
「老けたね」は年齢ハラスメント(写真提供:Photo AC)
現代の60、70代は、まだまだ若い一方、「老い」をどう受け入れていくかについて、考え始める世代でもあります。そんな時助けになるのが「知力」です。「インプットした情報はアウトプット」、「できないことには鈍感力を発揮」など日々の習慣が、60代からの自分を作り直してくれます。「身体」と同様に「知力」にも鍛え方や保ち方のコツがあると語る、身体と言葉の専門家・齋藤孝さんの著書『60代からの知力の保ち方』より一部を抜粋して紹介します。
* * * * * * *
心の若さは、相手をリスペクトすることから
日常的に続け意外に効果があることのひとつにテレビでスポーツ観戦時、拍手することが挙げられます。
贔屓の選手だけでなくよく知らない選手、敵味方関係なく、拍手すると、自分の中で何かが目覚める感じがします。
他人を称賛する気持ちは、若々しさにつながります。他者に敬意を払うことは大事なポイントですが、何しろ忘れやすいのです。
敬意を失えば関心も失い、自分中心になっていきます。自分より優れた人に関心を向け続けることは、案外難しいものです。
中高年になるとそれなりに経験を積んで、自信もあり、目上の人もいなくなるので、何もしないでいると自己中心的になってしまいがちです。
部活を引退した、高校3年生やOBのようなイメージです。もう現役ではないのに、態度だけは大きいと嫌われます。
逆にほめてくれる先輩は好かれます。私が高校でテニス部にいた時、仕事の合間に顔を出し、邪魔にならないようコート脇のネット外から、練習を眺めるOBがいました。
昔戦績も挙げた実力ある選手だったOBですが、自慢話は一切せず、高校生に対しても否定はせず、「いいね。そのバックハンドやってみて」と現役をほめる。ポジティブな評価をくれるのです。
子どもは「すごい」とか「面白い」とすぐ口にしますが、大人になるとだんだん「すごい」と言わなくなる傾向があります。子どもと同じものを見ても、感動がないのです。
本来は大人の方が知識はあるのだから、人の能力のすごさはよりわかるはずです。ほめる気持ちを邪魔するのは、エゴやプライド、競争心です。もう、捨てませんか。
「老けたね」と言うことは年齢差別になる
現役を引退した60代の人を見て「あの人歳とったね」「老けたね」などと、無意識に口にしていませんか。
外見で他人を評価・判断したり、身体的特徴や容貌で人を差別したりすることは「ルッキズム」です。
「歳とったね」「老けたね」という言い方も、習慣的に口にする方が多いのですが、これは身体差別・年齢差別の一部です。
老いに関しては、ハラスメントという概念が遅れていると言えるでしょう。
女性たちが、ハラスメントや男社会の女性差別に対して声を上げられなかった、あるいは上げても届かなかった状況に似ています。
確かに年齢を重ねると、体力や速度感、情報のアップデートについては若い世代に遅れてしまうことがあります。
無意識の差別意識
しかし、見た目については年齢を問わず、触れることに配慮が必要です。
老いは男女問わない問題ですが、ことに男性、いわゆる「おじさん」に対しては、遠慮のない視線が浴びせられ、何を言っても構わない属性だと思われています。
こうして無意識の差別意識を洗い出してみますと、ふとした瞬間にプレ老い世代同士がお互いに差別用語を使いながら、お互いの元気を奪っているのかもしれないと思うようになりました。
例えば「すっかりトイレが近くなっちゃって」などと笑い合うのは、自虐、卑下をしているわけですが、それが結果差別的な視線を生んでいることはないでしょうか。
プレ老い世代が自分を卑下しなければいけないような思考は、戦前、選挙権もなかった女性が無意識に自分を卑下し、自分の可能性を狭めさせられていたように、断ち切らなければならない呪いなのです。
無意識に自分を卑下していませんか?(写真提供:Photo AC)
できないことには「鈍感力」を発揮
こういう老いに対する無意識の差別が積み重なって、自らをスポイルしていることに気づいていただき、前向きなリフォーム感覚で、老いを特別視する気持ちを自分の中から排除しましょう。
もちろん、歳をとればできないことは年々増えていきます。作家の渡辺淳一は、2007年に『鈍感力』という本を出し、ベストセラーになりました。
複雑な現代社会を生きていくにはある種の鈍さが必要だと、逆転の発想で言っています。敏感すぎると、人はたいてい怒りっぽくなります。
シェイクスピアの『リア王』は典型的な「怒れる老人」を描いています。老いて財産を3人の娘に分け与えようとしたリア王は、彼女たちに自分への愛を語らせます。
上の2人は甘言を弄ろうしますが、末娘のコーディリアは美辞麗句を言わなかったために、父の怒りを買って勘当されてしまいます。
ところが、財産を手に入れた2人の姉は、リア王を追い出してしまうのです。私はリア王を、「初老性キレキレ症」と呼んでいます。
「鈍感力」は、無神経な鈍感とは違います。渡辺は『鈍感力』(集英社文庫)の文庫版前書きにこう書きます。
「長い人生の途中、苦しいことや辛つらいこと、さらには失敗することなどいろいろある。そういう気が落ち込むときにもそのまま崩れず、また立ち上がって前へ向かって明るくすすんでいく。/そういうしたたかな力を鈍感力といっているのである」
それ以上考えても仕方ないことは、考えなくても済むような心の習慣を身につけましょう。理性の力でコントロールできれば、頭も心も整理されます。
理性とは、物事の正しい道筋にのっとって判断する能力です。判断力は知力に裏打ちされるものです。
よりよく頭と心の整理をするために、知力を磨いていきたいものです。
※本稿は『60代からの知力の保ち方』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
関連記事(外部サイト)
- 『サザエさん』の波平は54歳!身体と言葉の専門家・齋藤孝が教える、老いの概念が変わった今、もはや「老人」ではない60代に「必要なもの」
- 『フリーレン』『推しの子』『ブルーロック』64歳の教育学者・齋藤孝が漫画を読みまくって気づいた「あること」
- 齋藤孝「50、60代は心のルネッサンス、リボーンの時期。長寿がもたらす3つの《無形資産》とは」
- 齋藤孝 「早く山へ連れて行ってくれ」老母自ら山に入る『楢山節考』。高齢者が若い人より強者かもしれない現代だからこそ伝わるものとは
- 齋藤孝 もし『スラムダンク』に安西先生が登場しなかったら…物語に安心感と深みをもたらす「若い人をサポートする高齢者」たちの魅力とは