湊かなえ「介護ミステリに挑戦。他のおばあさんには親切にできるのに、自分の祖父母にはできない…感情と行動を分けたほうがうまくいくこともある」
2025年4月20日(日)12時30分 婦人公論.jp
湊かなえさん(撮影:洞澤佐智子)
2007年に『聖職者』で小説推理新人賞を受賞し、同作収録の『告白』が累計360万部突破のベストセラーに。『贖罪』がエドガー賞にノミネートされるなど、海外でも注目される湊かなえさんは、新刊『C線上のアリア』で介護ミステリに挑戦。家族の関係について思うことは——(構成:菊池亜希子 撮影:洞澤佐智子)
* * * * * * *
同世代の女性読者からのリクエストで
サイン会で、私と同年代の女性読者から「介護をテーマに書いてほしい」とリクエストされることが増えました。
淡路島に暮らして25年、私自身「長男の嫁」で、義母とも近い距離に住んでいます。まだ介護が始まっていない今なら、「私」個人の物語にならないと思い、毎朝読んでいただく新聞連載で介護ミステリに挑戦しました。
女性には逃げ場がないんです。家に帰れば現実が待っていて、疲れていても、落ち込んでいても、家族の夕飯を作らなければならない。
男性は仕事場では逃げられないけれど、家に帰ると目を閉じて、「森」へ行く人が多いのではないでしょうか。趣味の世界なのか、自由だった若き日々の思い出の世界なのか……それを小説では「森」と表現しました。
介護のため、昔暮らした町へ戻る主人公の美佐は私と同じ50代。この世代は二つの価値観の狭間で生きているように思います。男女雇用機会均等法以降に社会に出て、これからは男女平等だと頭ではわかっている。
一方で、朝から晩まで家を切り盛りする母親と、家庭では何もしない父親に育てられた名残りがやっぱりあるんです。特に、何でも母親にしてもらってきたこの世代の男性は、大人になっても家のことをしようとしない。妻も不満を抱きながらも、どこかで現状を受け入れてしまう……。
「交換家事」で浮かぶ家族の謎
物語のなかで、嫁の立場の二人が「交換家事」をして、互いの姑の世話をする場面があります。これは昔、私が高校で家庭科の教師をしていた時の経験がきっかけになりました。
老人ホームで高齢者と一緒に過ごす課外授業をした後のレポートで、ある生徒が「よそのおばあさんには親切にできるのに、なぜ祖母にはできないのだろう」と書いていた。幼い頃、私も祖父母と同居していたので、その気持ちがよくわかりました。他人だから、その時だけだから、できることってあるんですよね。
日本では「家族が面倒をみるのが当たり前」というように、感情と行動をセットにする傾向が強いけれど、その二つは分けたほうがうまくいくこともあると思うのです。
よその人が食事を作ってくれたり、介護してくれたら、自然に「ありがとう」が出てくる。する側も、そう言われて嬉しく思ったり、優しくなれたりもします。
他人にはそうやって一人の人間として対峙できるのに、家族だとその役割でお互いを見て、理解した気になる。以前、実家の近所の葬儀場で出棺の際に故人が好きだった曲を流してくれるらしい、という話題になったことがあって。
妹と「お父さんは北島三郎の『風雪ながれ旅』で、お母さんは加藤登紀子の『百万本のバラ』かな」と話したんです。でも、本人たちに確認したら全然違ってた。(笑)
家族は危うさも秘めている
父も母も、生まれた時から親だったわけではなく、結婚するまでの人生があって、そのなかで思い出の曲や忘れられない出会い、風景があるんですよね。人生に上巻と下巻があるなら、子どもは親の上巻を案外知らない。
それに、親子の距離感もずっと一定ではないと思います。昨年、娘が社会人になったのを機に、私自身、娘の手をそっと離しました。困ったことがあったらいつでも相談に乗るけれど、それ以上に自分からあれこれ関わるのはやめようと決めたのです。
何歳になっても子どものことは心配。でも、どこかで意識的に切り離さないと、お互いにずっと離れられなくなって、それは子どもを身近に縛る鎖になりかねない。家族とはそんな危うさも秘めていると思います。
とはいえ「遠くに行け」と言っているわけではないんです。行きたければどこにでも行けるし、近くにいたければいてもいい。
それにね、お互いが元気なうちに「離れていても家族」という気持ちでいられると、いざ病気や介護で子どもの助けが必要になった時、公的な制度を使うことに躊躇せずにいられると思います。
心身ともに距離を詰め過ぎると、いざという時に他者の力を借りることすら親を見捨てるように感じ、家族だけですべてを抱え込もうとしてしまうのではないでしょうか。
私ごとですが、一昨年からロッククライミングを始めました。初めての日、年齢に不安を感じながら行ってみたら、なんと私が最年少。でも皆さん、軽快に登っていかれるんです。崖を登り切った時の達成感はたまらないですよ。
勇気を出して一歩踏み出せば、思ってもいない景色に出合える。人生の下巻、これからが楽しみです。
関連記事(外部サイト)
- 横尾忠則「難聴や腱鞘炎も全部受け入れ、心筋梗塞で死が怖くなくなった。執着や欲望から自由になって、無為でいられる今の人生は《いい湯加減》」
- 垣谷美雨「63歳の主婦が《昭和》にタイムスリップ。不条理に抗い、中学生から人生をやり直す物語。『ふてほど』『虎に翼』のヒットに背中を押され」
- 水村美苗「日本に帰国した時、とにかく《醜い》ことに驚いた。主人公が現代日本を前にして受けた衝撃は、多くの西洋人が共有するもの」
- 久坂部羊「外務省医務官、終末期医療の医師を経て48歳で作家デビュー。上手に老いるコツは、知性を持って現状を受け入れること」
- 京極夏彦「本は、買うだけでいい。読もうが読むまいが、いいと思った本を手元に置いておくだけで人生は豊かになる」