がんになった緩和ケア医師 いつものように受けた健康診断で<甲状腺に腫瘍の疑い>があることを告げられ…「得体のしれない不安がずっとグルグルと回り続けていた」

2025年4月22日(火)12時30分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

2023年に甲状腺がんと診断された永寿総合病院 がん診療支援・緩和ケアセンター長の廣橋猛先生は「がんの緩和ケア医療を専門とし、医師として患者に正面から向き合ってきたが、いざ自身ががん患者になると戸惑うことが多くあった」と話します。そこで今回は、廣橋先生の著書『緩和ケア医師ががん患者になってわかった 「生きる」ためのがんとの付き合い方』から一部を抜粋し、がん患者やその家族が<がんと付き合っていくために必要な知識>をお届けします。

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なにげない日常から突然に人生は変わる


その日は小雨が降り、曇り空が広がっていました。

いつもの朝と同じように、入院されているがん患者さんたちの回診を終えてから、緩和ケア病棟で電子カルテが並ぶナースステーションの椅子に座りました。

リーダー看護師の川上さんが、待ち構えていたように私に声をかけてきます。川上さんは緩和ケア病棟に配属されて5年以上の経験を持つ、頼れる看護師です。彼女から患者さんについての申し送りと、患者さんの治療やケアの内容についての相談を受けます。

「903号室の佐藤さん、痛みにレスキュー(持続痛治療)を使う頻度が増えています」

「うん、佐藤さんは痛みが悪化しているから、ナルベイン(医療用麻薬の注射)増やそうか」

「906号室の渡辺さん、家に帰れるか不安みたいです。……お話聞いてもらえますか」

「帰りたい気持ちはあるけれど、病院にいる方が安心だって言うんだよね。症状が落ち着いているいまが退院するチャンスだから、あとでじっくり相談してみるよ」

いつものように受けた健康診断


川上さんからの申し送りを受けて、私は電子カルテに向かって必要な処方や指示の変更を入力します。電子カルテを使うことが当たり前になってから、医師の仕事は、パソコンと向き合うことに大きな割合を占められています。

入力を終えると、私は川上さんに声をかけました。

「今日は俺の健康診断があるんだ。いまから健診センターに行ってくるよ」

「いま、病棟は比較的落ち着いているから大丈夫です。なにかあったら電話します」

病院に勤務する医師の特権のひとつに、職場の施設で健康診断を受けられるということが挙げられます。勤務時間中に少しだけ仕事を抜けて受けることができ、あえて休みをとる必要がありません。ただ、最中も院内のPHSは持ち歩くことになるので気は抜けません。

私はスクラブ(半袖の医療用白衣)を着たまま病院を出て、歩いて数分の場所にある健診センターに入りました。ホテルのフロントのような受付に声をかけて、検査着に着替えます。荷物はロッカーにしまっておけますが、もちろんPHSは持ったままです。

検査は他の健診に来ている一般の方に混じって順番に回っていきます。顔なじみの看護師が忙しい私のことを配慮して、スムーズに検査が済むように手配してくれました。

血圧測定、視力・聴力検査、採血、心電図、レントゲンと進んでいき、残すはオプションでつけた検査のみとなりました。今回は胸部と腹部のCT検査、そして頸動脈の超音波検査を依頼していました。

CT検査はなにか悪い病気になっても早期発見できるようにと、2年おきに受けることにしていました。また、私は太り気味であるため、脳梗塞のリスクが高いのではないかと考えて、そのリスクを確認するため頸動脈の超音波検査を追加していたのです。

最後に呼ばれたのが超音波検査でした。

担当してくれるのは、お互いの子どもが同じ小学校に通っていたこともあって、仲よくしている臨床検査技師の岡田さんです。緊張することなく検査を受ける台に横になります。

岡田さんが私の首にゼリーを塗り、それから超音波のプローブ(検査器具)を当てていきます。私はボンヤリと薄暗い天井を見上げながら、このあとの予定をどうするか考えていました。

甲状腺に腫瘍の疑いあり


病棟も落ち着いているし、午後からの外来の前に昼ご飯を食べてしまおうかな。

そんな能天気なことを考えていると、岡田さんが表情を変えて話しかけてきました。


(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

「……先生、頸動脈は大丈夫なんですけど、甲状腺がちょっと……。いくつか腫瘍っぽいものが見えます」

「えっ……」

静まり返った検査室。私は驚きのあまり、言葉を失ってすぐに返答することができませんでした。

「この画像、甲状腺の専門の人に見てもらいますね。またあとで連絡します」

そう言われて検査は終わりになりました。検査着からスクラブに着替えて、昼ご飯を食べることもせず、私は緩和ケア病棟に戻りました。このとき、私は上の空でどのように病院に戻ったか覚えていません。

得体のしれない不安


緩和ケア病棟では、待ち構えていた川上さんが声をかけてきます。

「あ、帰ってきた。ちょっと処方で確認したいことがあるんですけど」

やはり、川上さんにどのように返答したか覚えていません。

甲状腺……。

腫瘍……。

……がんってことだろうな。

私はまがりなりにも医師です。甲状腺の腫瘍を診断するのに、超音波検査が最も正確であることくらい知っていました。良性腫瘍の可能性もあるかもしれませんが、いくつも腫瘍があるなんて悪性だろうと覚悟しました。

緩和ケア病棟に戻ってから30分くらい、ボーっと座っていたでしょうか。

PHSが鳴り、午後の外来が始まる連絡がありました。いつもより重い足取りで、外来へ降りるエレベーターを待ちます。

がん……治療はどうなる?

いや、仕事はどうなるんだろう。

家族にはなんて言う?

次から次へと考えなければならないことが頭を駆け巡っていきます。

いつもがん患者さんに対して私が話してきたことが、まさか自分の身に降りかかってくるなんて思ってもみませんでした。患者さんにはこのようにしたらよいというアドバイスが次から次へと思い浮かぶのに、自分のこととなると頭のなかは真っ白でなにも思いつきませんでした。

本当にがんになってしまったのだろうか?

これはなにかの間違いではないか?

その日は仕事も手につかず、早めに自宅へ帰りました。まだなにもわからないため、奥さんに話すこともできません。平静を装い、普段通りに過ごしながらも、頭のなかでは、得体のしれない不安がずっとグルグルと回り続けているのです。

※本稿は、『緩和ケア医師ががん患者になってわかった 「生きる」ためのがんとの付き合い方』(あさ出版)の一部を再編集したものです。

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