イギリスで死刑囚の皮膚で作った人皮装丁本が再発見、展示の是非をめぐり倫理的議論
2025年4月21日(月)21時0分 カラパイア
イギリス東部サフォーク州の博物館で、19世紀に起きた歴史に名を残す凶悪な殺人事件が起きた。事件の犯人であるウィリアム・コーダーは絞首刑となり、死後、医師によりその皮膚が剥がされ、裁判記録の本の表紙として使用された。
こうしてできた「人皮装丁本」は同州のモイズ・ホール博物館に1933年から展示されていたが、実はもう1冊あった。
事件から200年近く経った今、忘れ去られていた“第2の人皮装丁本”が博物館の事務所から発見され、再び展示されることとなった。
歴史的価値を認める声がある一方、人間の遺体の一部を展示に利用することへの倫理的な懸念も広がっている。
1827年に起きた赤い納屋殺人事件
1827年、イングランド東部サフォーク州ポルステッドで起きた殺人事件は、ジョージ王朝時代のイギリス社会に大きな衝撃を与えた。この事件は「赤い納屋殺人事件(Red Barn Murder)」として知られている。
最も広く知られている説によると、犯人ウィリアム・コーダー(当時23歳)は、マリア・マーテンさんと(当時25歳)不倫関係にあった。
コーダーは彼女に、地元でよく知られている「赤い納屋」で会うように告げ、イプスウィッチの町へ駆け落ちして結婚しようと持ちかけたという。
だが実際には、コーダーは納屋でマーテンさんを銃で撃ち殺し、その遺体を床下に埋めた。
事件は当初発覚せず、コーダーはロンドンに逃亡して別の女性と結婚までしていたが、マーテンさんの母親が不審を抱き、「納屋を掘るように」というお告げの夢を見たという逸話が広まり、村人たちが納屋を掘ったところ、遺体が発見された。
ロンドンで逮捕されたコーダーは、1828年8月11日に絞首刑で公開処刑された。当時の法により遺体は医学解剖に回された。
事件のあった赤い納屋。正面玄関の左側にある赤い瓦屋根から「赤い納屋」と呼ばれた。残りの屋根は茅葺きだった public domain/wikimedia[https://en.wikipedia.org/wiki/File:RedBarn.jpg]
犯人の皮膚が「人皮装丁本」に
コーダーの遺体は医師によって解剖され、その皮膚の一部が裁判記録の本の装丁に使用された。これが、現在サフォーク州バリー・セント・エドマンズのモイズ・ホール博物館に所蔵されている「人皮装丁本」である。
この本は1933年からモイズ・ホール博物館で展示されており、館の目玉のひとつとして知られていた。
人皮装丁本は16世紀頃から始まったといわれている。当時ヨーロッパでは、死刑だけでは罪を償うには不十分とする風潮があり、死後の「肉体的制裁」までが刑罰の一部と考えられていた。
悪名高い犯罪者の場合、その身体を解剖して見世物にしたり、医学のために利用することが「正義の執行」とされていた。
特に19世紀には、死刑囚の記録、医学書、あるいは医師が患者の皮膚を使用して個人的な記念として製本することもあった。
エディンバラの外科医ホール博物館に展示されている、殺人犯ウィリアム・バーク[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%A8%E3%83%98%E3%82%A2%E9%80%A3%E7%B6%9A%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6]の皮で装丁された本 image credit:Kim Traynor[https://commons.wikimedia.org/wiki/User:Kim_Traynor] / WIKI commons[https://commons.wikimedia.org/wiki/File:William_Burke%27s_death_mask_and_pocket_book,_Surgeons%27_Hall_Museum,_Edinburgh.JPG] CC BY-SA 3.0[https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0]
もう1冊の人皮装丁本が発見される
2025年、博物館職員が館内資料のカタログを確認中、過去にもう1冊の人皮装丁本が寄贈されていた事実に気づいた。
その2冊目の本は、博物館の事務所の本棚に他の本と並んでひっそりと置かれていたのだ。
この本は、コーダーの遺体を解剖した医師と関係のある一家が、数十年前に博物館に寄贈していたものだった。
職員のダン・クラーク氏は「20世紀の所蔵資料では、時々“博物館の損失”が起きるが、今回のように見つかったのは幸運だった」と語っている。
今回の再発見された2冊目の本は、皮膚が表紙全体ではなく、角や背の部分のみに使用されている。それでもその特異な由来は大きな注目を集めることとなった。
再発見された、コーダー死刑囚の人皮装丁本。ホール博物館では2冊目の人皮装丁本にあたる。Credit: Moyse’s Hall Museum.
展示をめぐる賛否と倫理的論争
博物館側は、資料としての価値を強調しているが、すべての人がその姿勢を支持しているわけではない。
イギリスの歴史作家テリー・ディアリー氏は「このようなものは焼却すべきだ」と述べ、「人の遺体が博物館の展示物になることそのものが問題だ」と強く批判している。
ディアリー氏は、事件の裁判においてコーダーが状況証拠のみで有罪とされたことや、その後の扱いがあまりに非人道的だったことにも言及し、「処刑よりも恐ろしいのは、死後に遺体が解剖され、こうした用途に使われることだ」と語っている。
モイズ・ホール博物館では現在、2冊の人皮装丁本が並んで展示されている。
モイズ・ホール博物館の人皮装丁本。Credit: Moyse’s Hall Museum.
一方、モイズ・ホールの遺物担当ダン・クラーク氏は、「歴史の不快な側面にも向き合う必要がある」と語る。
展示の目的は単なるセンセーショナルな演出ではなく、過去の暴力的かつ見せ物的な正義のあり方を問い直すためだという。
職員のアビー・スミスさんは、「触った感触は普通の革装丁本と変わらない。人の皮膚と知らなければ気づかない」と語り、「歴史の重みを感じる特別な資料」だと話している。
実際に、こうした「人皮装丁本」の展示については世界的にも議論が広がっている。2024年3月、アメリカのハーバード大学ホートン図書館では、同大学が100年近く保管していた19世紀のフランスの書籍「魂の運命」から、人皮装丁部分を取り除いたと正式に発表した[https://karapaia.com/archives/52330731.html]。
この本は、フランス人医師リュドヴィク・ブーラン博士が、勤務していた病院で死亡した女性の皮膚を、本人の同意なく切り取り、本の装丁に使用していた。
著名な書物研究者ポール・ニーダム氏らの10年以上にわたる倫理的見直しの呼びかけが実を結び、大学側が人間の尊厳を尊重する方向に方針転換したのである。
ハーバード大学は、除去した皮膚部分について、今後は大学と関係機関が協議し、「適切かつ敬意をもった供養」を行う予定であるとしている。
References: Book bound in the skin of a 19th-century Suffolk murderer goes on display[https://www.theguardian.com/books/2025/apr/15/book-bound-in-the-skin-of-a-19th-century-suffolk-murderer-goes-on-display] / A Forgotten 200-Year-Old Book Bound in a Murderer’s Skin Was Just Found in a Museum Office[https://www.zmescience.com/science/news-science/a-forgotten-200-year-old-book-bound-in-a-murderers-skin-was-just-found-in-a-museum-office/] / Book bound in human skin found in museum office[https://www.bbc.com/news/articles/cjwvl93ywlpo]