均等法第一世代に定年到来...波乱万丈な女性建築士の信条「自分にアモーレ」

2025年4月28日(月)13時0分 大手小町(読売新聞)

松田聖子田村淳いとうまい子相川七瀬……。歳を重ねてから大学や大学院で学び直しをする芸能人に触発されたわけでもありませんが、50歳を過ぎて自分に足りないものを埋めるようなつもりで社会人向けの大学院に通い、この春修了しました。そこで出会った学友の一人が、鹿島建設の一級建築士、良永敦子さんです。波乱万丈な人生を送りながら、「アモーレ(愛)があれば乗り越えられるわ」と語るエネルギッシュな姿に、「姉さん、ついていきます!」と一歩踏み出す勇気をもらいました。

鹿島建設の一級建築士、良永敦子さん

良永さんが鹿島建設に入社したのは1990年。バブル真っ盛りです。まだ女性の技術職は少なく、驚いたことに入社時に名刺が用意されていなかったのだとか。お茶くみをやることは許せたけれど、名刺がないことには不満を表明したところ、すぐに改善されたそうです。打ち合わせに行けば、「女性が担当なのか」などと言われ、「今に見ていろよ」と心の中で毒づく、そんな時代でした。

一級建築士の資格取得を経てインテリアデザイン会社へ転職し、30歳で結婚、翌年に出産——。幸せの絶頂だったはずが、娘を産んで6日目に夫が体の異変を訴え、末期がんだとわかりました。「心からハッピーな気持ちにはなれず、『幸せなお母さん』という時間を過ごせなかった」。そして夫は1歳の娘を残して亡くなりました。泣くこともできないほど、「どうやって生計を立てていったらいいのか」と思案にくれていました。

鹿島建設に再就職することで、生活のめどがたったのもつかの間。今度は、実父が事業に失敗し、思い出の詰まった実家を手放すことに。幼子を抱え、両親の面倒も見ることになったのです。「かわいそうな人になりたくない」「このままじゃ終われない」。そんな思いが良永さんを奮い立たせました。支えとなったのは建築の仕事でした。

「どんなに苦しい時も、仕事は私を裏切りませんでした。私の働きを必要としてくれている人がいて、社会とつながっている実感が心の支えになりました。誰のためでもない、自分の人生を自分の力で生き抜くという覚悟が生きる力になったのだと思います」

大学院の入学前にも大きな喪失が訪れました。両親を相次いで亡くし、愛犬まで。そして最愛の娘は一人暮らしを始め、良永さんは4人と1匹の暮らしから1人になってしまったのです。彼女を救ったのは、大学院での学びでした。「多様な分野から集まったリスペクトできる仲間との出会いによって視野が広がりましたし、まるで『家族』のような存在となり、私を再び立ち上がらせてくれました。知識やスキルだけでなく人生そのものを見つめなおす、再生の時間。素晴らしいプレゼントをいただいたと思いました」

もっとも、働きながら大学院に通う生活は過酷でした。静岡県裾野市で進む実験都市の設計に携わり、多忙を極めていたのです。富士の裾野から新幹線で東京の表参道に通い、移動時間に睡眠をとる。「体が丈夫でなければ無理でしたね」と振り返ります。大学院では古材を活用した地方創生事業の構想をまとめ、修了生の総代に選ばれました。現在は、この事業構想を実装できるよう、駆け回っています。

事業構想大学院大学で田中里沙学長(右)から修了証を受け取る良永さん(同大提供)

良永さんは先行きに迷いが生じたとき、三つの問いを自らに投げかけるそうです。〈1〉これは本当にやりたいことなのか〈2〉結果として社会や誰かのためになるのか〈3〉やると決めたら引き返さない覚悟が自分にはあるか——。だからこそ、「1秒たりとも過去に戻りたいとか、もっと若ければと感じたことはありません。そして、私にとってのキャリアとは役職や地位ではなく、自分の存在のかたちを社会にそっと差し出すようなもの」と話します。

そして後輩の女性たちに、こうエールを送ります。「何かを乗り越えるときは、ぎりぎりまで自分の力でやりきってみてほしい。それでもどうしても届かないとき、そのときに上げた声には、必ずや手を差し伸べてくれる人が現れます。恐れずに一歩を踏み出してください」

さらに、取り繕うことのない「自分」で生きていく大切さも強調します。「夢をみることを忘れないで。誰かの期待に無理をしたり、一般的な物差しで自分を測ったりするのではなく、自分のやりたいことを常に自分の内面に問いかけることが大切です。自分の心が震える瞬間や自分の可能性を愛し、信じてください」

1985年5月に男女雇用機会均等法が成立してから40年。働く女性たちがセカンドキャリアを考える時代を迎えました。良永さんのような学友に勇気をもらい、私は読売新聞を飛び出して起業することにしました! 人生100年時代に皆さんは、どんな次のキャリアを思い描いていますか?

(読売新聞イノベーション本部 小坂佳子)

プロフィル小坂佳子(こさか・よしこ) 1970年、東京生まれ。明治大学卒。1993年、読売新聞社に入社。秋田支局、立川支局などを経て、2000年から家庭面を担当。食や保育、働き方などについて幅広く執筆してきた。2016年に秋田支局長、18年に女性向けサイト「OTEKOMACHI(大手小町)」「発言小町」の編集長を務めた。22年6月から24年5月まで生活部長。25年4月末をもって読売新聞社を退社。

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